わりと暇な日(午後)
レイの鳴き声に驚いた俺は手洗いもそこそこで居間に駆けつけた。外れた襖から飛び出しているのはレイの頭。目を覚ましたレイは転んで頭から襖に突っ込んだらしい。
「とと! とって! ふぎゃ~ん!」
「レイ……お前はホンマに……ちょっと面白いな」
ギャン泣きする娘には大変申し訳ないのだが、ちょっと笑える状況になっていた。猫が穴に顔を突っ込んで抜けなくなった状態に似ている。この画像は残しておきたい。将来は大和撫子になるであろうレイの幼き日を是非とも画像として残しておきたい。大事な事だから二回言いました。
「にぎゃ~っ! とと! とと!」
「この画像はお前の結婚式で披露する」
子供が悪戯をして襖を破るのは良くある事だったらしい。レイの場合は悪戯ではなく事故だと思うが、お転婆であるのは間違いない。レイは襖が頭から取れなくてパニック、後々の為に少しだけ動画も撮っておこう。
「ひ~ん、とと、とってぇ~」
「画像を撮ってから取ったる」
知り合いの表具屋曰く、襖や障子の張り替えする原因に子供の悪戯がかなりのウェイトを占めているそうだ。今は和室自体が減ったからか少子化ゆえか、子供が襖を破ってしまうのは減ったんだとか。
「さて、画像(と動画)はあとでUSBに残すとして……上手いことハマったなぁ」
「ピギャ~ッ!」
穴の断面がレイの首を傷つけないように、レイが怖がらないように。
「レイ、チョットだけおとなしくしててな」
「ふぎゃ~! にゃう~! にゃうぅぅ……」
襖本体から首の周辺を切り取ってレイにかかる重さを減らす。レイはまるでエリザベスカラーをつけた猫みたいになった。
「レイ、もうちょっとやからな。もう襖に突っ込んだらアカンで」
「ふすまこわい」
襖は張り替えればいいだけだ、とにかくレイの安全が最優先。襖を少しずつ切って救出した。
◆ ◆ ◆
よそのお子様の様子は知らないが、どうやらレイは活発な部類に入るらしい。
「お転婆なんやろうな……」
「とと、おそとでたい」
さっきまで襖に顔を突っ込んでギャン泣きしていたのに、すっかり忘れたみたいに走り回っては転び、起き上がっては走り回る。急におとなしくなったと思ったら「ウンチ」と言いだすのでオマルを用意したりお尻を拭いたり。そして出したものを処分したり。しっかり食べてしっかり動き、しっかり出すレイは高出力エンジンを積んでいるに間違いない。
「雨降りやからお外はやめておこうね」
「む~っ!」
膨れっ面がまたリツコさんそっくりなのが笑える。いつだったか「手ごねのハンバーグじゃなきゃイヤっ!」と駄々をこねたリツコさんと同じ顔だ。娘は父親に似るはずなのに、何でこうなった?
「ドロドロになったら、
「がまんしゅる……」
そういえば最近晶さんが店に顔を出さない。春の交通安全週間は終わったからボチボチオイル交換に来る時期なんやけどな。
「とと、
「レイちゃんがイイ子にしてたら来るで」
大きな声で「れいちゃんいいこ!」とお返事したレイだが、イイ子にしていたら襖に頭から突っ込んで穴なんて開けない。障子紙なら俺でも張替えは出来るけど、襖は少し難しい。今回は大穴を開けてしまったから表具店に頼もう。この時期の表具は糊を乾かしたりは混んだりするのに手間がかかるみたいだが、急ぐわけでもないので今のうちに頼んでおこう。
「襖の張り替えは表具店やな、たしか後輩で腕の良いのが……」
電話している間に何かが有ったら一大事、レイを抱っこしながら表具店に連絡をした。法事や盆に向けて少し忙しいシーズンらしいが「とりあえず預かります。少し時間は欲しいですけど、どうもないですか?」返事が来たので急がないと伝えて通話を終わらせた。
「暑うなるし、少し早いけど風通しを良くしとこうかな……」
梅雨が過ぎれば夏になる。少し早いが襖を外して風通しを良くしておこう。夕食後に扇風機も出して暑さに備えておこう。
「リツコさんが冷麦を食べたいって言ってたな、麺は昼飯と被るなぁ」
素麺も冷麦も似たようなものだと思うがリツコさんは冷麦が好き。俺やレイの昼飯と被るが、外で働くリツコさんのためなら仕方がない。
「レイ、晩御飯も
「れいちゃんにゅるにゅるすきっ!」
夕食は冷麦で決定だ。麺だけでは寂しいから錦糸卵やキュウリの千切り、ついでにハムも刻んでおこう。
「キュウリとハムでもう一品作るか」
刻んだキュウリとハムをマヨネーズで和えればちょっとした一品になる。ビールのお供になるだけでなくおかずにもなる。リツコさんはこの手のザックリしたおかずをつまみながら呑むのが好きだ。
「しかし、今日は全然店の仕事が出来てないなぁ」
「とと、にゃ~ん♪」
そばに来て口を開ける娘にハムを一切れ。口を開ける時に「にゃ~ん」は止めた方が後々恥ずかしくないと思うのだが……ま、子供のうちはいいか。
「お、郵便が来たかな?」
バタバタと音を立てて郵便配達のカブが走り回っている。今日は一日中雨降り。雨にも負けず風にも負けず、免許取りたての高校生の粗い扱いに耐えながら小さなオートバイたちは走り回っている。
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