わりと暇な一日(夜)

 ライダーにとって一番憂鬱な季節はいつだろうか? 俺は梅雨が一番嫌いだ。雨が降るのは嫌だが、雨よりも湿度が高いのが嫌だ。洗濯物は乾かないわパンにカビが生えるわ、暑くても湿度の低い夏の方がまだマシだ。


「ビールは冷えてる、冷麦は固めに茹でて粗熱を取って冷蔵庫で冷やしてっと」


 バイク通勤をしているリツコさんは雨が降るたびにずぶ濡れになって帰還する。特にこの時期は雨だけでなくレインウェアで蒸れて汗だくのびしょ濡れ、帰った途端に「ご飯の前にお風呂に入るぅ……」と風呂場に直行したがる。もちろん風呂上りのお供はビールである。


「レイ、ママのビールに手ぇ突っ込んだらアカンで」

「あわたべたい」


 お子様にとって『ビールの泡』は美味しそうに見えるようだ。何度かジョッキに手を突っ込んで食べようとするのをリツコさんが大慌てで止めている。


「レイ、ビールの泡は苦い苦いで」

「にがいにがい?」


 お酒は二十歳になってから。未成年のうちからお酒を飲むのは成長するのに良くないと思う。とはいえリツコさんみたいに「レベル三〇三十路を過ぎたから全然OK♡」とバカスカ呑むのもよろしくない。


「レイが大人になったらママと三人で呑もうな」

「のむっ!」


 レイと話していたら『ヴォン』と一発エンジンを空ぶかしする音が聞こえた。じゃじゃ馬娘(?)が少しヤンチャな排気音のリトルカブに乗ってご帰還だ。


「ほ~らレイ、ママが帰って来たぞ」

「ママ~!」

「ただ~いま……レイちゃんどうしたの?」


 帰ってくるなりレイを抱っこしたリツコさんがレイの指や首を調べ始めた。リツコさんのお仕事は保健室の先生、下手に言い訳しても見破られるだろう。


「バイクの部品を触って怪我して、昼寝から起きてこの有様」


 撮っておいた画像を見せたら「ブッ!」とおもわず吹き出した。


「あ~あ、中さんと一緒ね~」

「れいちゃん、とといっしょ?」


 何がどう同じなのか知りたいところだ。でも下手に突いて叱られたくない、夕食を食べながら聞くとしよう。

 

「汗だくみたいやけど、先にお風呂にする?」

「ご飯の前にサッパリしたいかな?」


 リツコさんは「ままとおふろはいる~!」と言うレイを連れてお風呂へ。しばらくするとレイの笑い声やリツコさんの「レイちゃん、そんなところを引っ張っちゃメッ!」なんて騒ぎ声が聞こえ始めた。どこを引っ張っているのかわからないが、間違いなくサービスカットだろう。


「エアコンは除湿くらいでエエやろ」


 リツコさんは冷房がやや苦手だ。酔っぱらって素っ裸で寝てしまうからかお腹を壊すことが多々ある。子供のうちから冷房に慣れて過ぎてしまうと良くないと聞くからレイのためにも除湿にしておこう。


◆        ◆        ◆


 リツコさんはメイクを落とすと妙に幼い顔になる。高校生までとはいかないものの二十代前半と言っても通じるくらい。


「あ、また俺のTシャツをパジャマ代わりにして」

「だってぇ、涼しくて丁度いいんだも~ん」

「も~ん」


 風呂上がりにTシャツ一枚のリツコさんは三十代と思えないほど若く見える。


「れいちゃんきゅうりすきっ!」

「リツコちゃんハム好きっ!」


 職場では『保健室の女王様』と呼ばれるアダルトな色気を放つ妻、家に帰ってメイクを落としてくつろぎモードに切り替わった途端にこの有様だ。


「リツコさん、野菜も食べる」


 注意したところで「リツコちゃん野菜嫌~い」と言うだけだ。仕方がないので麦味噌を用意した。もろみとキュウリなら酒の肴の『もろキュウ』だから食べる。


「もろキュウならビールよね、合わせるのは苦みがガツンとくるラガーといきたいところだけど……レイちゃん、この泡は大人になってからね」


 今夜のレイは冷麦に夢中だ。冷麦よりもキュウリを主に食べている。シャキシャキとした歯触りのが楽しい様だ。リツコさんはもろキュウを齧ってビールを呑み、ハムとキュウリのマヨネーズ和えをつまんではビールを呑んでいる。彼女としてはスローペースなくらいだが、常人ならヤケ酒の如き呑みっぷりである。


「そうそう中さん、もうすぐ夏休みなんだけど、バイクの点検は無しになったから」

「へぇ……クソ暑い時期やから助かるけど、何で?」


 リツコさんはボリボリと齧っていたきゅうりをビールで流し込んだ。ゴクゴクと喉を鳴らす姿はCMにしたいほどな実に見事な呑みっぷりである。


「生徒が問題を起こさなくなったのと……あと最近暑いでしょ?」


 バイク店の関係者は高齢化が進んでいる。俺はまだ大丈夫だが年寄り連中は暑さにやられて体調不良になった者も居るとか。


「だから、今後の点検は春だけって流れになったの……ってレイちゃん?!」

「にゃ~うにゃ~う♪」

「ああっ!」


 キュウリに夢中だと油断してリツコさんと話をしているうちに、レイはキュウリを食べ尽くし、ハムだけじゃなく錦糸卵まで全部食べてしまった。残ったのは冷麦のみ。リツコさんは「も~、ママのハムと卵が~」と眉毛をハの字にしている。


「レイ、具ばかり食べるのはメッ!」


 叱ったけれどレイは「にゃふ?」と気にしていない。やはりレイは見た目も中身もリツコさんソックリだ。


◆        ◆        ◆


 一日の家事を終え少しテレビでも見てから寝るかと居間へ行くと、リツコさんが梅酒のロックを飲みながらくつろいでいた。右手にグラス、左手には俺のスマートフォン。画面に写っているのは襖から頭を出して大泣きする例の姿だ。


「あ、ごめんなさい。画像を見たくって」


 やましい画像など無い。「自由に見てもエエよ」と答えると、リツコさんは「この画像はレイちゃんの結婚式で披露しましょ♡」と答えた。


「今日は志麻さんにお休みしてもらったから、まさかここまでヤンチャ娘やと思わんかった。雨で来客が無かったけんど、仕事にならんかったで」


 ぼやいていたらリツコさんは画像を見て「中さんに似たのねぇ……」とほほ笑んだ。


「俺ってそんなにヤンチャかな?」

「ヤンチャかどうかはともかく、私の『膜』は破ってるよね?」


 リツコさんの眼の色が変わった。獲物を狙う野獣の眼になった。


「襖紙と一緒にされると困る」

「今日は『仕事にならんかった』のよね? じゃあ別の仕事を頑張ってもらおうかな?」


 寝る前のひと時をくつろぐどころではなさそうだ。リツコさんが「あっちだとレイちゃんが寝てるから、ここで……ね?」とのしかかってきた。


「私ね、Tシャツの下は何も着けて無いの……だから中さんも何も着けないで……」



―――――合     体     !!―――――



 今日は湿度の高い一日だった。

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