プレスカブを直す男③

 我が大島サイクルのお客さんには大きく分けて二つのタイプがある。バイクの整備を俺に任せるか自分で直してしまうかだ。最初の頃は俺に整備を任せていた客がオートバイに興味を持って自分で触りはじめる事もある。最初から自分で整備をするのは社会人になってからオートバイの免許取得してなおかつ何らかの形で機械のメンテナンスにかかわった経験のある者がだと思う。


「なんか疲れてるやろ、バイク弄りは休んどいた方がエエんと違うか?」


 週末に届いた部品を取りに来ては週明けに部品を注文しに来る中島の様子がおかしい。来るたびにやつれている様に思う。顔色だって良くない。本人は大丈夫と言うが、どう見ても大丈夫に思えない。


「気分転換でもせんとやってられん」


 疲れて見えるのは新しい仕事を覚えてる最中だからだというが、少し心配な状態ではある。中島は持病を抱えていて、ストレスを溜めこむと病状が悪化するのだ。


「でもよ、バイク弄り以外に体を休めながら出来る気分転換もあるやん。俺が言うのもアレやけどバイクを直すって結構イライラする時もあるで」


 オートバイの修理は楽しい事ばかりではない。修理が終わった時は達成感や充実感はあるが修理の最中は思うように事が進まずイライラ・モヤモヤすることも多い。ところが中島は修理の方が静かで良いと言うのだ。


「電話から離れてたら社長と連絡を取らんですむやろ?」


 作業中なら社長から電話が来ても取れなくても仕方がない……というのが中島の主張だ。休日や夜間、早朝等々中島の勤務先の社長は頭に思い浮かんだ事をところ構わず吐き出しては返事を求める非常に鬱陶しい奴らしい。


「思い浮かんだ事をポンポンと何も考えず言うて来るから辛いのよ、しかも現場の事は全く知らんのにギャーギャー喚くから相手にするのが疲れる」


 現場の事を知らない者が組織のトップに立つとロクなことが無い。「まるで腹下直管マフラーみたいな社長やな」と言うと中島はため息をついて一言。


「せめてこっちの意見を聞いて理解してくれた上で物言うてくれると楽なんやけどなぁ」


 亡き夫に代わって会社を興そうと頑張っているのかもしれないが、どう考えても社長としての資質が疑われる人物だ。そんな社長で大丈夫なのかと問うと。


「大丈夫かどうか俺にはわからん、とりあえず与えられた仕事をこなすので精いっぱいや……」


 会社勤めは自営業と違って安定している反面、ややこしい人間関係が有って大変だと思う。中島は正直なところ非常に不器用な奴だ、上司の指示や指導が曖昧だと上手く立ち回りが出来ず疲弊するのではなかろうか。


「なぁ中島、俺らはサービスマニュアルに従って整備をするやん。お前もマニュアルとか指示書を覚えて作業をしたら楽になるんと違うか? まずマニュアルなり作業書を読みこんで覚える事から始めたらどうや?」


 中島はポツリと「無いんや」と答えた。


「おいおい、普通は手順書に従って作業するもんやろ。それが無いってどないやねん」

「無いから作業を覚えながら作業手順書を作らなアカンのや」


 創業数十年の企業で今まで作業手順書無しでどうやって工員の指導をしていたのだろう。しかも中島は年齢こそいっているが最も作業経験が少ないはず。


「なんかな、先輩らが作った手順書では作業が出来んかったから俺が作る羽目になったんや。二人が半年もかかって出来んかったものを作業を覚えながら社長から『早く作って!』ってせっ突かれながら作ってる」


 中島は「何も知らん奴がこれを見て作業できると思うか?」と元々会社に在ったであろう『ビーム交換作業手順書』を見せてきた。ビームとは布を織る時の経糸(整経と言うらしい)を巻いた大きな糸巻きの様なものだ。


「おいおい、一行で『ビームをセットする』では何が何だかわからんぞ」

「そうや、『これではわからない』って言ったら捲られた」


 中島は「俺が作ってるのはこれ、途中やけど」と別の作業手順書(仮)を見せてくれた。同じ『ビームをセットする』の部分は挿絵(上手くない)入りで細かな手順が書かれており作業のポイントらしき追加説明が赤字で書かれていた。これなら俺でも作業のイメージくらいはできると伝えると中島は「これこそ『作業手順書』や」と答えた。

 

「この作業書案をベースにして手順書を作ることになると思う。俺を含む工員三人と工場長で煮詰めていくと思うんやけど、正直言うと不安で仕方がない」

「不安?」


 中島の勤める会社は創業以来『書類に書式が無い』状態だったそうな。メモみたいな適当な紙に使った糸の量や残った糸の量を適当に書いて提出していたらしい。当然だが一般企業ならそんなやり方は通用しない。納品先からISOとやらに当てはまらないから改善するようにと指示が在ったそうだ。


「でな、最近はISOとかでキチンと書類を作ってデータを収集せなアカンらしくて、製織(布を織る事らしい)時の糸量を記載する書類を作ったんや」


 正式な書類を作るのに現場で経験を積んでいる二人が指名された、ところが二人とも何日たっても原案を出さなかった。


「社員Aが案を出して社員Bと意見を突き詰めるみたいな流れになるはずやったんやけどな、社員Aが案を出さんのよ。だから社員Bも動けない、そして社長が吠える」


 原案が出なければ腹下直管マフラーみたいな社長がギャンギャン吠える、それでも指名された二人は何も動かない。やり取りを見ていた中島が「こんな感じですかね?」と手書きで案を出した途端に指名されていた二人はだんまりを決め込み、結局中島一人が社長に追い詰められながら書式を完成させたらしい。


「今回も同じ流れや、だから休みは携帯を見んようにバイクを触ってる」

「そんなんしてたら体が休まらんやないか、顔色悪いぞ」


 それでも中島は「カブを触ってる方が精神的に休まる」と部品を注文するのだった。


「相談やったらナンボでも乗るからな、思いつめるなや」

「また来る」


 走り出したジャイロXの排気音は、少し悲しげに思えた。

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