150万PV突破記念・もう少し未来のお話⑤

 いつもなら「やっほ~晶ちゃん」とか言いながらお出迎えする母が出てこない。こんな大事な日に酔っぱらって寝ているなんて事は無いと思うんだけど。


「お母さん、もしかして寝てる?」

「寝てる訳ないでしょ」


 居間の戸を開けるとテーブルには正座した母の姿。いつもの部屋着ではなくブラウスにスカート。仕事に行くみたいな固い格好をしているのは話の内容がわかっているからだろう。


「この度は息子がとんでもない事をしてしまいまして」

「まさかここまで関係が進んでいるとは思っていなくて……」


 おば様が差し出したアップルパイに見向きをしない母を初めて見た気がする。いつもなら嬉々として受け取るのに。


 母の目が怖い。仕事モードの晶おば様の眼が『獲物を狙う鷹』だとすれば、今の母は戦闘モードの『今にも襲いかかろうとする虎』の眼だ。


 どれくらいの沈黙と静寂が続いたのだろう、長く感じたけれどほんの数秒だと思う。


「大よその話は億田さんの奥さんから聞いています。レイ、体の具合がおかしいならどうして私に言わなかったの?」


 些細な不調だったからだと答えると母は「そう」と言って軽いため息をついた。私を含めた四人は母の気迫の前に何も言えない。


「私の夫は小さなオートバイをコツコツと直し、自分の儲けはそこそこにお客様の事を常に考えていた人です」


 静かに語り始めた母だけど、怒気というか気迫がビリビリと伝わってくる。私はともかく、お義父さんたちと楓ちゃんは青い顔をして冷や汗であろう汗を流している。和やかなムードで「やった、私はお祖母ちゃんになるのね」と喜んでくれると思ったのに……。


「壊れて動かない小さなオートバイに命を吹き込み、お料理のできない私を愛し、家族を大切にした夫でした。夫は周りに自分は気楽に生きていると言っていました。でも、私には必死に……精一杯誠実に生きていたと思います」


 お義父さんとお義母さんが「責任を取らせます」と、そして楓ちゃんが「お嬢さんをください。必ず幸せにします」と両手をついて頭を下げた。


「薫さん、晶ちゃん。そして楓君……頭を上げて。話は人の目を見てするものよ」

「しかし、こちらの誠意が」


 あわてるおじ様にかまわず母の話が続く。


「呆れるほどに愚直で不器用。そんな夫の愛した娘が嫁入り前に妊娠しました……筋が通らないわね。私は夫に何と謝ればよいのかしら? 薫さん、晶ちゃん。あなたたちにもお嬢さんは居るよね? 同じ様に『妊娠しました結婚します』なんて事になったらどう思うかな? 想像してちょうだい」


 もう私たちは何も言えない。何も言えないけれど私のお腹には楓ちゃんとの赤ちゃんが宿っている。少し順序は違うかもしれないけれど喜んでくれると思ったのに。


「ところで、このアップルパイは何? アダムとイブが食べた禁断の果実にかけたジョークかしら? 場を和ませるつもりだったかもしれないけれど、チョッチ笑えないな……」


 この場に及んで嫌味まで言い始めた。もうどうすればいいのかわからない。言い返すべきだろうか、それとも謝ればいいのか。おば様が「せめてもの誠意だってうちの人が焼いたの」と言うと母は少し考えこんでから口を開いた。


「ここへ来たのも頭を下げるのも、手土産のアップルパイだってあなた達にとっては誠意かもしれない。でもね、それがこちらには誠意だって伝わってこないの」


 こんな事になるとは思わなかった。ちょっとだけ怒ってから「ま、イイか」って言って笑ってお終いと思っていたのに。


 「薫さん、晶ちゃん。そして楓君」


 平謝りの三人に対する毅然とした態度の母。テーブルにグイと身を乗り出して並んで座る私たちを睨みつけて言いました。


 「誠意って……何かしら?」


 部屋に重い空気が漂いました……。

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