修理の季節③

 スクーターの修理は面倒だ。特に後ろタイヤの交換が面倒臭い。


「カブやったらシャフト一本抜けば外せるのに」

「とと? おなかいたいの?」


 他の車種も似たようなものだと思うが、後輪を外そうと思うとマフラーが邪魔になる。マフラーを外そうと思うとメットインスペースが邪魔になる。でもってメットインの部分を外すためにはシートを外さなければいけない。そして面倒くさいと思って眉間に皺を寄せてしまうと娘に心配される。


「お嬢、お父ちゃんは難しいお仕事をしてるんやで」

「レイちゃん、あっちでヌクヌクしましょうね」

「やっ!」


 今日は金一郎と明日香さんがご来店。何というか、仲がよろしい。このまま結婚してしまえと思う。だが金一郎は「明日香さんは家政婦兼秘書、しっかり働いて借金を返してもらう」とビジネスライクな事しか言わない。将来の事は解らないが、案外寂しがりやな金一郎の事だから、明日香さんが借金の分を働いて家を出ようとしたとたんに土下座して「行かんといて!」とか言いそうな気がする。


「レイ、お姉ちゃんに迷惑をかけたらアカンよ」

「やっ!」


 プイと首を横に振る姿はどこかで見たような気がする。


「姐さんとそっくりや」

「金一郎、それを言うな」


 そう、レイは見た目だけでなく性格も小さいリツコさんだ。見た目や声が似ているのは大変よろしい。問題は食べるものだ、好物がよく似ているのだ。幼児なのに砂肝やホルモン、焼き鳥やお刺身等々。リツコさんの晩酌にくっ付いては「にゃあ~ん」と口を開けては「もう、ママのおツマミなのに……」と言われながら一口もらっている。


「あら? 何となくレイちゃんのお顔が黄色い様な……」

「ねーね、むいて」


 そうそう、レイは果物も大好きだ。まだ皮を剥いて食べる事ができないので大人に「むいて」とせがんでは剥いてもらったり食べさせてもらったりしている。果物はビタミン豊富だからお菓子より体に良いに違いない。コタツの上に置いてあるミカンの山が一日で無くなるのだから、よほどミカンが好きなのだろう。


「そうかな?」

「言われてみるとお嬢の顔が何となく黄色い様な……」


 肝臓が悪いときに出る『黄疸』という症状がある。顔が黄色くなるのだが、まさかバレンタインにリツコさんが自分用に買っていたウイスキーボンボンを食い荒らしたとか、おやつにしようと干しておいた梅酒の梅を盗み食いしてしまったとか、リツコさんが酒の当てにしていた奈良漬けを食べたとかで肝臓を傷めてしまったのだろうか? 肝臓は沈黙の臓器である。いよいよ限界に達した時に症状が現れる、つまりレイの体がピンチであり、俺は親として失格という事になる。


「おおおおおおお……えらいこっちゃ!」

「お嬢がっ! お嬢に一大事じゃあっ!」


 一刻も早く病院へ連れて行かねばなるまい。


「どどどどどどどどどどこの医者へ行けばいい?」

「高嶋市民病……大津の日赤……いや、滋賀医大じゃあ!」


 頭の中で『緊急事態』の文字が入り乱れ暴れまくる。


「お嬢は死なへんで! 儂が守るから!」

「ききききき金一郎っ! クルマを出せっ!」


 金一郎が「へい兄貴、億田金一郎一世一代のスピード違反じゃ!」と愛車のキーをポケットから取り出すと、すかさず明日香さんが取り上げた。


「金一郎さん、そんなに慌ててどうするんですか? 大島さん、クルマを貸してください。私が病院へ連れて行きますから」


 こんな時って男は役に立たないと思う。金一郎は「社長が大慌てで運転するよりマシです」と言われて「ああ、わかった」と座り直し、俺は家から保険証を持ってきて明日香さんに渡す。


「明日香さん、保険証です」

「こんなに元気なんですから、病気じゃないですよ」

「明日香さん、お嬢を頼んます」


 明日香さんの免許はAT限定、幸いな事に我が家の軽バンもオートマチックなので問題なし。チャイルドシートに座ったレイは元気そのもので病に侵されているように見えない。


「ねーね、むいて」

「あとでね♡」


 軽バンは少し不機嫌そうな排気音を立てて走り出した。どうやらマフラーに穴が開いたらしい。カタログには『ステンレスで錆びに強い』とあったのに普通に錆びる。大変由々しき事態である。


◆        ◆       ◆

 

 明日香さんにレイを病院へ連れて行ってもらったり、何件かの来店が有ったりと比較的忙しい一日が終わろうとしている。


「何かあったの?」

「まま、むいて」

「レイ、それは柚子や」


 お風呂に浮かべた柚子をレイはリツコさんに剥いてもらおうと渡した。


「今日な、レイの顔が黄色いから明日香さんに病院へ連れて行ってもろてな」

「そう? ん~っと、言われてみると黄色いかな?」


 お湯が冷めないように三人まとめてお風呂に入るとよく解るのだが、明るいところで見るとリツコさんも黄色い。そう言えばリツコさんもコタツでミカンを食べまくっていた気がする。


「黄疸かと思って慌てたら『柑皮症でした』って」

「ミカンを食べると黄色くなるアレね」


 説明しよう『柑皮症』とはミカンに含まれる黄色い成分が体内に蓄積されて手足が黄色くなる症状である。特に害は無いので放っておけば直るいわばミカンの季節の風物詩である。※かなりザックリ説明しています


「黄疸やと目も黄色くなるんやって」

「レイちゃんの目はキレイだから大丈夫ね」


 リツコさんも幼い頃、ミカンを食べすぎて黄色くなりご両親に病院へ連れて行かれたそうだ。でもって医師から「お嬢ちゃん、おミカン食べた?」と聞かれて元気いっぱいで「いっぱい食べた!」とお返事したんだとか。


「とと、むいて」

「レイ、それはミカンと違うで。いで?」


 結局、レイはその後も俺とリツコさんが折れるまで柚子の皮を剥いてくれとせがみ倒し、むいた柚子を見せた途端にガブリと噛み付いた。よほど酸っぱかったのだろう。驚くほどの大泣きをしたのだった。

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