十数年ぶりの再会⑦寂しい男

 リツコとレイが億田家に避難して二日目。リツコは億田家から職場の高嶋高校へ通い、レイは明日香に面倒を見てもらっている。


「リツコさんはお化粧せずに仕事へ行くんですか?」

「うん、お化粧するとレイちゃんが泣いちゃうの」


 お弁当を受け取ったリツコはいそいそとカバンに詰め込んだ。


「姐さん、行けますか?」

「うん、じゃあレイちゃん明日香さん、行ってきます」


 十二月の半ばになった高嶋市はすっかり冷え込み、道路には凍結防止剤が蒔かれる時期になった。凍結防止剤の主成分は塩、鉄で出来た古いスーパーカブが走るには厳しい季節。リツコは金一郎が運転する黒いセダン乗りこみ、高嶋高校へ向かった。


◆        ◆        ◆


 リツコとレイが居ない大島サイクルは静かなもので、店主の中は只々淡々と朝食を済ませ、店のシャッターを開けてエアーコンプレッサーを回して開店準備をしていた。独身時代を思い出し、「気楽やけど寂しいな」などと言いながら店先を掃除していると何やら排気音が近づいてきた。駐車場へ入ってきた銀色の軽バンは自家塗装で仕上げたO・Zラリー風ホイールを履いている。


「おっす、今日は朝からエエか?」


 軽バンのドアを開けて降りてきたのは作業場の一角を借りてエンジンを組んでいる中島。新型肺炎の影響は今も中島が勤める会社の営業に影響しており、週休三日で勤める日々が続いている。中島は「エエよ」と答えてポットの電源を入れる店主に紙袋を渡した。


「これは工場の借り賃、奥さんと食べてくれ。さてと、今日からメジャーな社外部品が登場ですよっ……と」


 腰下に組んだクランクシャフトやミッションは個人が輸入したり仕入れたりしたルートで取り寄せたマニアックかつマイナーな部品の数々だった。対して今回から使用するパーツはメジャーなバイクパーツメーカーから買ったカスタムパーツ。大島サイクルから取り寄せ出来ない事は無いが、個人で買う方が手っ取り早い品物が数点。主な部品は強化カムチェーンやテンショナーアーム、ジャンクから剥ぎ取ったシリンダーやピストンキット、あとはシリンダーヘッド周辺のガスケットキット。


「俺はな、(鉄製)スリーブがスタッドボルト穴にかかってるのが心配なんや。なぁ中島、こいつの寿命はどうなんや? 純正並みには持たんやろ?」


 ホンダ純正ガスケットキットなら大島サイクルに在庫している。中島が用意したのはシリンダーとピストンに合わせたシリンダー内径五十二㎜用のガスケットキット。俗に言う八八ハチハチキット用である。


「それは組み手と求めるもの、あとは使い方次第やね」


 純正部品の組み合わせと加工でチューニングする大島に対して中島は社外品を使ったパワー重視のチューニング。大島よりも安全マージンを削るだけあって耐久性は半分以下と言われている。エンジンチューンは安全マージンと出力を天秤にかけて妥協点を見つけて行う。


「今日中に組んでしまう、奥さんに悪いからな」

「頼むわ、リツコさんとレイが居んと寂しすぎて死にそうや」


 ピストンをコンロッドにセットしてピストンピンを刺し、ピストンピンクリップを取り付ける。オイルを塗って組み付けるところだが中島が使っているのはエンジン組み立て用ペーストだ。スタッドボルトの取り付け・ベースガスケットをセット。


「シリンダーを入れる時はこれを使う。純正やと要らんけどな」

「ああ、リングコンプレッサーな。コツさえつかめたら手で入るけどな」


 シリンダーにピストンを挿入・カムチェーン取付け・ガイドローラー取付けと続き、あっという間にヘッドの取付けまで作業が進んだ。


「ヘッドは組んで保管しておいたものを取り付ける。バルブ摺合せとタペットクリアランス調整は済ませてある。カムはハイカムやけどカムスプロケはノーマルで十分」

「お前の事やから肉抜きしたレーシングタイプを使うと思った」


 大島の指摘に「あんなものは格好だけや、対費用効果は知れてる」と答えながら作業を進める。見る見るうちにエンジンは形になり、いよいよ完成は間近。


「ここでフランジ付きのナットを使う。これは俺のこだわりや」

「不思議やな、カブでも五〇はフランジ無し、九〇は有りなんや」


 シリンダーを固定するキャップナットはカブ五〇用と九〇用は違う。五〇用は普通のキャップナットだが、九〇用はフランジ付きのキャップナットが指定だ。試に大島は普通のキャップナットを使ってカブ九〇のエンジンを組んだことはあるが、少し使ったくらいではそれほど違いは分からなかった。長期に使えば違いが出るのかもしれないが、少なくとも三年くらいではカブばかり弄る中にも違いが判らなかった。


「最後にタイミングが合うかをチェック……っと」


 クランクシャフトを二回転させて合いマークがクランクケ-スやヘッドにある目印と合うかチェックした中島はシリンダーヘッドにサイドカバーを付け、仕上げにOリングやオイルシールを交換したジェネレーターベースを取り付けてエンジン本体は完成した。


「はい、お終い。完成するとあっけないな」

「見事なお手前で」


 素人からすれば『エンジンをバラバラにして修理する』なんて難易度が高いどころか不可能に思える。ところがシンプルなスーパーカブのエンジンは必要な工具とそれなりの知識が有れば修理できてしまう。ゆっくり作業しているうちに時計の針は十時を過ぎた。ここで中島は「ここでガソリン補給」と小さな袋から飴を出して舐めはじめた。


「モンキーは可愛らしいし弄って楽しいけど盗まれそうで怖い。カブやと実用的やし長距離を走っても楽やから良い」


 このエンジンはカブに積むのかと大島が訊ねると、中島は「どうしようかな……」と少し考えて「とりあえず保管やな、横型エンジン補完計画」と答えた。


「機械はエエよな、嘘をつかんもん。眺めてるだけで癒されるわ」


 世捨て人の如く休日になると倉庫にこもり、独りでオートバイを弄る中島。人間との付き合いは最小限、近所とは変わり者と呼ばれる一歩手前の人付き合いしかしない。本人は語らないが過去の仕事で今都町の住民に陥れられて身も心もズタズタにされている。中島の過去を大島は詳しくは知らない。


「機械は嘘をつかんから良い、でもな……」

「でも?」


 中島と同じくカブ系エンジン搭載の小さなオートバイばかりを扱う大島。中島と通ずるところはある。


「ま、可愛らしい嘘は有るよな。ウチの奥さんみたいにな」

「ああ、これが『くたばれリア充爆発しろ』なんやなぁ」


 似ているようで違う、違うようで似ている二人の世間話とバイク談義は続き、長居をした中島は来客のオイル交換を手伝わされたりついでにと細かな部品を買ったりしてから「今度来る時は来年やな、良いお年を」と、組みあがったエンジンと共に大島サイクルを後にした。


◆        ◆        ◆


 金一郎宅から帰ってきたリツコさんは「やっぱり家が一番ね」などと言いながらコタツでくつろいでいる。レイはリツコさんに抱っこされてウトウトしている。眠いならばと布団へ運ぼうとしたが、コタツの方が良いらしい。移動させようとすると嫌がる。


「ふ~ん、じゃあ私の脱ぎたてパンストを寄こせっては冗談だったわけね」

「そうやな、使用済みのパンストなんかお風呂の垢すくいくらいしか使いようがないもん」


 漫画で読んだのだが、ファンベルトの代わりに使えない事も無いらしい。


「で? 工場のレンタル料代わりにコレをくれたのね? 良い匂いね」

「思ってたより気が利くよな、厚めに切っとくで」


 中島が手土産に持ってきたのは市内の某ケーキ店で売られているブランデーケーキ。これがまたブランデーの良い香りがするのだ。お酒と甘い物がタッグを組めば我が家のニャンコリツコさんはまっしぐら。「にゃふっ♡」と言いながら一口パクリ。俺も切れ端をつまむ。


「ふむ……甘いケーキにブランデーの苦みと酒精が嬉しい不意打ち」

「ほう、これはリツコさんが好きそうな味やな」


 ブランデーが効いたケーキは甘さのあとからブランデーの風味が追いかけてくる。お酒好きにはたまらない一品だ。大喜びのリツコさんは「もう一切れちょーだい」とおねだりしてきた。


「変態で金に汚い極悪人やと思ってたけど、あいつは寂しがり屋なんかもな」

「あ、レイちゃん寝ちゃった。寝かせてくるね」


 俺と中島は全く違うようで行きつく先は同じ。年が近けりゃバイクの好みも似ている。ならばあいつも何時か幸せを掴めるのだろうか。豪快な言動だが繊細な心、そんなプライベーターの幸せを祈りつつ、師走の夜は更けてゆく。

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