第455話 金一郎の同居人

 傾きかけた家業を何とか立て直そうとしていた両親が、納品途中の事故でこの世を去って数ヶ月。会社の資産を処分したけれど、残った借金は数千万円。自己破産を考えたけど、お金を借りたのは闇金融。道理の通る相手じゃ無かった。金利は法外。普通に働いて返せる金額じゃ無かった。


―――五十鈴さん、幸いな事にアンタは見てくれが良い。少し嫌かもしれんが、そっちの道へ行けば借金は返せると思う。なぁに、生きてりゃイイ事はあるって。


 要するに風俗へ行って働けという事だ。女の魅力で男をたぶらかせ、体を武器にして生きて行く。内蔵を売って金を作るんじゃない。性病に気を付ければ何とかなるだろう。この業界には『水揚げ』と言って初物を求める声もあると聞く。せめて初めては好きな男に捧げたかったが仕方がない。


―――まず水揚げやな、これで百万……いや、アンタならもっと高値かもな。


 ところが運命はどう転がるか分からない。お風呂屋さんの支配人室で偶然の出会いがあった。


―――お? ちょうどエエわ。


 私は金融業者に引き取られました。


◆        ◆        ◆


 私は片田舎にある金融業者の社長宅で働くことになりました。愛人とか性奴隷じゃなくて住み込みの家政婦としてです。


「旦那様、朝ですよ。起きてください」


 特殊浴場の支配人室へ連れていかれた私。そこで偶然出会ったのが雇い主の億田金融代表・億田金一郎さんです。


―――支配人、良かったらこのお嬢さんを儂に譲らんか? 代金の代わりに、今月の金利はチャラにするで。何? 借金がある? ふ~ん……。


 偶然だけど、今まで旦那様のお世話をしていたお婆さんが高齢になり、そろそろ隠居したいと言っていたそうです。どうしたものかと困っていた所に見つけたのが私だったそうです。


「もうちょっと寝させて~」

「駄目ですよ、今日は大事なお客さまがいらっしゃるって言ってらしたじゃないですか、お願いですから起きてください。私が志麻さんに叱られちゃいます」


 旦那様は見た目が怖い(仕事中は特に怖い)けれど、とても優しい方です。私は個室が与えられ、小説や怖いドラマみたいに乱暴をされる事も無く、平穏な日々を過ごしています。


「あ、そうか。今日は客が来るんやった」


 仕事中のバリバリモードじゃなくて、お家でリラックスしている旦那様は、何となく熊さんみたいです。大きな子供を世話しているみたい。


「朝ご飯のご用意が出来ています」

「この匂いはパンやな? 中兄ちゃんのくれたジャムは用意してある?」


 旦那様は見た目に寄らず(失礼か)甘い物が大好き。しかも手作りの物が好きです。


「はい、今朝はイチゴのジャムを解凍しておきました」

「ありがと。さぁて、モリモリ食ってバリバリ働くぞっ!」


 旦那様は大きな体をしているからか食欲も旺盛です。気持ちの良い食べっぷりです。


「ところで、五十鈴さん。『旦那様』は勘弁してくれんか? 照れくさい」

「では、何とお呼びしましょう?」


 旦那様は「ファーストネームがあるやろう」と言って一口、コーンスープを飲んだ。そして、「何やったら『お兄ちゃん』でもエエで」と付け加えました。さすがに『お兄ちゃん』と呼ぶのはどうかと思います。


「でも、よろしいんですか?」

「よろしいも何も、儂が言うんやからOKや。それと、出来れば敬語も使わんで欲しい。会社や無いんやから気楽に頼む」


 この朝から私は旦那様を『金一郎さん』とお呼びすることになりました。


「今日はどのスーツにしようかな……」

「こちらの縦縞のスーツと虎柄のネクタイはどうでしょう?」


 昨日、「明日は大阪から来客がある」とおっしゃられていましたので、タイガースっぽい感じでコーディネイトしてみました。


「おう、今日の客は阪神ファンやった。」


 金一郎さんの着替えを手伝い、お見送りをしてから私の本格的なお仕事が始まります。


「では、行ってきます」

「いってらっしゃいませ」


 洗濯機を回しながら家中を掃除して、洗濯物を干してからお料理の勉強とベビーシッターをする為に金一郎さんの兄貴分のお家へ出かけます。兄貴分と言っても堅気の方です。


―――大島家のカレーと、あとはジャムの作り方を覚えるように。


 こんな事で借金を返済できるほどお給料を貰えるのか不思議だけど、他に道は無りません。この道を行けばどうなるものか、それは私にはわかりません。


◆        ◆        ◆


 ブブン……ベンベンベン……。


 十時を過ぎた頃、2ストロークの白煙と共に五十鈴さんがやって来た。我が家に有っても毎日乗らないジャイロは、五十鈴さんに貸してから調子が良くなった。やはり機械は毎日ある程度動かすのが好調の秘訣だ。


「俺は五十鈴さんに教えるほど料理上手じゃないけどなぁ」

「あの子は私よりずっとお料理が上手」


 そもそも料理が出来る彼女に教える事なんて少ししか無いのだ。サクサクと調理を進める五十鈴さんに対して、我が家のニャンコと来たら……危なっかしくて見ていられない。見るけどな。


―――逃亡防止を兼ねてですわ、逃げたら携帯に連絡を……。


 三輪バイクに乗っていれば目立つし、我が家に居れば一人でいるより安心だと思う。金一郎は少々物騒な事を言っていたが、本心は債権者から守る為じゃないかと思う。何でそんな事を思うかって? 原付があればいつでも逃げようと思えば逃げられるからだ。行動範囲を広げて新しい世界を見せるのはカブだけじゃない。


―――訳ありですわ、個人情報やから詳しい事は言いまへんけど。


 先日、金一郎は新車を注文してくれた。外回りの今都君が使うカブを更新して、今都君の使っているカブを五十鈴さんに与えるそうだ。ついでに頼まれたのは料理の指南だ。


―――大島家の味を、おばちゃんの味を教えてやってください。


 実際に教えてみると、彼女は料理に関する基本的な事が出来る。


―――少なくとも、姐さんより料理上手です。 


 リツコさんと違って料理の基礎が出来ている。これは大きい。


「何や、きちんと料理できるがな」

「ええ、でも旦那様が『大島家の味を覚えるように』とおっしゃいまして」


 金一郎は自分好みの料理を作ってもらおうと思っているみたいだが、レシピを書いたノートを渡しておけばそれで済むんじゃないかと思う。


「ウチの奥さんの方がよっぽど料理を教えなアカンで」

「にゃう……」


 そこで、料理の基礎が出来ている彼女にはレシピノートをコピーして渡す事にした。リツコさんは彼女に料理の基礎を習いつつ、味が再現出来ているかの味見役だ。おかげで俺は仕事に集中できる。バイクの修理をしながら住居へ行くのは面倒なのだ。オイル臭い手でレイを触りたくないし、食材も触りたくない。だから手洗いをしなければいけないのだ。


 作業を続けていたら、ご近所が配り物を持って来てくれた。


「こんにちは、高嶋高校同窓会からの配り物です」

「御苦労さんです」


 母校で有りリツコさんの仕事場でもある高嶋高校は令和二年に創立百周年を迎える。同窓会役員に五千円の寄付金を渡して、受け取った会報に目を通す。


「へぇ、安曇河高校は普通科が廃止か」


 届けられた会報には少子化と若者の流出に歯止めがかからず、進学校の安曇河高校は普通科が廃止されるとあった。それに伴い、高嶋高校に進学に特化した学科が創設されるそうな。建物の老朽化と耐震性についての記載も有った。そして、移転の可能性も。ウチの商売に大きな影響が無ければ良いのだが……。


「どうなるかは解らんけど、俺はバイクを直すしか能が無い男やからな」


 直すものは売るほどある。くたびれたバイクを前に気合を入れる俺だった。


◆        ◆        ◆


 午後三時までお料理の勉強と、赤ちゃんのお守をして、作ったお料理をバイクに積んで帰宅しました。このバイクは箱が付いています。荷物を運ぶのに便利です。私も何時かオートバイや自家用車を持てるようになるのでしょうか?


「さて、晩御飯のおかずはバイク屋さんで作った物を出せばいいんだっけ?」


 もしかすると旦那さ……いや、金一郎さんは晩御飯を作る手間を考えて大島さんの家へ私を派遣したのかもしれません。大島さんのお家には食材が買いそろえてあります。おかげで私はお買い物へ行かなくて済んでいます。


「もう一品欲しいかな? そうだ、レシピノートにあるポテトサラダなんて良いかも。コッペパンに挟んで明日のお昼ごはんにしようっと」


 大島さんのお宅へ行くのは月・水・金の三日間です。明日は億田宅で家事に専念します。ポテトサラダを作ってからは洗濯物を取り入れて、ワイシャツにアイロンがけをしたり、お布団を整えたり。あとはお庭の掃除をしたり郵便物を取り入れたりと、雑用をしている間に夕方となりました。運転手付きの高級車で金一郎さんが御帰宅です。


「旦那様、お帰りなさいまし」

「いや、そやから普通に、普通に『おかえりなさい』でエエから。あと、旦那様って言わんといて。本気で緊張するさかい」


 そうでした。会社や外出先では『社長』『旦那様』ですが、お家の中では『金一郎さん』とお呼びする約束でした。


「帰ってすぐに温とい温かいってエエなぁ」

「晩御飯にしますか、それともお風呂にしますか?」


 スーツをハンガーにかけながら聞くと、部屋着に着替えた金一郎さんは「ご飯、お腹空いた!」と食卓へまっしぐら。子供みたい、ちょっと可愛いです。


「お、ポテトサラダがあるやん。それにカレーも。今夜は御馳走やなぁ」

「金一郎さん、中濃ソースを買っておきました」


 どうなる事かと思った私の新しい生活。


「そうそう、この味この味。うん、うん」


 金一郎さんはポテトサラダに中濃ソースを垂らし、嬉しそうに食べています。


「ん~っと、カレーは……これはこれで美味い!」

「よく噛んで食べなきゃダメですよ~」


 見た目は少し怖いけれど、少なくとも悪い人ではなさそうです。これからの生活が上手くいきそうな気がしてきました。

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