第445話 大島家の長い一日・中さん立ち合わないで
一緒に住んでそれなりになるが、リツコさんは時たま妙なものを食べたがる。その一つがパンを牛乳で煮込んで砂糖で甘く味付けしたパン粥だ。モリモリ食べたら元気が出たみたいだ。
「よし、食べた」
「お粗末様、少し休む?」
心配する俺に「休んでる場合じゃないの」と言ったリツコさんは気合を入れて廊下へ歩き出した。
「薬なんかに頼るもんですかっ!」
子宮口が全開になるまでの時間を短縮する方法の一つが適度な運動。陣痛促進剤を拒んだリツコさんは必死の形相で階段を上り下りしたり廊下を歩いたりしている。無論俺も一緒に歩く。
「フーッ! フーッ! 痛たたたたたたっ!」
「リツコさん、大丈夫? 少し休もう」
痛みを必死で堪える彼女の顔は汗だくだ。
「ううぅ……うん」
廊下の途中にある長椅子に腰かけて水分補給。
「はい、ジュース」
「ありがと」
リンゴジュースを一口飲んだリツコさんは「ふぅ」と一息ついた。陣痛の間隔は一時間に五回だったのが十分に一回、そして半時間に四回と短くなってきている。
「(陣痛の間隔が)短くなって来た。お部屋に戻ろっか」
「そうやな、ほな行こか」
部屋までの距離が妙に長く感じる。
◆ ◆ ◆
痛みが来る間隔が短くなり、痛みが続く時間が長くなってゆく。そろそろ動くのが辛くなってきた。水分補給にリンゴジュースを一口飲んでからお部屋に戻る事にした。とにかく腰が痛い。
「きゅうぅぅぅ、痛い~痛ぁい~」
「ここ? もっと強く?」
「そこ、でももっと強く!」
落ち着いたのか中さんの指がツボを上手に押すようになってきた。慌てふためいて転んでいた時は心配になったけれど、何とかいつもの中さんに戻ったみたい。ところでだ、冷静になってみるとやっぱり産まれそうなのだ。そう、我が子だけではなくて別のモノも産まれそうなのだ。そりゃもうドッサリと、ドッサリと出そうなのだ。
(いきんだら絶対に出る)
私にだって恥じらいはあるし隠したい部分もある。人生はキレイ事ばかりじゃない。汚い事だって山ほどある。その汚いモノが山ほど出そうなのだ。これは一大事。中さんは立ち合う気満々満足一本満足で居るけど何とか回避したい。いや、回避しなければ絶対に引かれる。ドン引きされちゃう。
「ねぇ中さん、時間がかかりそうだから一旦お家に戻っていいよ」
「なんでやねん、一緒に居る」
どうしたものかと考えていたらまたまた陣痛がやって来た。私は陣痛に耐えながらどうすれば夫が出産に立ち会わない方向へ持って行けるか考えていた。
(中さんは嘘が嫌いだからなぁ、仕方がない正直に言おう)
ここは正直に言うしかない。腹をくくって話す事にした。
「中さん、相談したいんだけどね」
「この期に及んで何?」
出産時に約三割が赤ちゃんと一緒に便が出てしまう事、そしてドラマや映画みたいにキレイな赤ちゃんが出て来るんじゃなくて血みどろだったりするとか胎盤の後処理とかで大変な事を話した。会陰切開だとお股を切ったりとか、男性にはショッキングな事が多いのだ。
「でね、中さんにウ〇コをする姿を見せたくないの。お願いだから外で待っててほしいの。あっ痛たたたたたっ」
もうこれ以上の会話は無理。言う事は言った。あとは野となれ山となれ。堪え切れないウ〇コよ出来る事なら笑いとなれ。
「ん~子宮口が全開に近いですねぇ、分娩台に移りましょう。奥さんは立ち合いを嫌がられているみたいなんでお父さんは外で待っていてくださいね」
診断してくれた医師も説得してくれたけど中さんは納得していないみたい。ところが医師が耳打ちした途端に青ざめて立ち合いを諦めてくれた。
「リツコさん、ファイト! 元気が有れば何でも出来る!」
「行ってきます」
何を言ったか知らないけれど恥ずかしい姿を見られないならそれでOK。中さんの声援に後押しされて気合が入った私は車椅子に乗せられて分娩室に移動した。この道を行けばどうなるものか、行けばわかるさ何事も。行くぞっ!
「それじゃですね、力の入りやすい角度に調整しますから言ってくださいね」
「はい、えっと、もうちょっと手すりを立ててください」
分娩台に移動した私は両脇にあるバーと背もたれの角度を調節してもらった。
◆ ◆ ◆
立ち合い出産を希望していた俺だが、医師から「立ち合った夫の骨を砕く産婦は割といます」と言われて思わず引き下がった。そう、初めて一晩を共にした日、リツコさんはとても凶暴だったのだ。
「うん、リミッターが解除されたリツコさんは凶暴」
酔ったリツコさんは大暴れして我が家の客間を壊滅状態にした。『火事場の糞力』って言葉もある。人間は極限状態になると思わぬ力を発揮する。もしかするとリミッター解除の状態でパンチの一つも飛んでくるかもしれない。
「ああ、でも立ち合う方が良かったか」
心配で心配で仕方がない。でも何も出来ず立っては歩き、歩きまわっては座るを繰り返してしまう。こんな時の男は無力だ。何も出来ない。
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