第441話 大島家の長い一日・AM9:30

 妊娠初期は怠さと食欲減退、しばらく落ち着いてからは便秘。お腹が大きくなってからはうっかり上向きになって眠るとお腹の重さでうなされる。でもお腹が大きな時期と猛暑が重ならなかっただけまだ楽だったのかもしれない。


「変だなぁ……」


 少し遅い朝食を終えた私はお腹に違和感を覚えてトイレに籠っていた。今朝も出ない。いや、出る事は出るんだけど残っている感じがする。


「うう……何だか出そうな出ない様な……」

「予定日を過ぎたけど何も無いなぁ、お医者さんに行く?」


 中さんは心配し過ぎだと思う。おばちゃん達は「初産は予定日より遅れるもんやで」って言ってくれてるし、お医者さんも「赤ちゃんが産まれたいって合図を出します」って言ってたんだから落ち着いて欲しい。


「中さんは心配し過ぎ、男ならドンと構える」

「でも心配やん、忘れもんは無いかな」


 ああ、また入院セットが入ったカバンを点検してる。それよりもミントちゃんを修理して欲しいのに。ところでミントちゃんは何処に行ったんだろう?


「ところで中さん、ミントちゃんは何処に行ったの?」

「ん~? バラバラになって部品を皆が直してる」


 よし、上手くいってる。ミント補完計画は無事に進んでいる様だ。説明しよう、『ミント補完計画』とはミントの修理に乗り気じゃない中さんを周りから攻めてミントの修理を進める計画である。別名『ヤマハ作戦』とも言う、私だけね。


「そう、じゃあ組み立ては中さんだね」

「うん、でもナンボ掛かるか不安で仕方がない。それよりもリツコさんの陣痛がいつ来るかと思うと気が気じゃない。とにかく万全の体制で―――――」


 そう言えば母が『あなたが産まれた時、お父さんはあまり頼りにならなかった』って言ってた。仕事で疲れて熟睡していた父は起こしても起きず、祖母が色々と出産の段取りをしたそうだ。父が目覚めると私は生まれていて、母は「何だかなぁと思った」らしい。


「えっと、着替えはこれでエエんかな、保険証に母子手帳、あとは――――」


 バイクを修理する時と大違いな夫を見た私は少しだけ心配になった。


◆        ◆        ◆


 リツコさんは朝からトイレに籠ったり、水を飲んだりしている。本人は便秘だと言っているが単なる食べ過ぎじゃないかと思う。妊娠中、特に胎児が大きくなってからは便秘になりやすいと本で読んだが、どう考えても食べ過ぎだ。俺の四割増しくらい食べているのからお腹が張るのも仕方がないと思う。


「あんまり変やったらお医者さんに行こうな」


 トイレから「は~い」と返事が聞こえた。俺もトイレに行きたいのだが仕方がない。店のトイレを使おう。


 いつでも医者へ行けるようにと思うと大修理は出来ない。程度の良い中古車や少しの整備で商品化できるスクーターを弄る。作業中もリツコさんの様子が気になって仕方がない。おかげで締めつけトルクを間違えてボルトを駄目にしてしまった。リカバリー可能な所でよかった。もしも部品交換なんてなったら利益が減ってしまう。


(子供の為にも稼がんとな……その為には経費削減!)


 バイクの値段を上げることは難しい。学生たちが通学に使う中古オートバイは値付けがシビアだ。他店より値段が高ければ売れないし、安くするのにいい加減な整備をして売り出せば店の評判が落ちる。


「(作業が)捗らん。のんびりやるか」


 今シーズンは雪が降っていないので学生達はまだバイクに乗っている。例年なら完全なオフシーズンにも拘らず今朝も何台かオートバイを見かけた。寒くても雪さえ降らなければバイクで通うのは若さゆえ可能なのだろう。俺も高校時代は冬でも晴れてさえいれば自転車で通ったものだ。


「今年は暖冬やな、灯油代が掛からんのはええけど」


 これだけ暖かならカブに載せるエンジンを組もうかと思ったその時、トイレからリツコさんが出てきた。一人でいるのが寂しいのか作業場にやって来た。


「リツコさん、大丈夫?」

「大丈夫だけど、スッキリしない」


 やはりお腹の具合が良くないのか表情が冴えない。急ぐ作業は無く手のかかる修理も無い。気分転換にラジオをつけると新番組だろうか。


『さて時刻は九時三十分、交通情報のお知らせです。日本高速道路センターの――――」


 もうすぐ十時。いつもならリツコさんからおやつのリクエストがあるはず。


「リツコさん、おやつはどうする?」

「要らなぁい」


 やはり元気が無い。不安に思ったその時、何かが弾ける音が聞こえた……気がする。


 

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