2019年12月 続き
第435話 クリスマスイブの出来事
元々キリストの誕生日だったクリスマス。いつの間にか大騒ぎするイベントとして定着しているが、大島サイクルも例外ではない。
「中ちゃん、晶様のブロマイドちょーだい」
「ほい、一枚はプレゼント。これ以上は有料」
「私は全種類と晶様の薫ちゃん抱っこブロマイドを二枚追加で」
「ほいや、じゃあ有料の奴は七枚ね」
いつぞやに撮影したクリスマス限定葛城ブロマイドの売れ行きは絶好調。彼氏が居る理恵や綾だけでではなく、夫が居る人妻や夫に先立たれた婆様まで無料ブロマイドだけではなく有料のブロマイド(全五種類)を買って帰る。
「晶ちゃんは女性(のみ)に大人気ねぇ……」
「恐ろしいほど売れるなぁ、宝塚的な感じなんかなぁ」
お腹の大きなリツコさんはモコモコになって俺の後で呆れている。ちなみにこのブロマイドは諸費用を除いた利益を出産費用に充てることにした。
「まぁともかく、皆が喜ぶんやったらエエんと違うか」
今朝は冷え込んで霙味りの雨だった。今は晴れているが夕方からの天気は雨。二十三時以降は雪だるまのマークが出ている。雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう。
◆ ◆ ◆
クリスマスと言えども世間一般では年の瀬で大忙しの毎日。公務員の晶とパン屋勤務の薫は琵琶湖畔のホテルでディナーをするほど経済的な余裕が無い。しかも美男(?)美少女(?)で有名な二人は小さな高嶋市、しかも地元の安曇河町でデートをするのは目立ちすぎる。
「君の瞳に……乾杯」
「そういう事を言うからモテモテになるんだよ……晶ちゃん」
仲良しカップルの晶と薫はカチンとグラスを合わせた。グラスの中はシャンパンではなくて高嶋町にある酒蔵が出しているレモン酒。二人が大好きなお酒だ。
「いいのいいの、私は薫さんに女の子扱いされるだけで満足なんだから」
薫と付き合って以降の晶は署内だけでなく大島サイクルや商店街でもサービス旺盛になっていた。望まれれば甘いセリフや胎児から老婆まで魅了する笑顔もサービスする日々。男性と間違えられても泣かない、それは薫のおかげ。
「晶ちゃんは女の子だよ……メリークリスマス」
「メリークリスマス」
殺風景な晶の部屋ではなく、暖かな雰囲気に漂う薫の部屋で普段よりも少し豪華な食事。そして食後は商店街で買ったクリスマスケーキを食べてからはプレゼントの交換。晶は薫に胸部プロテクターを渡し、薫は晶にネックレスを送った。
「晶ちゃんの御家族と会った時はビックリしたよ、みんな背が高いんだねぇ」
「パパが元バスケ部、ママは元バレー部。どっちも大きな家系なんだよね、でもって私の可愛いもの好きはママゆずり。私、薫さんに振られたら勘当なんだって」
ドラマチックな事も無く淡々と過ぎるクリスマスイブは慎ましい幸せか、それとも嵐の前の静けさか。ともかく二人は後片付けを終えてから仲良く入浴をして……。
―――――
……ではなくてソファーでくつろぎながらDVDを観ていた。
「何回見ても好きなんだよね、このアニメを観て警察官になりたいなって」
「僕も。DVDがあるのにテレビで放送されると見ちゃう」
画面ではフィアット500が縦横無尽と走り回り、手榴弾の爆発でボロボロになりながらも爆走を続けていた。
「本当は整備不良にスピード違反、あとは走行帯違反に銃刀法……は国によって違うからここではお咎めなしか、そもそも主人公が泥棒って時点でアウトだよね」
挙げればきりがないのだが、職業柄気になって仕方がない晶だった。そんな晶を微笑んで見ている薫。
「晶ちゃんはどのシーンを見て警察官になろうと思ったの?」
「そりゃあ、ラストシーンに決まってるでしょ?」
とても有名な『物を盗んだのではなくて、あなたの心を盗んだ的な事を言うシーン』を挙げた晶は何とも渋いというか何と言おうか。
「ふ~ん、それで将来が決まる事もあるんだねぇ……」
「うん、私はホラ、お姫様になれないからね」
残念ながらお姫様っぽいのは晶よりも彼氏である薫の方だったりする。晶はどちらかと言えば王子様キャラだ。
「本当はなりたいんでしょ?」
「うん、女の子だったら誰だってお姫様に憧れると思うけどなぁ……」
お姫様になりたいの王子様になってしまった晶。女の子らしい本音を聞いた薫はますます彼女の事が愛しくなった。
「薫さんは子供の頃は何になりたかったの? 最初からパン屋さん?」
「ん~っとねぇ、子供の頃はサッカー選手だったかな?」
小柄な体格の薫は一時期スポーツ少年団に入ってサッカーをしようと頑張っていた。だが、残念ながら体格に恵まれず断念してしまった。
「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ大人になってからは?」
「大学では何も考えずにサラリーマンになるつもりだったなぁ。就活で失敗してから手に職を付けようと専門学校へ行って、その後はパン・ゴールに就職」
薫は大学卒業後、専門学校に入学して流されるままパン職人になった。
「そうなんだ、じゃあ憧れていた仕事とか無いんだ」
「ううん、有るよ」
晶の頭に花屋さんでエプロンをして働く薫の姿が思い浮かんだ。所が薫の答えは予想外の職業だった。
「
「猟師さん? じゃあ、ある意味私と一緒ね。『高嶋署の白き鷹参上!』なんつって……可愛くなくってゴメンね」
「晶ちゃんは可愛いよ」
お姫様になる事を諦めた晶が就いたのは警察官。その中でも最も狩る側である白バイ隊員だった。女の子なのについたニックネームが『高嶋署の白き鷹』なのはいかがなものかと思ったが、今ではそこそこ気に入っている。
「たまには晶ちゃんも狩られてみる? しかもお姫様になっちゃう?」
「?」
薫はスッと立ち上がり、壁際にある棚へ向かった。
「今夜の僕は
棚から取り出したのは小さな箱。薫はそれを持って晶に跪いた。流石にこれを見てピンと来ない女性はいないであろう。正に人生のアタックチャンス。プロポーズは人生の大事な大事なアタックチャンス。
「ロックオン。どうかこのスナイパーに仕留められてください」
薫が開いた小箱の中にはダイヤの指輪。
(リツコちゃんとコソコソ話していたのはこれか、なるほどねぇ……)
「薫さん……了解しましたっ!」
「いや、あの……出動命令じゃないんだから……ね?」
薫は敬礼する晶の左手を取り、薬指にそっと指輪をはめた。降り始めた雨はいつの間にか雪へと変わった。だが積もりそうにない。
◆ ◆ ◆
「……と、そんな訳で、ジャン♪」
葛城さんの左手薬指に輝くダイヤの指輪。シンプルだが非常にセンスが良い。以前相談を受けた時に「葛城さんにゴテゴテ似た指輪は似合わんと思う」と言ったのだが、浅井さんのセンスはなかなかのものだ。
「晶ちゃん、やったね……いたたたたたたたた」
葛城さんが来るとお腹のレイはよく動く。お腹の中で大運動会だ。どんな元気な赤ん坊が生まれるのだろう。
「俺なんか色気が無いプレゼントを貰ってなぁ、ほら、コレ」
「本?」
「サービスマニュアルよ」
リツコさんがくれたのはヤマハミントの整備解説書だった。つまりこれはミントを修理しろって事だ。俺はヤマハのバイクが嫌いな訳ではない。だがミントはレストアする価値が無いと思う。
「これを片手に分解してるんやけど、今年はここらへんでお終い」
お終いと言った途端にリツコさんが「え~」と抗議の声を上げたが、餅無しの正月を過ごすか2ストオイルでギタギタになった手でこねた餅を食いたいか選べと言ったら黙った。
「クリスマスケーキを斬る時だけナイフの使い方が上手やってな」
いつぞやのどら焼きと同様、リツコさんは「半分こ♡……今宵のナイフは一味違うぞ」と言いながらナイフを水平に動かした。そしてデコレーションされた上部とスポンジ部分を上下半分に斬ったのだ。
「つまらぬ物を斬ってしまった……」
「いや、下半分を食わされた俺の方がつまらんで」
ちなみに俺が送ったクリスマスプレゼントはカーディガンだったりする。モコモコにならないように温かい良い生地の物を選んだ。
「それにしてもボロボロねぇ、部品取り車を買う方が安いんじゃない?」
「いや、直すより動く奴を買う方が早い」
カブなら多少程度が悪くても何とか直そうって気になる。だがミントは直そうって気にならない。分解している最中もこのまま粗大ごみに出してしまおうかと思うのだが、リツコさんが見張りをしているのでそんな事は出来ない。
「ミントには羽根が無いからなぁ」
基本的にウチは本田のバイクを扱っている店だ。ホンダのバイクはロゴに羽根が在るのが良い。遥か未来へ目指す為の羽根だ。
「このミントを直すとなると、金が羽を生やして飛んで行くで」
ともかく今年は仕事納め。ミントはバラバラ、他にもやり残した仕事はある。来年早々にリツコさんは出産予定。やらなければいけない事はこれから山積みだ。とりあえず明日は大掃除。今年もよく頑張ったと思う。来年も良い年でありますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます