第417話 リツコの暇つぶし
産休に入って以降のリツコは手持無沙汰。以前は料理以外の家事はしていたのだが、最近は洗濯物を畳んだりする程度。何かしようとすると「リツコさんは妊婦さんが仕事」と言われて休まされてしまう。朝は連続テレビ小説を見ながら朝食を食べ、その後はテレビを見ながらポケ~っとしたり、作業場に出て来て中の作業の様子を眺めていたり、天気が良いと店の前をプラプラと歩いたり。
近所のおばちゃんにも可愛がられ、合間にお茶を淹れたりお喋りをしながら過ごすのが日課となっている。
(今日は何だか怠いなぁ……お買い物に付いて行って歩きまわったからかな?)
元気なリツコだが大きなお腹で動き回ると疲れが出る。そんな日はお茶菓子を摘みつつインターネットでWeb小説を読んだり調べ物をしたりする。中から『食べるなら少しでも体に良い物を』と渡された五穀入りビスケットをポリポリと食べながら画面を見ていたリツコはふと思った。
(そう言えば、私ってスーパーカブの事を良く知らないや……)
散々乗り回しておいて今さらの感は在るが、よく考えればスーパーカブはリツコの幼い頃には作られ続けてロングセラーだ。身近すぎるがゆえに存在が当たり前となっていて詳しく調べようと思わなかった。
(中さんが『ウチで扱うカブは十二ボルト電装のキャブ時代のばかり』って言ってたな……ちょっと調べて見よっかな?)
十二ボルト電装のキャブレターのカブは二十年以上作られ続けていた。しかもカブと一括りにしているが細かく分類すると車種は多岐にわたる。
「郵政・プレス・カスタム……まずはリトルカブから検索。ポチッとな」
リツコは愛車のリトルカブについて調べ始めた。
◆ ◆ ◆
「僕のカブって普通のカブと何か違いますよね?」
オイル交換で来店した浅井さんはバイクに詳しくない。職業ライダーの彼女に刺激されて小型自動二輪免許を取った初心者だ。
「ん~、郵政カブやからなぁ」
キャブレター時代のカブの場合、五〇㏄のモデルはAA〇一で九〇㏄はHA〇二。最初のアルファベットが排気量で次がフレーム形状だそうな。その前の時代はC五〇とC九〇だったのがいつの間にか改訂された。何故かカブ七〇はC七〇のままだったらしいがその辺りはフレーム形式が改められた時代が絡んでいるのだろう。
ちなみにカブ七〇/九〇のフレームは五〇用よりちょっとだけ重い。厚い鉄板で頑丈に作ってある。二人乗りや六〇㎏の積載(原付一種は三〇㎏まで)に耐える為だろう。
「郵便用のカブは違うんですか?」
「カブはカブやけど全く別なバイクやと思うで、
郵便配達で使われる郵政カブは形式からして他のカブと違う。浅井さんが不思議そうにしているが、郵政カブは少し特殊な形式で『MD』となっている。フロントサスペンションは普通のバイクと同じテレスコピックだし、ハンドルがパイプ。フレームはタンク別体で使われている鉄板も厚くて重い。タイヤも十四インチになって小回りが効く。その他にも説明しきれない程の変更点がある。更に九〇㏄のMD九〇はエンジンがCS九〇系でOHV時代を源流とした別エンジンになっている。
「……と、おっちゃんは郵便局の指定整備店じゃ無いから詳しくないけど、浅井さんの
ちなみに浅井さんの郵政カブは俺がコレクションとして残しておこうと念入りに整備しておいた取って置きだ。全部バラバラにして修理・点検・清掃・潤滑してある。
「ふ~ん、良くわからないけど……まぁいいや」
「ところで、珍しく平日の昼間にご来店やけど、今日はお休み?」
「ええ、今日と明日は工場のメンテナンスで臨時休業です。ピザ用に石焼釜が入るんですよ」
しまった、パンゴールが休みとは。明日食べるパンとリツコさんがリクエストしていたラスクを買いに行こうと思っていたのに。まぁ今後ピザが食えるとなれば仕方がないか。高嶋市内で本格ピザの食える店は少ないからなぁ。
「で、オイル交換をしてちょっと買い物に行こうかなと……おじさん、ちょっと相談が有るんですけど聞いてもらえます?」
「金と女性関係の事以外やったら聞くで」
幸いな事に浅井さんの相談は俺に答えられる事だった。
◆ ◆ ◆
浅井さんの相談を聞いてからお昼ご飯の支度をしようと住居スペースに戻るとリツコさんが横になっていた。どこか具合が悪いのではと心配になったがそうではないらしい。パソコンの画面にはスーパーカブの歴史が表示されている。どうやらスーパーカブの歴史を調べたら疲れてしまったようだ。
「えっと、カブの何を調べてたんかな?」
「リトルちゃんの事を調べてた……九〇㏄の四速セル付きのリトルカブが無~い」
リツコさんのリトルカブはセル付きの車両を俺が排気量アップした改造車だ。調べたところで出て来る訳が無い。
「俺がこしらえた改造車やもん、有る訳が無いで」
「起こしてぇ」
起きようとしてジタバタするリツコさんを助けて座椅子にもたれさせる。本当にお腹が大きくなったと思う。お腹に詰まっているのは赤ん坊だけだろうか? 顔を見た感じでは太った感じが無い。となれば大きな赤ん坊が生まれて来るのだろう。
「お昼ご飯は何にしますかねぇ……」
「パスタ!」
被り気味で答えたリツコさんのリクエストに答えて今日の昼飯はパスタ。麺を茹でている間、適当にベーコン・ニンニク・鷹の爪をオリーブオイルで炒めて塩コショウで味を調える。料理がほとんどできないリツコさんにとっては魔法に見えるらしく、出来あがる様子を嬉しそうに見ている。茹で汁を少しフライパンへ移して茹で上がった麺を絡めて出来上がり。おかずがカボチャや切り干し大根の煮物だったりするのが何ともミスマッチだが我慢してもらおう。
「はい出来上がりっと、リツコさんは大盛りな」
「うん、いただきま~す」
お腹が大きくなってもリツコさんの食欲は旺盛。フォークでクリクリとパスタを巻き取ってはもしゃもしゃと食べている。パスタに限らず麺が好きみたいだ。
「今日はネットサーフィン? 昨日は歩き回って疲れたかな?」
「うん、疲れちゃった。だからカブのお勉強」
身近な事ほど改めて調べると知らなかったことが山ほど出て来る。スーパーカブなんて話し始めたら半日くらい語り続けられるほど歴史があり、語り尽くせない程の変更点や改良がある。疲れるほど検索する労力を料理に向けて欲しいなんて少しだけ思ってしまうのだが言わない。
「でね、あたしのリトルちゃんなんだけど……二次クラッチに出来るの?」
「部品が入らんから無理。そこまでやるなら現行カブを買う方が良い」
現行カブは電子燃料噴射装置に四速ミッション、しかも二次クラッチになっているからシフトチェンジがスムーズだ。変速でガチャコンとショックがある旧カブとは違う。
「なるほどね、私のお腹と一緒でいつも変化してるんだね」
日に日に大きくなるリツコさんのお腹、変わらない様で変わり続けているスーパーカブ。毎日見ていると見慣れて何も思わないが、どちらも気が付けば大きな変化をしている。もうすぐ俺は父になる。この先の俺はどう変わるのだろうか。少なくとも目の前に居るニャンコを泣かす様な事だけはするまいと気を引き締めるのだった。
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