第338話 春が来た

 この数日、めっきり暖かくなった。インナーを一枚減らしても平気だし、バイクで移動しても寒くない。ご近所から筍を戴いたりと良い事ばかり。不思議に思ってインターネット検索サイトで調べたらとんでもない事がわかった。


「リツコさん、これが『春』やで」

「ええっ! これが『春』なのっ!……って何言わせるのよ」


 年度末とあって決算やらなんやらに合わせたのだろう。大津のバイク店がリツコさんのゼファーを届けてくれた。リフレッシュが終わった車体はまるで新車の様だ。サスペンションは前後オーリンズが入り、ブレーキキャリパーとマスターシリンダーはブレンボ。ライダー憧れの金色がピカピカな車体に彩りを添えている。


「本当は慣らしがてら取りに行きたかったんだけどねぇ~」


 年度末とあってリツコさんも少々仕事が立て込んでいるみたいだ。休んで引取りとはいかなかったらしい。なんでも来年度のバイク通学規定がまた変更とかで、文句を言ってきてる保護者や新入生が居るみたい。まぁ普通に帰ってきているから順調に片付いてると思うけど、それでももう日暮れ。車検から帰って来たら写真を取ると言っていたのもお預けだ。


「で、トータルいくらかかったのかな?」

「女の秘密を見ようとしちゃ、駄……目♡」


 リツコさんが素早く請求書と領収書を隠した。まぁお金を払っている所は見ていたからおおよその金額は解ってる。正直な所『おきゅうりょうにかげつぶん』どころではないはずだ。


「大事にオーバーホールとアップデートしてもらって幸せなバイクやで」

「そうよ、私は惚れたらとことん付き合うのよ」


 最近は何でも使い捨ての時代だ。ウインカーが点かなくなって買取業者に引き取られたバイクを見たことがある。それに比べればリツコさんの使い方は荒いとはいえ、買い替えずにオーバーホールまでしてもらったゼファーは何と幸せな事か。


「にゃっふるふんふんふ~ん、ゼファ~た~ん♪」


 今夜の妻はご機嫌だ。


◆        ◆       ◆


 春休み期間とは言え高校の職員は公務員なので普通に出勤。長期休暇時期は授業が無い分有給は取りやすいみたいだが、年度末はそうもいかないらしい。今日もリツコさんは出勤、でも今日は少し早起き。リフレッシュの終わったゼファーやバイク達と写真を撮りたいらしい。俺も早起きしてジャイロやリトルカブをゼファーの横に並べる。


「ん~っと、こんな感じかな? 中さんはそこに立っててね」


 今日のリツコさんはスーツ姿のフルメイク。スリットスカートから伸びたストッキングの脚が何とも艶めかしい気合が入った格好だ。スリットは色気を出すと言うよりもゼファーに跨る為に必要らしい。つまり、今日はゼファーで出勤するって事だ。


「いっくよ~っ! エイッ!」


 三脚にセットしたデジタルカメラのタイマーをセットしてリツコさんが駆けてきた。そのままピョンと飛び上がった彼女を受け止めてカメラを見る。抱っこ状態のリツコさんはカメラの方に腕を伸ばした。


「ぶい!」


 パシャッ!


 画像を確認すると抱っこされてVサインをするリツコさんと俺、そしてゼファー・リトルカブ・ジャイロXが写っていた。


「ふむ、一発で決まったね、大変よろしい!」

「おおっと、上手い事撮れたな」


 上手く画像が取れたので保存してリツコさんを見送る。お弁当を取りに行っている間、リツコさんがゼファーのエンジンに火を入れて暖機。圧縮比が上がったからか、オーバーホールで若返ったからか、エンジン音は前にも増して勇ましい。暴走族の爆音と違った重厚なエキゾーストノートが聞こえる。


「いい音や、元気娘の愛馬復活やな」

「もう娘じゃないよ、オ・ン・ナよ」


 確かに『娘』ではない。だが、俺にとっては妻であり、娘の様な可愛いらしい存在だ。飼い猫のようにも思える。


プスン……。


 お弁当を渡して行ってらっしゃいのチューをしたらエンジンが止まった。


「?」

「慣らしが出来てないだけよ、行ってきま~す」


 今日は回転数は控えめ。ゆったりとした排気音を立ててゼファーとリツコさんは出発した。


「さて、俺も仕事にかかるかな。その前にリトルカブを片付けてッと……」


 今日も俺はバイクの修理。高嶋高校のバイク通学規定が大幅に変わって何年だっけ? 二年くらいか。年々時間が過ぎるのが早くなっている様な気がする。時間が過ぎると言えば、スーパーカブがキャブレターからインジェクションに変わって十年以上になる。そろそろ新型のスーパーカブを弄りたくなってきた。


「何でみんな新型を買わんのやろうなぁ」


 まぁ理由は解っている。単純に値段が高いって事だ。そりゃウチで並べている中古バイクは新車に比べると桁違いに安い。でも新車は新品だから壊れるまでの信頼性が桁違いだ。中国生産のカブはウチでは売れなかったので知らないが、今度のカブは品質やフィーリングが大変良いと聞いている。


「まぁ先代(JA一〇・AA〇四)は形が斬新過ぎたしなぁ」


 近頃中古のスーパーカブは値段が高い。C一〇〇等のOHVモデルは以前から希少価値が有ったのだが、この数年はカモメと呼ばれる外装が後のモデルと少し違う物や、八十年代初頭のエコノパワー時代の物に人気が出てきている。そして、弄りやすいキャブレター時代の物だってバイク弄り入門者とカスタム目的から需要が多いみたいだ。


「そろそろウチも新型を入れるかなぁ」


 新年度を目前に、俺は色々と悩むのだった。

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