第319話 何でもない一日

 午前六時、目を覚まして着替えたらヤカンを火にかけて一日が始まる。湯を沸かしている間に新聞を入れて縁側のカーテンを開ける。まだ外は暗い。その間に炊飯器のアラームが鳴り、炊けた飯を切って弁当に入れる分を冷ましておく。


「味噌汁と弁当やな」


 朝食の味噌汁を作りながら弁当に入れるおかず作り。卵焼きは妻が必ず入れて欲しいと言っているので必須だ。適当に昨夜のおかずの余りや買っておいたお総菜、そして炒めたお肉に刻んだキャベツと言ったところか。


「さて、今日のニュースはどうかな」


 弁当を詰めたら妻が起きて来るまで新聞を読む。案外新聞は有効な情報源で、お悔やみ欄で知り合いの親が亡くなっていたと知る事も有る。


「お悔やみ欄は大丈夫やな、ふ~ん、高嶋市の職員が飲酒運転で懲戒免職か」


 新聞を読んでいると物音がした。妻が起きたらしい。茶を入れて味噌汁を温める。


「ふぁ……おはよ」

「おはようさん」


 妻は低血圧なのか朝に弱い。まぁ酒の飲み過ぎじゃないかなって気がしないでもないのだが、それは言わない事にする。


「さて、ご飯ご飯っと」


 目が覚めて十数分、エンジンがかかってモリモリと朝食を食べる妻を横目に弁当を包む。


「リツコさんは今日も元気やな」

「うん、今日も元気だご飯が美味い」


 妻は化粧をするとガラリと雰囲気が変わる。毎回思うのだが、変わり過ぎだ。同僚から『化け猫先輩』と言われるのも納得。


「さて、そろそろ行かなきゃ」


 トイレと身支度を済ませた妻を送り出す。なんだか夫婦関係が逆転している気がする。


「はい、お弁当」

「行ってらっしゃいのチューは?」


 良い年こいてと思われるかもしれないが、俺達は新婚なので許して欲しい。妻を送り出してから店のエアーコンプレッサーを動かしてシャッターを開ける。今日も寒い。


       ◆       ◆       ◆


 自転車を組んだり中古で売り出すバイクの修理をしたりと忙しいような暇な様な。そんな我が店には何人か癖の強い常連客が居る。その中の一人がオイル交換に来たこのオッサンだ。


「で、安井さん。今日は何か面白い話は無いんかいな」

「面白うない話やったらあるぞ、自衛隊の助成金の使い道とか」


 市議会議長車の運転手だった安井のオッサンは情報通だ。どんなネットワークを持っているか知らないが色々な噂を話してくれる。ところがこのオッサンの噂話は殆どが噂では無い。時折『それって喋ったら不味くない?』みたいな情報もチラホラ出てくる。


「自衛隊の助成金? そんなもんが有る割に潤ってないなぁ」

「そらそうや、殆ど今都で消えてるんやから」


 安井のオッサンが言うには、自衛隊からの助成金である三億ウン千万円のうち、約二億六千万円が今都町にある公共施設の維持・管理に浪費されているらしい。


「何せ何も考えんと今都町時代にポンポン建てたやろ、儂が辞める前に内部調査が有ってな、老朽化した体育館にコミュニティーセンター、公民館に資料館と、維持費が山ほど使われてたんやて。合併で市になって助成金が増えた分は全部今都が消費してたんや、だから市になっても変化が無い訳やな」


 つまり、我々が『今都の助成金に頼る物乞い』なのでは無く、旧今都町は無駄遣いのし過ぎで助成金が足りず、平成の大合併の名目で周辺地域を巻き込んで助成金を多く得ようとしていた訳だ。今都の連中は助成金を得ようと必死だ。この前は演習場に話題の新型輸送機が来ると言って大騒ぎしていた。それでも今都選出の市議会議員が自衛隊に出て行けと言わないのは今都町に留まる自衛隊OBの票が欲しいからだろう。


「それで来年度から耐震性が怪しいとか、老朽化した施設はメンテナンスや耐震工事せず廃止していこうって事になったんや。それに、市役所の公用車にドラレコを付けたのって大島君も知ってるな?」


 高嶋市は全国に先駆けて公用車全車にドライブレコーダーを付けた。


「らしいな、六百万円やったっけ? 張り込んだもんやで」


 その張り込んだ六百万円で取り付けたドライブレコーダーは素晴らしい成果を上げた。事故の映像が関西圏内限定だがテレビ放送されたのだ。


「熊と公用車の事故がニュースで流れた時は大笑いしてたけどな。大島君、実はドラレコは事故から職員を守ると言うより別の目的もあってな……」


 安井のオッサンの話は何処まで本当か分からないが、全部が違う訳ではないらしい。まぁ噂の真相は花見の季節辺りで分かるだろう。


「で、速人の組んだエンジンはどうやいな。変な所は無い?」

「無いぞ、何でや」


「俺が組んだエンジンじゃないからや」


 安井のオッサンが乗っているカブはエンジンを積み換えてある。そのエンジンは俺ではなくて常連の速人が組んだものだ。速人は器用な若者だが所詮素人。トラブルが有った場合はフォローしてやらなくてはと思ったのだが……。


「伊達に議長車なんぞ乗ってた訳や無いぞ、異常が有ったらすぐわかる」


 大丈夫らしい。


       ◆       ◆       ◆


 安井のオッサンが帰ってからも中古車の修理やチョコチョコとした修理や来店が続く。仕事の合間に昨日外したCD九〇のタンクを高村ボデーに持って行ったり、部品の発注をしたりと忙しいような暇なような時間が過ぎていく。バタバタしている間に学生達が帰る時間。今年は雪が降らないせいかバイクで通っている学生も数名居る。今日は珍しいお客さんが来た。


「おじさん、ウインカーが変」


 美紀ちゃんは学生たちの中で珍しいフルノーマルのカブカスタム七〇に乗っている。ボアアップもせず、ミッションも換えずに乗る高校生は珍しい。この子はあまりバイクに興味が無くて乗るだけの一般的なお客さんだ。


「どれどれ、後ろだけやな」


 右後ろのウインカーが点いていない。恐らく球切れだろう。レンズを外して電球を見ると白く濁っている。球切れだ。


「電球が切れてるな、交換したら大丈夫」

「ふ~ん、じゃあ換えて」


 この子のカブは長期休眠車を起こした物だからこんな事も有る。電球を交換して修理完了。ついでなのでちょっとだけ点検のサービス。センタースタンドが固着しない様にスプレーオイルを吹いておく。


「美紀ちゃんは冬もバイク通学か? 理恵なんかは『寒い!』って電車で通ってるんやてな、寒いのは大丈夫か?」

「寒さより今都駅の雰囲気の方が嫌や、部活で遅くなるし」


 まぁ、雪が振ったらそうは言ってられないだろう。電球の交換と軽い点検を終えて帰る美紀ちゃんと入れ替わりに来たのは奇妙な三輪車。


「こんにちは、オイル交換をお願いします」

「やあ安浦さん、いらっしゃい。今日は非番?」


 安浦刑事が買い物ついでに寄ってくれた。非番らしい。


 オイル交換をしながら「この前の今都駅前の乱闘は凄かったですね~」と世間話を振ったが安浦刑事の反応が薄い。


「ごめんなさい、職務上の事は守秘義務が有って話せないんです」


 刑事って職業は色々大変だ。


「安浦さん、後ろのタイヤで何か轢いた?」

「ゴミをちょっとね、やっぱり分かりますか」


「フェンダーに傷がついてるけど、まぁ大丈夫でしょう」


 まぁ深い傷では無し、見た目以外に影響は無さそうだから構わないが。


「あの暴れてた少年、ウチの店にも来たんですよ。追い返したけど」

「そうですか、あ、そうそう。私引っ越すんですよ」


 春は別れの季節でもある。異動だろうか。


「安曇河に新しいアパートが出来るでしょ? 思い切って引っ越す事にしました」

「ほう、職場が有る今都から離れるとは何で?」


 シャッターが並んだ建物が商店街と駅の中間あたりに出来たのは知っていた。店かと思っていたらアパートだったとは。


「買い物が便利なのと治安ですかね。今度のアパートはガレージハウスで、シャッター付きガレージの上に部屋があるんで決めちゃいました」


 ガレージハウスは車やバイクに乗る者にとって夢の様な物件だ。


「でも通勤が不便でしょ?」

「電車で行けばいいんですよ。車だとガソリン代が掛かって仕方ないんでね~」


 安浦刑事の愛車は燃費が悪いらしい。普通のセダンがそんなにガス喰いなのかなぁ。


「普通のセダンに見えるけど、そんなにガス喰いですか? リッターあたりどれくらい? 一〇(km)切りますか?」

「リッター一〇キロなんて夢の夢。この辺りを走っても五から七キロですよ」


 やはり車はガソリンを喰う。カブは少食だ。


       ◆       ◆       ◆


 今日は来店が多かった方だと思う。とっぷり日が暮れたのでシャッターを閉めてコンプレッサーのエアーを抜く。今日は水が多めだ。


「ただいま~」

「おかえり」


 夕食の支度をしていたら妻が帰って来た。手洗いとうがいをした妻はスウェットに着替えて、流れるような動きで冷蔵庫から缶ビールを取り出して食卓に着いた。


「ねぇ中さん、今日は忙しかった?」

「そうやなぁ、ボチボチやな」


「もう少ししたら学生たちが来る時期ねぇ」

「そうやな、どんな子が来るかなぁ」


 バイク通学を始める高嶋高校生に中古車を用意しておかなければならない。


「そろそろ『バイクが欲しい? 予算は? どんなふうに使う? 条件を聞こうか……』って学生に聞く時期だよね」


 バイクの季節はもう少し先だ。今年も俺は妻の言う通り学生に問うだろう。


 ウチは藤樹商店街に有る小さなバイク店大島サイクル。扱うバイクは排気量百二十五㏄までの小さなバイク達。今日も個性的なお客さんが訪れた。明日はどんなお客さんが来るだろう。

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