第295話 お正月

 年越しそばを食べて、真新しいモコモコのパジャマを着て、中さんに抱っこされながら眠って数時間。私はゆすぶられて起こされた。


「リツ君、リ~ツ君! いつまで寝てるの? お雑煮のお餅は何個食べるの?」

(リツって誰? 中さんったらオバちゃんみたいな声出して……)


 何だかおかしい。中さんがオバちゃんみたいな声だ。


「ニャ~ 五つ……何この声!」


 答えた私の声もおかしい。いつもの鈴の音の様な声じゃなくて男の人の声がする!


「何って何が?」

「え?」


 私の顔を覗き込んでいるのは中さんじゃなくて、えっと……お姉さんだ。


「あなた……誰?」

「寝惚けてるんか? 奥さんの顔を忘れたんか? この呑兵衛めっ!」


 わけが分からないまま起きると体が軽い。特に胸の辺りのボリュームが無い。


「ペッタンコだ。白藤さんじゃあるまいし」


 ないと言うより男の人みたいだ。まあいい、起き上がった私は顔を洗おうと洗面台へ向かった。


「あら、可愛いわね。ウチの生徒かな? ……あれ?」


 私が右手を上げると男の子は左手を上げる。右目でウインクすれば左目でウインクし返して来る。まるで鏡を見ているような動きだ。


「ん~っと、君ニャンコっぽいね……あれ? これ窓じゃ無い!」

「まだ寝ぼけてるんかアンタは!さっさと支度しなさいっ!」


 お姉さんにこっ酷く叱られて食卓へ付く。訳がわからない。まるで性別があべこべになっているみたいだ。実際に下半身に存在感がある。間違いない。あべこべな世界だ。


「リツ君……リツ君?」

「え? 私?」


「『私?』と違うで。二人しか居んのにどうしたん? この家にはリツ君とあたり姐さんの二人しか居~ひんやろ?」


 やっぱりあべこべになってる。どうやら私は『リツ』という男の子になっているらしい。よ~く見たらあたりさんは写真で見たあたるさんのお父さんの面影がある。


 ここは滋賀県の高市……らしい。で、街の名前は安曇町。私が知っている滋賀県高市安曇町とは微妙に違う……らしい。あたりさんがバイク店の女主人で、高高校へ通う生徒のバイクを販売・修理している……らしい。何だか『らしい』ばかりになっているけど入ってくる情報が少なすぎる。パラレルワールドに迷い込んだみたいだ。


(むぅぅ……何だこの世界は?)


 男になった私は大島リツコでは無くて大島リツ。十三歳違いの歳の差夫婦なのは元の世界と一緒。旧姓は磯部で大島家の婿養子となったらしい。


「一昨年にウチでバイクを買うて、失恋して、その晩泥酔してから家にご飯を食べに来るようになって、それから同居・同棲と来て結婚やもんなぁ。人生ってわからへんわぁ」


 結婚までの経緯は似ているみたい。家の中の様子も変わらないなぁ。


「そう言えば、葛城くんがお餅を食べに来るんやな?何時ごろに来るんえ?」


 そんな事言ってたっけ?何だかそんな事になってた気がするなぁ。知らんけど。


「そうだっけ?」


 ピンポ~ン


「ごめんください、どなたですか? 滋賀県警高島署一のイケメン白バイ隊員、『高島署の白き鷹』こと葛城晶と、パン・ゴールの看板娘こと浅井薫が新年の挨拶がてらお餅を食べにやってまいりました」


 どこかで聞いた様な気がする声だ。


「あらあらまぁまぁ、ウチのリツがいつもお世話になっております。まぁお入りください……ありがとう」


 言っておくが、私とあたりさんは一言も喋っていない。晶ちゃんってこんなにお茶目だったっけ?自分で『イケメン』とか『高署の白き鷹』なんて吹っ切れてるなぁ。私の横では中さんがずっこけてる。何だこの新喜劇な世界は?


「晶ちゃん、何だか私たち変なの!あたるさんが女で私が男なの!」


 私たちは変だけど、晶ちゃんと薫ちゃんの外見は普段と一緒だ。晶ちゃんはイケメンだし、薫ちゃんは可愛い。やっぱり私達だけが変なのだ。


「あの、? 私は薫なんだけど?」


 なんとここでも逆転現象だ。イケメン女子が薫ちゃんらしい。


「や~ん、リツ君寝ぼけてる~」


 で、こっちが可憐美少女彼氏になった晶ちゃん。ちょっと私の世界と違う性格だ。恐らく私は晶ちゃんに告白したけれど、男とわかって失恋して中さんとご飯を食べての流れで今に至っているのだろう。


「どうして見間違うかなあ?」

「リツ君、もしかしてまだ酔ってる?」


 やっぱり晶ちゃんと薫ちゃんもあべこべみたいだ。外見からはわからないけど……っていうか、何にも変わっていない様に見える。えっと、可憐な男のが白バイ隊員の晶ちゃんで、イケメン女子の方がパン屋の薫ちゃんか。う~ん、ややこしい。これは確認しておかないと。


「晶ちゃん……もしかして……」

「こらっ!いったい何をするんだっ! 男同士でっ!」


 可憐男の娘になっている晶ちゃんのズボンを脱がせたら……付いてた。となれば、イケメン女子になっている薫ちゃんは女の子な訳だ。元の世界の二人はややこしかったけど、この世界は更に難易度が上がっている。


「薫ちゃんゴメンねっ!」

「きゃあぁぁぁぁぁぁっ!」

「何してるんやっ!」


 イケメン女子の薫ちゃんのパンツを下げて、ショーツに手をかけようとしたらあたりさんに取り押さえられた。


「薫ちゃんゴメンね、今日この人変なの」


 じたばたする私をホールドして放してくれない。


「どうしたんや? いつものリツ君と違うで。ほら、ギュッ」


(大きな胸……やっぱり女の人だ。何が起こったの? 天変地異か?)


 胸に埋もれるってのも悪くないんだけどさ、やっぱり違うよね。


「違~う! 私が欲しいのは厚い胸板! オッパイじゃない!」


 悪夢としか思えない。男女が逆転した世界、私が知る『高嶋市』じゃなくて『高島市』だって悪くない世界かもしれない。でもそんなのはイヤ! 私は男の中さんに抱かれて、一緒にご飯を食べて一緒に笑っていたい。


「こんなあべこべの世界は嫌ぁ~!」


 私が叫んだその時。


 ブオッ! ブゥゥゥゥゥゥ~……プッ!


 臭い風が吹いた。



      ◆      ◆      ◆      ◆



 二〇一九年一月一日。リツコさんに尻をバリバリと引っ掻かれて目が覚めた。布団の中でリツコさんは大騒ぎ。これがエッチの時なら色っぽいシーンだが、悲しいかな年越し蕎麦を食べてお腹一杯になったリツコさんはモコモコのパジャマを着てお臍まであるパンツを履いて寝た。どちらかと言えば色気の無い格好だった。可愛かったけどな。


「ふにゃ~! 臭い臭い臭い臭い!」

「なんでお尻の穴めがけて叫んでたんや?」


 リツコさんが夜中にトイレに行ったのは覚えている。恐らく布団に戻った時に寝ぼけて上下逆に布団へ入ったのだろう。何か夢を見て尻に顔を埋めた所へ俺の屁がゼロ距離射撃した訳だ。布団の中は今でも「漏らしたか?」と思うほど臭いから、さぞかし臭かった事だろう(笑)


「おっぱいが何で?」

「リツコさん、それオッパイと違う。お尻や」


 顔を埋めたのが尻で良かった。前だったらお稲荷さんを思い切り引っ掻かれている所だ。掻かれた尻は爪痕が付いてヒリヒリしている。猫か君は。


「なぁリツコさん、寝坊して昼前や。お餅何個食べる?」

「夢か……変な夢……怖かったぁ」


 どんな夢を見たか知らないがリツコさんは汗だくだ。まぁモコモコパジャマで暖かいのに頭から布団の中に入っていたからかもしれんけど。


「リツコさん、お尻どうなってる?」

「引っ掻いた跡がある。ゴメンね」


「汗だくになってしもて、早う着替えんとアカンわ」

「怖い夢を見たの。抱っこ。ギュッとして」


 新年早々甘えっ子だ。


「はいはい。新年早々どんな夢を見たんかなぁ」


 掻かれた尻が痛い。そう言えば葛城さんと浅井さんが挨拶がてら餅を食いに来るみたいな事を言ってたのに寝坊をしてしまった。汁粉の準備もしなければ。


「リツコさん、葛城さんと浅井さんが来るのって何時? 準備があるから早いところお雑煮食べて御屠蘇呑んで準備せんとアカンで」


 まだ寝ぼけているらしく、リツコさんは俺に抱き付いて離れようとしない。胸がどうとか言ってるから筋肉の夢でも見たのだろう。


「どんな怖い夢を見たんや?」

「怖いなんてもんじゃ無いよ……」


 ブルブル震えるリツコさんを落ち着かせるために、抱っこを続ける事にした。


「よしよし、抱っこな」

「にゃう~、やっぱりこっちの方が良い~」


 リツコさんを抱きしめた途端に『ピンポ~ン♪』と、チャイムが鳴った。


「ごめんください、どなたですか? 滋賀県警高嶋署一のイケメン白バイ隊員、『高嶋署の白き鷹』こと葛城晶とパン・ゴールの看板娘こと浅井薫が新年の挨拶がてらお餅を食べにやってまいりました。あらあらまぁまぁ、ウチのリツコがいつもお世話になっております。まぁお入りください……ありがとう」

「晶ちゃん、上手く言えたね♡」


「ひいぃぃぃぃっ! 夢……夢と一緒~!!!!」


 葛城さんと浅井さんが仲睦まじくやって来たのにリツコさんは気絶してしまった。二〇一九年は平成から元号が変わる。俺たち夫婦、そして友人やお客さんはどのような一年を過ごすのだろう。


「晶ちゃんにチ〇チ〇が……薫ちゃんのチ〇チ〇が……うぅ~ん……」

「チ〇チ〇がどうしたんや?」

「え? 僕のチ〇チ〇がどうしたんですか?」

「……私の物よ」


 気絶したリツコさんがうなされているが、少なくとも賑やかな楽しい一年になるのは間違いない……と思いたい。

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