10 《識章》
『そうだ』
「うわ!びっくりした!」
再び、頭の中で響くドナリエルの声。
「まさか、この声って」
『うむ。お前の聴覚神経を直接刺激して、ワシの声を再現しておるのだ』
鼓膜を揺すられるよりも気持ち悪い。おっさん(いや、AIに性別も年齢も関係ないが気分的に)が、体の中にいるなんて――はっ!まさか!
「……思考まで読み取れる、なんてことはないよね?ね!?」
もしそんなことなら、すぐにでも出て行ってもらいたい。たとえ骨折を直すためとはいえ、他人に思考を読まれるなんてありえない。
『何を馬鹿な。読めるわけないだろう。それに』
「それに?」
『文明化されていない原住民の思考など読んでも、何の益もないしな』
憮然とするタケル。まぁ、思考が読まれないならそれでいいか。
と、すぐに信じてしまうところが、タケルの人の良さを示しているとも言える。確かにドナリエルは嘘は言っていない。思考を読むことはできないのだ。だが、能から神経を伝って信号が送られることは分かる。すなわち、タケルがどのような行動を取るのかを、タケル自身が意識しているいないに関わらず知ることはできる。もしも、その行動がエルナを害する行為であったなら、ドナリエルはためらいなくタケルの自由を奪うだろう。いや、生命を奪うことすら躊躇はしない。
これを卑怯だ、悪だと考えるのは間違いだ。なぜなら、ドナリエルの存在理由はトワ帝国王女であるエルナ姫が幸福であることだからだ。個性を持ち、人間と同じように考え話していても、ドナリエルはエルナの幸せを守る、ただそれだけのために作られた存在なのだ。
地球人であるタケルには、そこまでの考えは及ばない。むしろ、気がつかないことが、タケルにとって幸運であったかもしれない。
「ドナ、タケル様に対して失礼なことを言っているのではないでしょうね?」
タケルの脳内で語られるドナリエルの言葉は、エルナには届いていないはずだ。
『いえ、姫様。決してそのようなことは……』
スピーカーから流れるドナリエルの声は、少し慌てたようにも聞こえた。
「すいません、エルナ様」
「なんでしょう?タケル様」
ドナリエルを叱咤した際には厳しい顔つきだったエルナが、タケルを見てにっこりと微笑む。
その……、“さま”は止めていただけませんか?すごく……あの……恥ずかしいので……」
「わかりました。では、私のことも“エルナ”とお呼びください」
エルナ……心の中では、いつもそう呼んでいたけれど、いざ言葉に出すとなると少し恥ずかしい。でも。
「えぇと。はい。エルナ。その、敬語もやめませんか?」
『調子に乗るな!原住民!帝国の姫君であらせられるぞ!不敬である!』
タケルの頭の中で響くドナリエルの声。しかし。
「はい。そうしましょう!タケル」
愉しそうなエルナの言葉を聞いた瞬間、押し黙るドナリエル。エルナが幸せであれば、ドナリエルはそれでいいのだった。ただし、
『姫が了承されたのなら仕方ないが、あまり図に乗るなよ?わかっているな?』
と、釘を刺すことは忘れない。
ところで、とタケル話題を切り替える。
「命の危機を救って貰ったのはわかった。けど、これは何?」
そう言いながら差し出したタケルの両手には、手の甲から手首にかけて、煌めく半透明の固いクリスタルが生えていた――。
「両手に
エルナは手袋を外して、自らの
タケルの治療に際し、帝国民でなければならなかったため、エルナがタケルを帝国民と認定しコアを埋め込んだという。
『たしかに、左手にしかコアを埋め込んでおりません。なのになぜ両の手に現れたのか。これは後ほど詳しく調べねばなりませんな』
ふむ。これは珍しいことなのかと、改めて両手に浮かび上がった文様を眺めるタケル。左手の
「そうですね、なぜふたつも
『はい、姫様。確認いたしましたが、支障なく』
「動作に問題がないのであればタケル、そのままで構わないでしょう?
『外に出ることはできぬがな』
そりゃそうだ。なにせここはトロヤ群にある緊急避難場所。周囲は何もない宇宙空間だ。誤解の無いように書いておくと、いわゆる小惑星帯と呼ばれる場所に小惑星が多いのは事実だが、各々の小惑星は数百キロメートルも離れている。アニメなどで描かれる小惑星帯のイメージとは大きくかけ離れて、岩がポツンと宇宙に浮かんでいるようなものなのだ。タケルたちがいるこの小惑星も、そんな岩のひとつだった。
状況確認も終わったところで「これからのことを、話しましょう」と切り出すエルナだったが、タケルは遮るように手を挙げて口を開いた。
「その前に、そもそもなぜエルナたちが地球に北野かを教えてくれないか?」
あぁ、そうですわね。そういってエルナは話し始めた。タケルに出会う前までの、逃避行について。
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