銀河の姫君と天命の守護者
水乃流
邂逅ノ章
01 煌めく邂逅
ドン、と腹に響くような音が聞こえた。
小さい音だったが、素振りの動きを止めるだけの注意は引いた。タケルは頭上に構えていた竹刀を下すと、縁側に置いたタオルを手に取り汗を拭いた。ここで山鳴りが聞こえることは珍しくないが、今聞こえた音はいつもとは違っているように思えた。今日は誰も山に入っていないはずだし、役場からの知らせもない。町の悪ガキどもか、旅行者が勝手に入って何かしたのだろうか?だとしたら、何かトラブルがあったかも知れない。そう思って山を見上げると、山の西側、山頂よりも少し下った辺りから土煙が上がっているようにも見える。気のせいだろうか?
タケルが考えを巡らせていると、家の奥から祖母が出てきた。祖母も音が気になったようで、タケルに「山の様子を見に行きなさい」と声をかけた。
ちょうど日課となっている素振りを終えたところで、身体も温まっている。この時間からでも、急げば暗くなる前に戻れるだろう。必要な道具は、いつもリュックサックに詰めて置いてあるからそれを持っていけば万全だ。
タケルは山登り用の服に着替えると、竹刀をトレッキングポールに握り替え、家の裏手から山へと入った。山は祖父の、祖父がいない今は祖母の持ち物であり、いずれタケルが妹と共に継ぐことになる。山で起きることに対して漠然とではあるが、ある程度責任を持たなければならないと思っている。
本格的な山登りほどでは無いが、ハイキングに行く時よりもしっかりとした装備に身を包み、タケルは自宅の裏を流れる川に沿って続く村道を歩いている。トレキングポールでリズムを取りながら、普通に歩くよりも少し早足だ。川の流れる音、山の合間から見える青い空と白い雲。祖父と歩いたあの頃と何も変わらない。東京と違って、故郷は時間が止まっているかのようだ。
200メートルほど歩くと、道が二手に分かれている。右が山に入る山道だ。特に柵や門があるわけではない。林業での採算が取りにくくなった今では、山に踏み入る人間も少なくなった。役所の人間か、役所から依頼されて山を保全する業者が山に入り、調査や伐採作業をすることはあったが、祖母に無断でやるはずはない。時折、地元の年寄り連中が、山菜などを採りに入ることはあるが、奥には入らない。そういえば、観光客がこっそり山に入り込んで、猪に追いかけられ斜面を転げ落ちたことがあったっけ。
さっきの音も、黙って山に入った誰かが花火でも爆発させたのだろうか?それにしては、低く響く音だった。ガス缶を爆発させるくらいでは、あんな風に響かない。だから、観光客説や悪ガキ説は却下してもいいだろう。どこかの作業場からダイナマイトでも持ってきたなら別だが、そんなことがあれば狭い村の中で話題にならないはずはない。時間が経てば経つほど、あれが何の音だったのか不思議に思えてくる。
「ま、行ってみれば分かるさ」
山道を一歩一歩登りながら、タケルは呟いた。
1時間ほどで山の東側に出た。土煙が見えた場所はもう少し先だが、この調子なら日暮れまでには家に戻ることができるだろう。リュックにはランタンもライトも入っているし、食料や飲み水、それに寒さから身を守る断熱シートもあるから一晩くらいなら山で過ごすこともできる。あいにくこの辺りは携帯基地局から遠いので、圏外だ。祖母なら一晩くらい孫が帰ってこないくらいで大騒ぎはしないだろう。途中にある山小屋で一晩過ごすのもいいな。祖父とともに数日間、山で過ごしたこともある。なんだか今日は、祖父の事ばかり思い出すな。
そんなことを考えながら歩いていたタケルは、ふと違和感を感じて足を止めた。何か変だ。その違和感の正体はすぐに分かった。藪の奥がぼんやりと光っているのだ。午後の弱い日差しの中で、蛍かヒカリゴケのような淡い光。踏み固められた山道から30メートルほど分け入った先に、光の発生源があった。
違和感が好奇心に変わった。タケルはトレッキングポールをギュッと握り直すと、藪をかき分けて光のもとへと近づいて行った。
光の発生源は、畳二畳分ほどの岩の上にあった。そして、光の中には――ひとりの女性が横たわっていた。
タケルは瞬時、思考を停止した。
水がこぼれ落ちるように広がる金色の髪は、その一本一本が色を変えながら光を放っているようだ。光に包まれているからなのか、影のない肌は透き通ったガラス細工のようだ。瞳は閉じられているので、その色は判らないが、きっと髪の色にあった色に違いないと思わせる。そして、一目見たら忘れられない印象的な顔は、日本人よりも北欧人的な顔立ちと言えなくもないが、少し違う気がするとタケルは思う。敢えて形容するなら、「人間離れ」した美しさだ。その美しい姿に、タケルは目も心も奪われていた。
東京の大学では、タケルの友人にも美人と呼ばれる女性もいるし、街中できれいな芸能人を見かけることもあった。だが、いま、彼の目の前に横たわっている女性は何かが違うのだ。
『――去れ』
突然、男の、それも年老いた男の声が聞こえた。一瞬、パニックになって振り返るが、そこに人影はない。幻聴?いや、声ははっきりと、耳元で聞こえた。
“落ち着きなさい”と、頭の中で祖母の冷静な声が蘇った。手にしたトレッキングポールを強く握りしめながら、数を数える。5つ数えたところで手のひらから力を抜き、続けて肩の力を抜きながら深く息を吐いた。祖父から習い覚えた、心を落ち着ける方法だ。パニックを乗り越えたタケルは、ゆっくりと周囲の気配を探った。風の音、草の葉の擦れる音、鳥の声、だが人の立てる音はしない。
『聞こえたなら、去れ』
再び声が響く。頭の中?いや、耳の中で誰かが叫んでいるような……。
生前、祖父はことあるごとに「山には、天狗がおる。わしも2度ほど見た」と言っていたが、まさか本当に天狗か?それとも魑魅魍魎の類か。祖父を信じないわけではないが、タケルはオカルトを信じていない。
『去れ、去らぬとひどい目に合うぞ』
謎の声が言葉を重ねるたび、徐々に恐怖心は薄れていく。声の主はわからないままだが、身体的に危害は加えられないようだ。ならば、もう少し……。
声の脅迫に屈せずに歩を進めるタケルが、岩の上に横たわる女性にあと一歩に迫った時、突然耳の中で高周波音が響いた。頭蓋の中を駆け巡る不快な音に、タケルは思わず耳を押さえ膝をついた。それでも音は小さくならず、響き続ける。あの謎の声が仕掛けた攻撃だろう。
だが、タケルは音に負けなかった。苦悶の表情を浮かべながらも、謎の美女へと腕を伸ばす。そして、タケルの指が光る繭に触れる寸前、音が止まった。余韻の耳鳴りが徐々に収まると、再び声が響いた。
『仕方がない。我々に協力してもらうぞ、原住民』
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