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「――ト、カゲ? トカゲってあの、爬虫類の?」

「あー、違う違う、そうじゃなくて、っと、ちょっと待ってなさい」

 佐治さんが喪服の女を倒したあと、僕達はその場から歩いて行ける距離のファミレスに入った。

「……えっと、うん、そう。確かこうだった。はい」

 佐治さんはバッグからペンギンが描かれたメモ帳を取り出すと、そこに見たことのない言葉を書いて僕に渡した。

「……問影。とう、かげ。トカ、ゲ?」

「そういうこと。わかってみれば下らないでしょ? 正体を求めたところで影にお前は何者だって問うくらい意味がないからトウカゲ。それが縮んでトカゲになったらしいわ」

「……あの女は、その、トカゲっていうものだったんですか」

「そうよ。で、アンタはたまたまトカゲに近い――絡まれやすい体質だったのよ。だから目をつけられた」

 たまたまそういう体質だったから、目をつけられた。そう言われても素直にそうだったのかと受け入れることは難しい。

 ふと、疑問が浮かんだ。

「佐治さん、あの、トカゲに絡まれやすいってことは、あの女以外のトカゲからも絡まれやすいってことですよね? でも、僕はあの女以外に、特におかしなものは見たことがないんです」

 僕がそう言うと、佐治さんは難しい顔をして、答えた。

「ボーッとしてるのにそこは気づくかぁ……まぁ、仕方ないわね。結局向き合わなくちゃいけないことだし……そう、アンタはトカゲに絡まれやすい。でもアンタはつきまとってたやつ以外のトカゲを見たことはない。どうしてかっていうと――アンタにつきまとってたやつが上手いこと他のやつらの目を誤魔化してたからよ」

 一瞬佐治さんが何を言っているかわからなかったが、すぐに思い至った。

「――あの女は、他のやつらに僕を奪われたくなかったんですね」

「そういうこと。弱いくせにそういうことは上手かった――いや、そういうことが上手いから弱くても生きていけた、ってところかしらね。で、アタシが倒しちゃった以上、アンタは間違いなく、他のトカゲ共から絡まれるようになるわ」

 そうなるだろうことはわかっていた。だが、佐治さんの口からそれを聞かされると、思っていた以上の衝撃があった――それにしても、佐治さんはあの女のことをずっと弱い弱いと言っているが、僕はとてもそうは思えなかった。確かに佐治さんはあの女をあっさりと倒した。しかし脚を振り下ろすだけで石畳を砕けるあの女が弱いというのなら、

「……佐治さん、あの女は、本当に弱かったんですか?」

「当り前じゃない。おまけして下の中が精々よ――腹の立つ話だけど、トカゲの強さの天井ってね、人間如きには見えないのよ」

 そう言うと佐治さんはテーブルの上のキャラメルマキアートを一口飲み、悔しそうに溜め息をついた。

 ――佐治さんに聞きたいことは、それこそ山のようにあった。僕が喪服の女に襲われた時、どうして駆けつけることができたのか。左目の中に見えた美しい獣の正体はなんなのか。そもそも、拳銃なんか所持していて逮捕はされないのか。

「あ、念のため言っとくけどアタシが使った銃、あれ玩具だから。ないとは思うけど通報とかすんじゃないわよ。職務質問だけでも結構めんどくさいんだから」

「……はい」

 銃の疑問についてはあっさりと解決した。だが、僕が一番佐治さんに聞きたいことは別にあった。

「佐治さん」

「何よ」

「佐治さんは……どうして、トカゲと戦うんですか?」

 僕が一番知りたかったこと。人間如きでは強さの天井は見えないという、そんな途方もない存在と何故、佐治さんは戦うのか。

 僕の問いかけに佐治さんは一瞬きょとんとした顔をしたあと、息がかかる距離まで顔を近づけてニッコリと笑い、

「――復讐♡」

 愛おしい宝物の名前を呼ぶような声で、そう言った。


一 啓示の女 終了


※ 次回の更新は来年の一月を予定しています。この作品を書く力を与えてくれた友人、A氏に感謝を。

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