新しい朝が来た、希望の朝……じゃないッ!③


「うぅうう、やっぱりワタシは死ぬしかないのか」


「だから死なないってば。あくまでも死にそうな目に合って、そんな状態でも体が硬直して動かなくならないようにするための訓練なんだから。

 ほら、ゼタからも言ってあげて」


 困り顔でこめかみを人差し指でぐりぐりしていたリィルが行き詰った様子で話を振ったのに、ゼタさんは何やら真剣な表情で少し考え込んでから口を開いた。


「そうですね……イディちゃん。気になったのですが、それだけの身体能力があるのにどうして普段から使っていないんですか? その身体能力があれば、これくらいの高所や落下するくらいのスピードは日常的に体験してると思うのですが」


「当たり前でしょう!? いくら体が動いたって、今まで意図的に使う機会もなかったし、こんな高いところから落ちたり、飛んだり跳ねたりなんてやったことないですもん!」


「……なるほど。姉さん、どうやら根本的な部分で私たちとイディちゃんとの間で、常識というか、生き方とでも言うべき部分に齟齬があるようです」


「んん~? どういうこと?」


 オホンと咳払いを一つしてから、ゼタさんはリィルの方へ向き直ってピンと指を立てるお決まりのポーズで話しだした。


「私や姉さんからすると生きる、今回の場合、仕事をするという訳ではなく生活全般を指しますが、その日常生活において魔力も含めて、自分の能力を当たり前のように使っていますよね?」


「そりゃあね。使えるものを使わないって、なんでそんな自分からハンデを背負いながら生活するような真似をしなくちゃならないの?」


「そこです」


 ゼタさんの指摘に、リィルは頭の上に『?』を量産しながら首を傾げた。ワタシも何が言いたいのか分からなくて一緒に首を傾げた。


翼人族ハーピーが翼を使って空を自由に飛ぶように、角人族オーガが大岩を片手で持ち上げる怪力無双を持つように。我々は生まれながらにして持っている能力を使いながら生きています。むしろ使わない方が不自然で、それを使うなというのは手を使わずに生活をしろと言われてるのと同義です。

 しかし、もしも生まれながらにして両手がなかった者に、ある日突然手が生えてきたとしてたら……果たしてその手を万全に使うことはできるでしょうか?」


「……えっ? 嘘、まさか」


「ええ、そうです。私もイディちゃんがマレビトであることを思い出して、ようやくそこに考えが至りました」


 何をそんなに驚いているのか、開いた口が塞がらないといった様子のリィルに、ゼタさんは神妙に頷いてからワタシの方に振り返った。


「イディちゃん」


「は、はい」


 ど、どうしたんですか? そんな真剣な目を向けてきちゃって、ちょっと怖いんですよ。


 ゼタさんがズイッと顔を寄せてくるのに、反射的にワタシも顔を引いて逃げようとしたけど、不安定なネットの上じゃ碌に動けなくてすぐに固まるしかなかった。


「イディちゃんは……もしかして高貴な身分のお嬢様ですか?」


「………をぅ?」


 急に何を言ってるんですかね、この黒山羊さんは。


 ワタシがお嬢様? ちょっとあり得なさ過ぎてリアクションも取れないんですけど。


 しかし、困惑し切って目を丸くしているワタシには目もくれず、ゼタさんは一層表情を引き締めて詰め寄ってきた。


「どうなんですか?」


「いや! いやいやいや、ないです! ないないないッ! ワタシがお嬢様? 高貴なご身分? あり得ないですって! なんならワタシから最も縁遠い言葉と言っても差し支えないくらいです。どうしてそんな結論になったんですかッ!?」


「本当に?」


「本当に本当ッ! いったいどうしたって言うんですかぁ!?」


「ふむ……そうですか」


 本当になんなんだ? さっきから訳の分からないことばっかり言って。自分勝手に納得してないで説明してくださいよぉ!


 これじゃあまるで尋問じゃあないですか。もしかしてワタシ、また何かやっちゃいました?


 まさか異世界系主人公にありがちな疾患を患ってしまったのか?


 そんな考えが湧き上がってくるのと一緒に震えが止まらなくなって、縮こまってビクビクしだしたワタシを見下ろしながら、ゼタさんは思案顔で顎に手を当てた。


「そうなると……イディちゃんの失われてしまった記憶に鍵がありそうですね」


「……へっ? いや、だから待ってください! ワタシに何か問題があるんですか?」


「いえ問題がある訳では……いや、そうですね。問題があると言っていいでしょう」


「そ、そんなッ!?」


 あまりにも衝撃的なゼタさんの言葉に、耳をヘタらせて腰を抜かしてしまった。


 全身からサァッと血の気が引いて、ガタガタと震えが強まっていくのを止められなかった。


 どうしてだ……たとえ本能に負けても、常識も思考も投げ捨てたようなラノベ系主人公のようにはなるまいとしてきたのに……どうしてぇ!


 ワタシにいったいどんな落ち度が……落ち度しかねぇ気がしてきた。


 でも、この結果はあんまりだよ。納得できねぇよ!


「ワタシは、いったい何をしてしまったんでしょうか?」


「あっ、いえ。イディちゃんが何かをした訳ではなく、どちらかというと何もしていなかったという方が正しいですね」


 ――ぐぅの音も出ねぇ!


 確かにこっちの世界に来て以来まともな仕事の一つもしてないし、ずっとリィルの世話になりっぱなしだ。くっ、働いてもいねぇのに汗水が止まらねぇぜ。


 冷えッ冷えッのヤツがな!


 ……で、でもさ。それはリィルが望んだことでもある訳で、ワタシが働いてしまったらリィルが寂しくて生きてないって言ってた気がするから仕方ないんだよ。


 それにワタシみたいな美幼女が働いたら、環境保護団体から猛烈に抗議の電話が殺到して仕事どころじゃなくなるから。つまり、何もしていないのはみんなの望みで、ワタシの望み。


 はぁ~鮮やか。これは一〇〇年に一度の論破だわ。


 ……論(理)破(綻)だよ、分かってる。


「生きててごめんなさいぃ……」


「えっ!? あっ。いや、そういうことじゃないですよ! 落着いてくださいイディちゃん!」


「ゼタ?」


「ああ、ほらッ! 姉さんが暴走してしまいますよ!? そうじゃなくてですね。イディちゃんはしっかり両手が使えるはずなのに、自分で手が使えないと思い込んでるせいで、無理に手を使わない生活を自分に課している状態なんです!

 その期間が長かったのか、よっぽど思い込みが強いのかは分かりませんが、使い方まで忘れてしまってるというのが私の予想です」


「えっと……つまり?」


「つまりですね。イディちゃんはその身体能力を発揮しているときこそニュートラルな状態なんです。それなのにイディちゃんは、まるでその身体能力を使うことが普通じゃないことのように考えてしまってるんです。

 それは私や姉さんからすれば、健康体の翼人族ハーピーが頑なに空を飛ばずに歩くことに固執しているのと同じように映るんです。だからイディちゃんはということです。分かりましたか?」


 な、なるほど。体的にはジャンプで何キロも飛べるのも、重力を無視した動きができるのも当たり前。でも『俺』の常識からしたら人は跳躍で跳べるのは数メートルだし、人間は垂直の壁を足場に三次元的な動きはできないのが当たり前。


 つまり今のワタシの中には常識が二つあって、それがお互い衝突していると。


 確かにワタシはこの体には全く違和感を持ってない。でも、この体がしでかすことには違和感どころか正気を疑う。なんだよ、本能って。


「ゼタさんの言いたいことはなんとなく分かりましたけど、それがどうしてお嬢様やらマレビトの話と繋がってくるんですか?」


「ああ。それは途方もない高貴な血筋のお嬢様なら、大事に大事に育てられて、箱入りになっている可能性が考えられたからです。非常に低い可能性ではありますが、それなら自分ができることでも周りの使用人に任せるなどして、今まで使ってこなくて使い方も分からないということもあり得るのかなぁ、と」


 つまり、家出少女が初めての自由にテンションはっちゃけちゃったと。そんで自分の想像以上の力に自分で恐怖を覚えて、使わないようにしてるから使えるようにもならない、と。


 痛いじゃないですかッ!? ま、まぁ、その可能性は否定されたから置いておこう。


「じゃあマレビトはなんで?」


「マレビトについては私も聞きかじっただけの知識なので中途半端なものですが。

 昔、とある龍が人化を行って龍からマレビトになったとき、体の勝手が違い過ぎるあまり、まともな生活を送れるようになるまで時間を要したという話を聞いたことがあったのです。イディちゃんは〝生まれ〟のマレビトですが、似たようなことがないとも限らないので」


「な、なるほど」


 鋭いじゃあないか……。しかし、間違いなくこの世界の常識やら法則に慣れていたはずの龍でさえ時間がかかったとなると、ワタシじゃあ一生無理そうな気がする。


 だからさ――、


「でも、ワタシ。やっぱり自分の意志であの動きをできるとは思えません!」


 みんなで諦めようぜッ!

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