106 家族って、つまりそういうことだよ


 ああ、くだらないな……本当にくだらない。自分でもそう思うけど、でも、人間ってそういうのが一番必要なんだよ、きっと。


 温かいご飯に、一緒に食卓を囲んでくれる温かい人たち。そこから流れてくる穏やかな談笑の声。そういうのがあれば、世の中ってなんとなく回ってくんだ。


 リィルとゼタさんの溝は埋まったし、オロアちゃんも子供たちが無事なら自分と向き合うきっかけになるかもしれない。シュシュルカさんと揺り籠の子供たちは、何事もなくこれからも平穏に暮らすだろう。


 笑って話して、美味しいご飯を食べてれば、大丈夫になっていくもんさ。


 まぁ結局のところワタシは部外者だから、こんな考えすら思い上がり以外の何物でもないのは知ってる。


 それでも、いや、だからこそ。


 そういえばそんな人もいたねって、忘れられているくらいが丁度いいんだって、そう思っていたいんだ。


 目蓋の裏に、これまでの、たった数日で多すぎるくらいに与えてもらった温もりと笑みを、そして、それを与えてくれた人たちのこれからの温もりと笑みを思い浮かべながら、葉っぱの上に手を置いてゆっくりと頭を下げた。


「その役目、受ける前に一つだけ、お願いがあります」


「……申してみよ」


 答えたのはレオゥルムさんだった。それまでタタタさんに任せて後ろから事態を見守っていたのに、今になって幻獣の威厳に満ちた声が厳かに響いてきた。


 それに合わせてタタタさんも、道を空けるように脇によけて、私たちが正対するようにといらない気遣いを見せてくれる。


 自然と頭が持ち上がった。


 猛禽類特有の鋭い眼差し。恐怖を駆り立てるのに、それでいて超常的で、自然と敬いたくなるような不思議な光。アーセムの頂上に住まう幻想のぬし


 そういった存在として、ワタシの言葉を真正面から受け止めようとしていた。


 その瞳から目を反らさないように、全身にグッと力込めて背筋を伸ばした。


「はい。巫子みことするのは、ワタシで最後に欲しいのです」


「……それは何故なにゆえか」


 レオゥルムさんの瞳がスッと細る。ワタシの言葉の裏側を探るような視線に、固まりそうになる身体をなんとか宥めすかして、目を逸らさずに言葉を続けた。


「……巫子というものがどういったものなのか、ワタシは正直よく分かっていません。こんなワタシがアーセムやオールグにとって、もしかしたらもっと多くにとってかもしれませんが、それらにとって重要な大役を担えるか、不安に思うのは当然だと思います。

 定期的に巫子を招くことにも、それを身寄りのない子供から選ぶことにも、そうでなければならない理由があるんだと思います。

 それでも、やっぱり……仲のいい家族には一緒にいてほしいじゃないですか」


 ――どうしようもなく、本心だった。


 会ったばかりとか、彼らのことをよく知らないとか、そんなのは些細なことだった。


 たとえ、休日にたまたま散歩に出て普段は全く寄りつかない公園を散策していて、やっぱりたまたまそこにいて視界の隅を掠めただけの家族だとしても、ワタシはその家族に一緒になって、同じ時間を共有して、同じ空気の中で楽しさを、笑顔を、時には悲しみだって、共有していてほしかった。


 家族がそう簡単にうまくいかないことなんて、他でもないワタシがよく知っている。


 脳裏に浮かんでくるのは、『俺』の両親。……とても穏やかな人たちだ。


 怒ったところなんて見たことがなかった。いつでも微笑みを絶やさず、どんな存在に対しても同じ表情で向き合っていた……道端の草にも、『俺』に対しても……。


 あの人たちにとっては、『俺』が笑みを向けるのも、そこら辺の草花が揺れているのも、まるで同じことだった。


『うん、その話はまるで興味ないかな』


『私に時間を割かないで、もっと別のことに活用したら?』


 一〇〇点のテストだったかもしれない、いや県のコンクールで入賞した絵だったかもしれない。今となってはそれがなんだったかなんて覚えちゃいないけど、とにかくあの時の『俺』はきっと褒めてもらえると、驚きに目を丸くして、その後には相好を崩して、頭をなでてもらえるんだと、夢中だった。


 胸を弾ませ足を弾ませ、玄関を勢いよく開け放って駆け込んで、満面の笑みで差しだして……返ってきたのはいつもの微笑みと、いつもの穏やかな声と、いつもの平坦な感情だった。


 別にネグレクトを受けていた訳じゃない。会話もあった、食事もあった、笑みだってあった。


 ただ、誰もそこにはいなかった。同じ空間にいて、同じことをしているのに、誰一人として同じ時間を共有していなかった。


 良く言えば超個人主義……たったそれだけのことなんだけど。


 ただ『俺』は一緒にいたかっただけなんだ。それだけが、欲しかったんだ。


 だからこっちに来てからも、関係が浅くて、ワタシが顔を突っ込んでいいかも分からない、リィルとゼタさんの関係にもお節介を焼かずにはいられなかった。


 このファンタジーな世界が、夢でも幻想でもない、どうしようなく現実なんだってことは、もう嫌ってくらい分かってる。


 異世界でくらい、夢を見せてくれたっていいのにさ……。


 世界が上手く回っていても、すべての存在を余すことなく救うなんてことができないのは、もう嫌というほど突きつけられた。


 だから、リィルとゼタさんはこれからも喧嘩をするだろうし、オロアちゃんは妹のことを乗り越えても別の問題に直面するだろう。シュシュルカさんは子供たちが思春期に入って言うことを聞いてもらえずに悩んで、子供たちはお互いに隠しごとも増えていって、家族なのに理解できないことがどんどん出てくるんだ。


 それでも、夢でも幻想でも現実でも、それが目も合ったことのない無関係だったとしても、ワタシの目に映る家族は一緒の時間の中にいてほしいって……ただそれだけの、我が儘だ。


 でも、そのためなら――ワタシは!


「ワタシの身体も、自由も、すべて思うままに使ってください。捧げます。

 だから、その代わりに、あの子たちを、揺り籠の家族を引き裂くのだけは、勘弁してください! お願いします!!」


 いくらだって自分を差しだせる。自由が離れていくのは怖くて仕方ないけど、我慢できる。でも家族が一緒にいないのだけは、我慢ならないんだ!


 ガバッと、再度勢いよく頭を下げる。


 ワタシの軽すぎる頭に大した価値なんてないのは重々承知している。……価値も頭も下げるのは簡単なのに、上げるのは難しいのはなんでなんだろうな。


 それでも、この願いが叶えられないなら……ワタシは巫子の役目は引き受けられない。


 固く目を閉じて頭を下げたまま、レオゥルムさんの次の言葉を待った。


「……うむ。其方の望みは確かに此方こなたに届いた」


 どれだけ暗く視界を閉ざした中で待ち続けたろうか。


 一秒が何時間にも感じられる緊張の中で震えていたワタシの頭上に、レオゥルムさんの柔らかな声音が降ってきた。


 その言葉の意味を理解するのと同時に、勢いよく頭を振り上げていた。笑みが溢れるのが止められず、尻尾も勝手に千切れんばかりに乱舞していた。


 全身から湧き上がってくる感情をそのままに、レオゥルムさんに詰め寄る勢いで声を上げた。


「じゃ、じゃあ!」


「だが!」


 鋭く放たれた制止の言葉に全身が震えた。レオゥルムさんは厳しい表情を崩していなかった。


 ――上げて落すのかよ……。


 こんな高さから落とされたんじゃあ瀕死は免れない。尻尾もさっきまでのはしゃぎようが嘘みたいに、真上を向いたまま縫い留められて固まってしまっていた。


 あまりの落差に内臓が浮き上がるような恐怖が腹の底から湧き上がってきて、一緒になってよみがえってきた震えが、全身の細胞に一つひとつに染み込んでくる。その震えが毛の一本一本を波打たせるように逆立てて、ビリビリと痺れる感覚がした。


 ショックに呆けているワタシの目の前で、レオゥルムさんは次の言葉を発しようとしている。


 このままじゃあまずい。きっと良くない言葉が待っている。そう確信しながらも、ワタシの身体は、ショートしたみたいにピクリとも動いてくれなった。


 それなのに、世界がワタシを少しでも苦しめようとしているみたいに、レオゥルムさんの嘴を開く動作だけは、酷くゆっくりしたものに見えた。




「その前に……身体と自由を捧げるというのは、どういうことかの? 此方としては別段、其方をここに縛りつける理由がないのだが?」




「………へっ?」

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