105 気づいたら後がないなんてよくあることだよ


 目線を合わせるためか、はたまた誠意を見せるためにか、地面という名の葉の上に正座をしたタタタさんが、真剣な面持ちでクッと背筋を伸ばして見つめてくる。


 さっきから満ち満ちている母性に、重大な仕事を部下に託そうとするできるリーダーのような兄貴性まで加わって、幼女の童顔の奥から大人っぽさが溢れてくるのに、胸が高鳴って思わず小さくため息が漏れた。


 タタタさんってば、ワタシと出会ってからずっとそういう真剣な眼差しばかり送ってきてるけど、それはちょっと危ないですよ。


 そんな抜き身な視線をこれ見よがしに目の前で晒されたらドキドキしちゃうじゃないですか……いいんですか? 恋、しちゃいますよ?


 そのとき、全身に電流が走った。


 ――ハッ!? そういうことかッ!


(ふふっ。読めましたよ、貴女の狙いが。恋でワタシを盲目にして、正しい判断ができなくなったところに無理難題を吹っかけてくるつもりでしょう?)


 かー甘いんですよねぇ、思考砂糖漬けかよ。


 ワタシですよ? 恋に目がくらまなくても、地面を見ているのがデフォなんだがら正常な判断なんて下せるはずないじゃないですか。最早これは世界の常識ですよ。


 ――クーッ、人生が酸っぱすぎる!


 世知辛いだけでも涙が出るくらい刺激的だっていうのに、酸味までぶち込んでくるとは……人生ってヤツはなんて欲張りさんなんだろうか。


 でも、それはワタシも一緒か。いや、ワタシだけじゃない。みんな、小さい頃に思ったはずだ。自分の好きな、美味しい物だけを食べて、お腹いっぱいになりたいって……。


 一緒! 人生も美味しいところだけを持ってきてほしいよね。そんな、一度にいろんな味つけされても、複雑になって、くどくなって、どの味に集中すればいいのか分からなくなってしまうだけですからね。


 それにほら、見た通りワタシってば幼女なんで、子供舌なんですよ。だからさ、人生も温く、美味しいところだけをたらふく食べても許されるんじゃないかなぁって……駄目?


わたくし共の願いとは……」


 あっ駄目ですよね。分かっていましたけどね、はい。


 そういえば好き嫌いしてると大きくなれないってよく聞きますけど、それって身体の話なんですよね。……人としての器はどうすれば大きくなれるんだろうか。


 最近……ではなくて生まれてからずっとだけど、自分の器の小ささが悩みなんですよね。身体ばっかりにかまけて、器のことを放っておいた結果がこれですよ。


 教育庁は給食の内容を器が多くなる献立に変更するように見直すべきなんじゃないですかね。


「それは、」


 ああ待って待って! タイム! まだ準備できてないって!


 重大なことを言うのは分かってる、待ってもらうことができないのも分かってる!


 でもワタシの小さな器じゃ受け止めきれなくて溢れちゃうと思うんです。


 だから、ちょっと容量が増えるまで育つのを期待して待ってみるっていう選択肢はどうですか?


「トイディ様にレオゥルム様の巫子みことなっていただきたいのです」


 あーはいはい。知ってた。ワタシの器が育つなんてことがないって知られてるのを知ってたわ。いいよいいよ、もう、キャパオーバーなんて気にしてられないってことですもんね。


 で、なんでしたっけ? ああそう、巫子だ。なるほどね、うんうんそういう……巫子?


「……へぇうぇっへ!?」


「だ、大丈夫ですか!?」


 アカン、なんか変な咳でたわ。えっ、ていうか巫子ぉ!?


 巫子って確か、シュシュルカさんとアーセリアさんが話していたレオゥルムさんのお世話のために召し上げられるっていう、言い方がアレだけど、ようは生贄ってやつですよね?


 おそらく、というか確実にタタタさんが現在の巫子さんな訳で、彼女の様子を見ていると、そのまんまの意味でお世話をしているっぽいから、人柱って意味での生贄ではないんだろうけど。


 どっちにしても、レオゥルムさんがここを離れられないということは、必然的に巫子さんもここに留まらなきゃいけないのは間違いない。


 それを今度はワタシに務めてほしいと? ……ハッハッハ!


「何かの冗談ですよね?」


「へ? ……えぇ!? い、いえ! そのような、けっして冗談でこのようなことは申しません!」


(冗談ってことにしといてよッ!)


 えっ、そもそもなんでそんな素で驚いちゃってるんですか? むしろ真剣マジで言ってるなら、なおのこと質が悪いですよ。


 だって、巫子になるってことは一生をここに縛られなきゃいけなくなる訳で、そんなの自由が死んじゃってるじゃないですか。え、もしかして、民主主義に対する挑戦ですか?


 さんざん首輪にリードで繋がれてるとか言っといて、今更何をぬかしてんだとかそういうのは今は捨てとけッ!


 ホントそういうのは、リィルのバブみだけで十二分に足りてるんだ。あれがはたしてバブみと言えるかどうかも捨て置く。


 ――でも自由だけは捨てらんねぇよぉ!


 落ち着け、ワタシ。とりあえず可能な限り回答時間を引き延ばすんだ。


「えーっとですね。そのぉ……」


「はいっ!」


 あ、駄目だ。これ、引き延ばせないやつだ。


 見ろよ、あの期待にキラキラと輝く瞳。もうワタシの返答を今か今か待ちわびすぎて、「さぁ、お答えをどうぞ!」って顔に書いてありますもん。


 しかも、この状況。いろいろとやらかしたことを誘導尋問によって洗いざらい吐きだした後に、お願いを持ってくるっていう戦略。


 いくら過ぎたことでワタシに責任はないってタタタさんたちが言ってくれたとしても、自分のやらかしたことを考えたら断りづらすぎるわッ!


 チクショウ、きっとワタシが断れなくなることを見越して、先に魔力膨張の話をしたに違いない! 可愛い顔して、なんて策士なんだ!


 ……ゔぅうう……あ゛ーーー!!


 無理だ、やっぱりどう考えても断るって選択肢を選べない!


 そんな人たちではないと分かっている。それでも万が一、断ったことを理由にオールグの街の人たちへなんかしらのシワ寄せがいくことになってしまったら?


 これもう目覚めが悪すぎて、永眠したくなるわ!


 だって、街の人たちは何も悪くない。ワタシっていう災害が勝手に押し入って、勝手に問題を起こして、その解決を丸投げするとか人としてどうよ? 畜生いぬだってやらんわ、そんなこと。


 ――だから……覚悟を決めよう。


 考えてみたら、本当に短い時間だったけど、月曜日と仕事に大手を振って別れを告げて、目を見張るような美人の森人エルフに案内されながらファンタジー一色の街を観光できたんだ。それだけでも異世界くんだりまで来た甲斐は確実にあって心の底から思える。


 思い返すまでもなく、楽しい思い出がたくさんある。


 頬が緩んで仕方なかった糸玉。


 口から這いでてきた色鮮やかな蜘蛛。


 凶器片手の美人エルフと路地裏での追い駆けっこ。


 命の危機を感じずにいられなかった、ド迫力のバトル。


 そして、宇宙に届く世界最高の樹の頂上へ生身での登頂……碌なことがないように感じるのは気のせいだな、うん。


 と、とにかく。タタタさんの様子を見ていれば、息も詰まるような、それこそ元の世界のブラック企業とかみたいな状況にならないだろう。


 だから、覚悟を決めよう。


 それに、ワタシが巫子になれば、今代の巫子は他に必要なくなるはずだ。そうすればきっと、あそこ、揺り籠の子供たちがここに送られることはないだろう。


 ――どうにかするって約束しちゃってたしね。


 まぁ、すべて成り行きによるものだけど、結果さえよけりゃ誰も気にしないさ。だから、ほんの数日、街に立ち寄った幼女犬ようじょいぬのことなんて、すぐに誰も気にしなくなるさ。


 そう、自分の中で結論づけて、静かに目を閉じた。


(ああ、でも。リィルとの約束。帰るって約束は、破ることになっちゃいそうだな……しょうがないんだけどさ。

 でも、やっぱりちょっと心残りだ……今日の夕飯、なんだったんだろうなぁ)


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