63 一秒前と同じ世界なんてないんだぜ?


 影から進みでてきたその人を前にした時、自然と目を見張っていた。緊張なのか、独りでに喉が小さく動いてコクリと音を立てる。


 朝露に濡れる新芽のような、柔らかな浅緑あさみどり色をした髪と、そこから延びる、リィルの倍どころではなくある長い耳。

 天に向かって延びる若枝のように細くしなやかな体躯、静かに閉じられた瞳が乗る純白のかんばせ、人形だって、いや人の手ではどうやったってこんな繊細な美を凝縮した存在を作り出せる筈がない。


 そのぐらい、見ているだけで落ち着かなくなりそうなぐらい、綺麗だった。


 これはアーセムを始めてみた時と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に、ファンタジーそのものを凝縮した存在かもしれない。


(――これが、純血の森人族エルフか!)


 まるで、この世のモノじゃないみたいな。彼女の周りだけが別の世界に塗り替えられてしまったような、神聖さに満ちている。


 雲間から溢れてきた光が、その場所だけを照らしだしているみたいに、このヒトがその場にいるだけで空間が清らかになっていくようだった。


 きっと、元の世界で神様を信仰している人たちは、こういうものを目の当たりにしたんだろう。


 そんなことを思ってしまうくらいに、縋りつきたくなるような包容力と、後退りたくなるような触れ難さが同居していた。


「そんな、なんで。なんで、貴女、貴女様がここに!?」


 驚きに震えるリィルの声に、女性に向けていた目の見開き具合を三割増しにしてリィルに向けざるを得なかった。


(そ、そんな馬鹿な!? あの、アマゾンのジャングルに我が道を舗装していくようなリィルが、あのリィルが! 様づけだけでも驚きなのに、慄きながら後退している!?)


「……バーテス家の娘ですね。アーセムの葉陰より降り注ぐ木漏れ日は、遍く民の心の影を……」


「アーセリア様」


 どうやらアーセリアそのものが呼び名らしいその人が、リィルの声に気がつき、瞼を開かないまま何やら儀式の祝詞にも思えるような厳かに言葉をかけていたところで、両脇に控えていたエルフの男性二人の片方が、制するように耳元で何事かを小さくささやいた。


 側近らしき人の言葉に静かに耳を傾けていたアーセリアさんだが、一瞬だけ、もしかしたらワタシの見間違いかもしれないが、男性が元の位置に戻る時に眉根をキュッと絞り、唇を尖らせて、不満を飲み込みながらもほんの少しだけ漏れでてしまったような、我慢を覚えきれていない子供のような表情をした気がした。


 ただ、それも本当に一瞬のことで、実際にはその神秘的な表情がわずかにでも崩れたなんてことはワタシの見間違いで、先程も今と変わらずに、人に忘れ去られた廃墟に漂う耳が痛くなるような静寂を、そのまま感情に押し固めたような顔をしていたのかもしれない。


 それでも、ただの勘違いかもしれなくても、もしかしたら無理をしてそこに立っているのかもしれないと、もしかしたらワタシは、そう思いたいのかもしれない。


「……今この時より、この場は聖域となります。許しなき者は疾く去りなさい。

 これはアーセリア《わたくし》の決定です」


「そんなッ!? 待ってください、納得できる説明をお願い致します! 

 いくらアーセリア様のご決定とはいえ、こんな状態の友人を置いて、その原因となった人々に預ける訳にはいかないッ!」


 アーセリアさんの空気に飲まれてしまって何も言えずにいるリィルを庇ってか、ゼタさんが押し退けるように前に出て食ってかかる。


 そこから一歩も引かないと全身で訴えかけるよに強い瞳で相手方を睨み据えるその姿は、一分の隙もなく、どこまでも騎士だった。


(普段から格好いいことは、存在するであろうファンクラブの皆さんに誓って間違いないんだけど。若干異なる意見もあるかもしれないかもしれないなんて、耳に入れた日にはワタシがゼタさんの格好いいところを一〇〇個暗唱できるようになるまで、ありがたい話が聞けそうだからやっぱり格好いいことに間違い。

 その上でいつもの倍がけで格好良く見えるよ、ゼタさん!)


 普段は作っているのが丸わかりな騎士様像の隙間から、本物の騎士としての顔が覗けるのがゼタさんファンの醍醐味なのかもしれない。


「あ~、ああちょっと待て、ゼタ。こっちにも色々と事情がだな」


「団長は黙っていてくださいッ!」


「さっき全部説明しろって言ったじゃないの……」


 ゼタさんに叱られたオッサ、いやうん、オッサンで何も間違っていないし、むしろオッサン以外の呼び方がしっくりこないから、これは世界がそう望んでいるに違いない。


 やったね、オッサン。


 世界に望まれるオッサンなんてそういないんだぜ、ロマンスグレー。


 だから元気だせよ、ロマンスグレー。


 ゼタさんに叱られたからって、そんなしょげて引っ込むことないんだ。アンタはアンタのままでいいんだ。


 それだけで、あるかもしれない一定層の需要は満たしているんだからさ……。


(――十分だろ?)


 これ程までに幼女に称賛を送られる以上の御褒美がはたしてあるだろうか、いやない反語ってことで、これでワタシたちはもうお友達であることは疑いようもないんだけど、出会って間もないことも事実だから、とりあえずここはお互いを知っていくためにメールから始めていくのが世界の常識。


 ――いい友情は、いい距離感から。


 至言だね。後世にまで語り継がれますよ、これは。


(だからさ、とりあえずお家に帰っていただけませんかね?)


 そんなワタシの儚過ぎる願いが気づかれる筈もなく、アーセリアさんのおつきの片方が鼻息を零してから促すようにオッサンに声をかけた。


「……バルッグ殿」


「ああ、はいはい。分かってますよ。お仕事ですもんね。……あ~あ、やりたくねぇな~」


 なんとオッサンはオッサンじゃなくて、バルッグさんというお名前があるらしい。これは世紀の大発見かもしれない。


 まぁ、それでもオッサンはオッサンだから、世の中には覆しようのない決まりごとっていうのがあるから上手く回っていることを理解すべきですね。


 オッサン(確定事項)は大きな溜め息を吐きながら、ガシガシと後頭部を乱暴に引っかくと、どうにもやりきれないとでも言いたげな空気を軽妙な苦笑で覆って、ワタシたちに向かって一歩踏み込んできた。


「止まってください、団長。それ以上間合いを詰められるようでしたら、私はすぐさま行動に移さなければならなくなります」


「あぁ、待てゼタ。言ったろう、おれぁ、『下』じゃあ荒事はしねぇってよ。

 それはお前も知ってんだろ? だからここはひとつ、穏便にいこーや。

 つまりだ……」


 自分で乱した髪を再度かき上げるように持ち上げた腕の影から、先程までの緩み切った瞳と同じところから放たれるとは信じられない、研ぎ澄まされた眼光が覗いていた。


「今すぐ決めな。穏便におれにのされて、宿舎のベッドに放り込まれるか。自分の足で自宅のベッドに潜り込むか」


 そのバルッグさん(修正事項)の言葉が終わるか終わらないかの内に、ゼタさんの全身が瞬間的にたわみ、両足が地面を力強く蹴り抜いていた。


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