62 何やってんだよ団長!? とワタシとシリアスさん!
「ゼタ!」
「ハイッ!」
急に聞こえてきた音の方向に頭を持ち上げるように首を伸ばして、耳と尻尾をピン立てたまま固まったワタシを他所に、未だ声の響きが抜けきっていないその時には、二人は何をどうするなんて相談することもなく、刹那の間に呼吸を合わせて駆けだしていた。
何が何やら訳が分からない、でもこれだけは確かだ。
さっきのは悲鳴だ。
戸惑いと怒りと懇願と、いろんな強い感情をごちゃ混ぜにしたあれは、悲鳴だったんだ。
そしてその中に、確かに彼の足音も混ざっていた。
最近は鳴りを潜めて、大人しくしているなと思ったらこれだ。
――シリアスさん!
気がついていたさ、ワタシとシリアス《きみ》は和解した訳じゃないんだって。
そう、ワタシたちはお互いを認め合っただけなんだ。
そんなマブダチからのお願いなんですが、気がついた時には背後を取られているような、その劇場型で出し抜けなところは本当に心臓に悪いから直してください。
ワタシの心臓は障子紙製ですよ?
そこのところよく考えて対策案を練って来週までに提出していただくってことで、今日の所はお引き取りしていただいきたいんだけど、いつの間にかゼタさんの二の腕に座るような形で抱えられて前を疾走するリィルの背中を追い駆けているので、これは手遅れってヤツですかね。
体感的にはむしろ速過ぎるくらいなんですけどね。
玄関までの折れ曲がる廊下を一切の減速なく走り抜ける二人は、そのスピードに反し驚く程静かだったし、覚悟とかその辺の色々を部屋に置いてきてしまって、今の状況にも置いていかれてしまっているワタシの心も波一つなく静かだった。
というよりも、先程響いてきた悲鳴を耳にしてから、緊張が鼓膜を突き抜けて頭の奥に張りついてしまったみたいに身体が動かなくて、人形みたいに運ばれていることに苦言を呈しようなんてことは思考の端にすら浮かんでこないだけだった。
次々に流れていく木目と漆喰の壁を呆けたまま見つめていたのは、ほんの二、三秒のことだった。
視線の先、玄関の前で立ち尽くしているシュシュルカさんの後姿が扉からの逆光の中で浮かんでいるのを目にした瞬間、考えるまでもなく声が溢れた。
「シュシュルカさん!」
突然響いたワタシの声に、シュシュルカさんが驚いたように勢いよく振り返る。
その瞳には先程までのどこかあけすけで陽気な色はなく、まるで急に目の前で絶望が立ち上がったように暗い影に覆われていた。
気力が抜けきってしまったのか、その場にへたり込んだシュシュルカさんを守るために、リィルが腰を落として低く身構えた状態で玄関先まで躍り出る。
ゼタさんも、ワタシをシュシュルカさんの傍らに素早く降ろすと、玄関の先にいる何者かから屋内を守るように腕を左右に広げて立ちはだかった。
「大丈夫ですか?」
いや大丈夫な訳ないだろ、馬鹿かワタシは。いえ犬ですけれども。
――……こういうとこやぞ、ワタシ。
そういう空気じゃなかったでしょ!
目の前にこちらの言葉に碌な反応もできず、ただただ俯いて、涙に濡れた瞳を震わせている人がいるのに、そんなお茶らけるなんて人としてどうかと思うんだけど、最近は人の比率が下がってきているから許してもらえる気がする。
でもそれは許されているとは言わないし、例え許されたとしても、それは犬としてだから。ワタシは、人として生きたいな……。
よし、いや何も良くはないけど切り替えていこう。
なんにしても大丈夫だなんてことはある筈がないから、シュシュルカさんに肩に手を置きながら寄り添って、……これからどうすればいいんでしょうか?
いやホント、絶望に暮れる女性の慰め方なんて小学校じゃ教えてくれなかったですもん!
リィルの時は無我夢中で口が独りで垂れ流していただけで、何か考えがあってなんてことはない訳で、冷静な判断を下すためにもいったん帰ってレポートにまとめたい、なんて思考が出てくるこれこそ学校教育の弊害ですよ。
文科省は早急に対策を打ち出して、役目でしょ。
「どこの誰だか知らないけど……、死にたいの?」
(恐ろしいですよリィルさん!)
冷静な判断をとは思ったけど、これは冷え過ぎですよ。
いやホントに、温度計はこの場にいなかった幸運を噛み締めるべきだわ。もしいたとしたら元々冷たい銀色の
それぐらいリィルの声からは温度というものが消え失せていて、玄関の向こう側で局地的な冬でもがやってきたのかと疑いたくなる程冷ややかな空気が流れてくるのに、ワタシの身体まで震えてくるのは完全な二次災害なんで外の誰かさんは責任とってください。
「おいおいおい、物騒だな。『上』でもねぇってのに、そんな肌にブッ刺さるみてぇな殺気を叩きつけてくんじゃねぇーよ。
おらぁ、『下』じゃあ荒事はしねぇって決めてんだ。
だから、まぁ、〈落ち着けよ〉。お嬢ちゃん」
外から聞こえてきた壮年の男性を思わせる渋い声が鼓膜を揺らした途端、全身にはびこっていた緊張が一瞬のうちに霧散していた。
(なんだ、これ? どうなっての!?)
何か自分が関与しないうちに感情を書き換えられてしまっていたような、ついさっきまで当然として自分の手の中にあったものがいつの間にか消えてしまっていたという状況に、なくしたものを探してその場でくるくる回る犬みたいに右往左往するしかなかった。
こっちの世界に来てから初めての超常的な何かに干渉された実感に、震えたくなる程に動揺したいのに、身体も心もワタシの手からコントロールが離れてしまったみたいに
いや本当に誰の許可を取って人に勝手なことをしているのか、問い合わせはどちらにすればいいのか番号ぐらい通知するのが礼儀ってもんでしょうに。
――こんなの、人のやることじゃねぇよ!
と思ったけど、これワタシがこっちの世界に来てから出会うどころかおそらく擦れ違っただけの人たちにやってきたことだわ、やはり犬畜生ってのはこれだから本当にごめんなさい!
(それを平然と受け入れたリィルの懐の深さはマリアナ海溝。溺れそうですよ、ワタシはぁ)
「そんな、この声は!」
自分のやってきたことの恐ろしさというか身勝手さというか、やましさと撒き散らしてきた恥に転げ回って悶えたいのに、気持ちがついてきてくれないモヤモヤを抱えてながらリィルにありったけの賛美を送っていたワタシの背後で、驚愕に震えるゼタさんの声が上がった。
ワタシは未だ影響が抜けないっていうのに、ゼタさんが既に回復しているようなのは魔法的な対象方があるのか、それとも種族とかの身体的なものなのか。
とにかく全員が全員、相手の為すがままじゃないっていうだけでも、頼もしさのあまり心が震える気がします。気がするだけで何一つ変化ないんだけどね。
ゼタさんは意を決したようで、リィルの後を追うように玄関から外へ歩みでていった。それによって、先程まで彼女の影になって見えなかった外の様子が垣間見えた。
声から想像できた通り、無精髭を生やした白髪交じりの男性は顔にはしわが幾重にも刻まれていて、その上を更に多数の傷が覆っていた。にも拘らず、その顔に圧や尻込みするような気迫を感じないのは、どこか気の抜けたような人の好さそうな、なんか気安い親戚のおじさんみたいな笑みが浮かんでいるせいかもしれない。
「これはいったいどういうことか。なぜ貴方ともあろう人が、私の友人にあんな悲痛な悲鳴を上げさせたのか。
全て納得のいくように説明していただきますよ。団長」
「あぁ、通りで。なんか引っかかると思ったら。噂をすれば、ってことかな」
ゼタさんの言葉にリィルがようやく合点がいったというように、相手から視線を切らずに軽く頷いた。
その様子に男性は一瞬面食らっていたが、何か迷うようにうめき声を漏らしながら大げさな仕草で頭を掻くと、苦笑を浮かべたまま背後に振り返った。
「なんなんだかなぁ。この時、この場所で、うちのルーキー様とご対面たぁ。これもアーセムの御意思ってやつなんかねぇ。そこら辺どうなんです?
――アニム・ウ・ス・アーセリア殿」
「――アーセムの根は世界に広がり、樹冠は
……全ては、御心のままに」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます