29 止まり木という意味のお菓子屋さん
『これらは当店独自の方法で精製した樹液や果汁をブレンドし、蜜液として飴玉の中に封入した見た目にも楽しい一品でございます。
中に入っている蜜液は色によって、それぞれ味が異なっております。
まぁ、長々と説明してもなんですので、まずは審査をするお三方にお好みで食べてみていただきましょう』
イスゥさんに促されるまま、ワタシたちはそれぞれ口の中にその美しい菓子を放り込んだ。
じわっと頬の端っこの方が引きつるような感覚がして、口の中に唾液が溢れてくるのが分かる。
頬の内側が蕩けていくような感触と、舌の上に広がっていく甘みに、ワタシの表情まで蕩けてしまったのはきっと自称神様のせいだ間違いない。
――ちくしょう。
ホント、何でこうなるのか。自分でも恨めしいぐらいにこの身体は簡単に籠絡してくれる。
自分の身体なのにゆるゆるに緩んだ頬は今にも零れ落ちそうだし、千切れんばかりに勝手に振られている尻尾はどうすれば止まってくれるのか分からない。
悪戯がバレて怒られてしょげ返ってふて寝していたところにジャーキーを見せられた犬だって、もっと落ちつきを持って反応するのはもう見なくても分かることで、ワタシがそんなおバ可愛い犬よりもちょろいとかもこれは取り返しがつかない気がしますね。
(どうしてくれるんだっ!)
誰に向かってのかも、罵倒なのかどうかどころか何を言いたいのかも自分でも分かっていないままの心の声は、舌の上の甘味と一緒に溶けて、消えて、すぐにどこかへ行ってしまった。
『普段であれば、舌の上で舐めて溶けるのを待つか噛んで召し上がっていただくかは、それぞれのお好みに合わせて自由に選択していただくところなのですが、今回は後も控えていることなので、御三方には噛んで召し上がっていただきたいとおもいます。それではお願いします』
イスゥさんが振り返りながら大仰に頭を下げてみせたのに、ワタシたちは目を見合わせて誰ともなく目配せで「せーの」の拍子をとって蜜玉に歯を立てた。
――パキッ!
微かな音と共に瞳の裏側で、香りと味と、幸福が、鮮やかに広がった。
飴の殻は思っていたよりもずっと薄くて、中の蜜と一緒に口の中に華やかな味わいが溢れてくる。先程までとは比べ物にならない甘みと多幸感とが、口を通して脳髄まで染みこんでくるみたいだった。
ドロドロに蕩けきった思考の隅で何やら警報が鳴っているが、それを気にしていられるほど暇でもないし正気でもない気がするので、これはホント違法な薬物が使われてるんじゃなかろうか。
ワタシの口にはいささか量が多かった蜜が零れて、涎掛けに吸い込まれていくのも今では気にならないのは、きっと良くないことなんだけどもうどうしようもない。
「うむ、美味い!」
「ホント、今までこういうの食べたことない!」
しかし無情にも両脇から上がった声に現実に引き戻されて、意識を取り戻すのと同時に慌てて口元を手の甲で拭った。
――大丈夫、気付かれてない……筈ないんだけど大丈夫!
とりあえずイスゥさんの優しげなドヤ顔にイラッとしたけど、実際に役に立っている以上なにか文句を言う訳にもいかず、もうワタシは諦めるしかないんだろうなきっと。
「私が食べたのは、これはベリィ系の実だな。甘酸っぱい香りと味がとても好みだ。色の種類だけ味もあるというのは、選ぶ楽しみというか、食べる前からワクワクする。小さい子供たちにも人気が出るのではないだろうか」
「あっ、それ私も思った。でも、私が食べたミントのはすっごい爽やかで美味しかったし、大人の人たちは仕事中の眠気覚ましで食べてもいいかも。ねっ、イディちゃんのはどうだった?」
――ついに、きてしまったか……。
ワタシを挟んで盛り上がっていた二人が、同時にこちらを覗いてくる。
ワタシのことなんて放っておいてとどんなに祈っても、あの神様が聞き届けることなんてないのは確信していたんだけれど心が荒むのはどうしようもない。
しかしここで変にしどろもどろになったりタメを作ってもいいことなんてないのは明らかなので、憮然としたまま必要最低限だけを言葉にした。
「すごく美味しかったです」
『あれぇ、ちょっと元気ないなぁ。これはもしかして、必要?』
「そうですねぇ! 噛みしめた瞬間に口いっぱいに蜜の甘さとか香りとかが広がって、もう楽しくなっちゃう感じでしたね!
見た目も綺麗で、どれ食べようか迷っちゃう! でもそれも楽しみの一つだよね! ワタシが食べたのは紅茶みたいな味でした!」
『あと、まだほっぺに残ってるよ』
「それを先に言ってくださいぃ!」
もうヤダこの妖精、鬼畜過ぎません?
妖精ってこう、もっとファンシーでふわふわで甘い感じの存在じゃなかったのか、甘さゼロの上にブラックとかもうどうしようねぇな。
口の中は甘いのに、苦虫をいっぱいに頬張って噛み潰したみたいだ。とりあえず現実から逃げるのに、もう夢みたいに甘い蜜玉をもう一つ口の中に放り込んだ。
――ふふ、ミントの香りが目にまで沁みてきやがる……。
『御三方にご紹介いただいたように、この「カロン」は大人から子供まで楽しんでいただけるようにと心掛けて開発した品になります。
味は全部で十五種類、その全ては当店が自信を持ってお届けする最高級の蜜液になっております。さらにこちらの商品、夏場の暑い日にはまた格別の美味しさをお届けできます』
またイスゥさんが奥に目配せを送ると、そこに控えていた犬人の彼がまたトコトコ歩いてきて、今度は蜜玉が一粒だけの乗った皿をワタシたちの前に置いていった。マジで彼だけが癒しだわ。
目の前の皿からは薄っすら冷気が立ち昇っていて、蜜玉も霜が降りたように白く霞んでいる。前のような宝石に似た澄んだ輝きはなかったが、見るからに熱い空気を吹き払ってくれるような涼やかさを湛えていた。
『見てお分かりになっていただけるように、こちらの「カロン」は凍らせることで暑い日和にさらに美味しく召し上がっていただけます。
中の蜜液は特殊な製法を用いているため完全には凍らず、噛めばシャリシャリとした独特な食感を、噛まずに溶かせばヒンヤリと冷えた水菓子のような喉越しを、それぞれお楽しみいただけるように作っております。
今回は時間がないので、先程と同じように御三方に噛んで召し上がっていただきましょう』
イスゥさんの説明を最後まで聞かず、ワタシとリィルはすぐに手に取って、指先から染みてくる冷たさに楽しみながら口の中に放りこんでいた。
ゼタさんが非難するようにワタシたちを横目に睨んでくるが、溶けて温くなってしまってはもとこともないので、そこはかとなく気にしながらも蜜玉に集中することにする。
ゼタさんもイスゥさんの説明が終わるのと同時に、ワタシたちに後れを取るまいと、急いで蜜玉を口に入れた。
舌の上にツンッとした感覚が広がるのと一緒に、舌に冷やされた蜜玉がくっつく。それを唾液で溶かして剥がしてから、やっぱり三人一緒にせーので歯を立てた。
――シャリッ!
きめの細かい雪を丸く握り固めて食べたような、軽やかなのにザリザリとした歯触りと一緒に濃厚な蜜液の味が溢れだして、次の瞬間、溶けだした氷水が蜜の濃い味を爽やかさに変えて通り抜けていく。
冷気が喉を滑り落ち、胃の中でそのままの涼やかさが広がる。なんというか、もうこれは完成された菓子だった。過不足なく、これだけで幸福が口の中を満たしてくれた。
「いい、いいぞ! これは。実に美味い!」
「んん~! このヒンヤリ感覚がお腹の中まで伝わっていくのがたまんない! 柔らかい氷を食べてるみたい。これからもっと暑くなったら食べる手が止まらなくなりそうだね!」
「一個一個が口に含めるサイズなのがいいと思います。大人なら二つぐらい一緒に食べて味の変化を楽しむこともできそうですね」
「あっ、それ美味しいそう! 自分好みの味の組み合わせを考えるのも楽しそうだし。イディちゃん、ちゃんとコメントできるじゃん!
んふふ~、よくできました!」
隣から伸びてきたリィルの腕がワタシの頭をかき抱いて、やりたい放題に耳の裏とか顎の下とか撫でまわしてくるのに、もう諦めはついてるか好きにしてくれとされるがままになって、甘味とナデナデの幸福が合わさり最強なのは間違いない。
ゼタさんが羨ましそうにワタシを見てくるのも、なんかもはやお約束になってきている気がする。
『おおぉ! すっごい高評価だ! これはこれはぁ、もしかしたらもしかするかもしれない! これまで不敗を誇ってきたガロンさんの糸玉屋「蜜糸堂」に初の黒星をつけられるか!? ではイスゥさん、感想を!』
『そうですね。当店の商品はどれも自信を持ってお届けできる一品には違いありません。しかし、これまでの商品は持ち運びや食べ歩きといった点で、どうしても他店に一歩及ばないものだったのです。
それを解消するために開発したのが、今回ご紹介させていただいた「カロン」! それがこのような高い評価を頂けたのは大変喜ばしく思いますし、自信を持って世に送り出せます。
すばらしいコメントの数々をつけて下さった御三方と、会場にお集まりいただいた皆様に改めて感謝申し上げます』
イスゥさんは改めて完璧な所作で深く頭を下げ、会場の外にまで響かせるような、快活で誰もが振り返るような、喜びの滲みだした声を張り上げた。
『持ち運びも簡単で、友人同士で分け合う楽しみもまた格別。暑い日も寒い日も楽しめる商品を取り揃え。大人から子供まで、徒人族(ヒューム)から森人族(エルフ)、獣人族も虫人族も、全ての人々に美味しさをお届けする。
我々、新進気鋭の菓子店「ウィグ」を! どうぞ皆様、宜しくお願い致します!』
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