30 スイーツ(おかし)な惨劇


 その大仰な挨拶に観客が拍手と歓声で答える。ステージを揺り動かすような熱気がワタシたちを包み込んでいた。

 それに手を振り返しながら、イスゥさんは犬人族(クーンシー)の彼を伴って舞台から降りていく。


 イスゥさんの背後に静かに付き従って退場していく彼は、観客の熱気をまるで感じていないような澄ました顔で短い足を動かしていたが、尻尾だけがパタパタと忙しく揺れていたのがワタシの視線を絡め取ってもう跳びつかなかった自分を褒めてあげたい。


 名残惜しくて舞台袖に消えていく彼のお尻に熱い視線を送り続けたが、無情にも彼は何の反応を示してくれることなく見えなくなってしまった。

 ゆったり横になって伸びきっている犬にちょっかいかけて、カラッカラに乾いた目で見られたかと思ったらすぐにそっぽを向かれた時のような侘しさがワタシの心を覆い尽くす。


 ――でも、そんな反応もイイッ!


 無反応でも冷たい反応でも、愛おしいって最強の存在だよな。もう彼のお尻だけでもいいのでクッションで売りだしてくれたりしないものだろうか。


『さてさてぇ、今回の闘技会は高レベルの戦いになる予感だよ! 今からガロンさんがどんなお菓子を出してくるか楽しみだね! それじゃあ、早速呼んでみよう。ガロンさ~ん!』


 しかしワタシが阿呆な思考に支配されている間にも事態は進行していく訳で、現実逃避の時間すらろくに与えられないとか世界はもっと優しさに満ちても良いと思うんです。


「おう! やっとか、待ちくたびれたぞ」


『ごめ~ん。でも安心して! アピールと審査の時間はしっかり! たっぷり! 用意してるから!』


「そこら辺は心配してねーよ。闘技会は公平、公正が大前提だからな。俺も気が済むまで自慢の品の魅力を宣伝させてもらうさ!」


 壇上に上がってきたガロンさんが菓子職人には似つかわしくない野太い腕を振って、自信満々といった風に立てた親指で自らを指す。


 そのリングにでも上がったような振る舞いが似合いすぎていて、もうね、今さらだけど、闘技会っていう名前からしてよろしくないよね。

 なんかお菓子で殴り合っている図しか思い浮かばないっていうのも、この街ならあり得そうなのが、ホントにワタシの胃まで殴りにきてる。


 きっとそうだ、ガロンさんもリィルと同じようにビックリ型市民Aに違いない。


 もう偏見に浸りきったワタシの目には、この街の住民はみんなそんな感じに映ってしまって仕方ないけど、第一村人がリィルである以上ワタシの曇りがちな目がぐるぐるってしまうのも仕方ない訳で、そこの観客の中に交じっている小さな兎人族の女の子まで戦闘力満載でも驚きませんよ、もちろん。


 ガロンさんの顔の輪郭を覆うように蓄えられた顎ひげなんて、野性味を醸し出しているし、なんかもう優しげで陽気な中年男性はみんな強キャラってことでワタシなんて相手にならないと思うんで、相手にしてもらわなくて結構なんですが如何ですかね?


 ――答えは必要ないんだ、無駄なのは知ってるから……。


『さてさて。それじゃーさっそくガロンさんのお菓子を運んでもらっちゃおう! どうぞー!』


「あいよぉ! おーい、持ってきてくれー」


 ガロンさんが舞台の袖に呼びかけると、スタッフらしき猫人族(ケットシー)の女性が三人、それぞれ手に蓋のされた盆を乗せて出てきた。


 三毛のロングだったり黒のショートだったりと毛の様子はさまざまだけど、どの人もメイド服の上部分だけを切り取ったような青い空色のトップスに、同色の短めのショートパンツとオーバーニ―ソックスを身にまとって、所々にあしらわれた白のレースの影から出た艶めかしい尻尾を揺らす、スラリとした長身の美人だった。


 彼女たちが舞台上に現れた途端、観客の男性陣から野太い歓声が上がる。


(分かる。分かるぞその気持ち、諸君! ……気持ちだけなんだけどな)


 なにせ、面倒臭そうで眠気に覆われた半眼だったり、逆にどこか楽しげで誘うような笑みを浮かべていたりと、様子は三者三様だけど全員が道端ですれちがったら間違いなく振り向くような美人だ。


 男ならそりゃあ歓声の一つも上げたくなるだろう。


 でも分かるのは気持ちだけ。なんていうか、ちょっとだけ、寂しいなぁ。


 ――感情(それ)を共有できなくなってしまったワタシを、許してくれ……。


 今のワタシが感じるのは、女性が黄色い歓声だとしたら、男性のは、なんというか、茶色い歓声って感じだ。汚いというわけではないが、どことなく土臭いというか泥臭いというか、やっぱり若干汚いな。


 でも嫌悪するとかそういう訳でもなくて、どちらかと言うと、こう「仕方ないなぁ」って気分になるというか、これがきっと母性ってやつだな。本当にヤメテいただきたい。


 あの自称神様はどれだけワタシを辱めれば気が済むのだろうか。


 どれけやっても気が済まないだろうなぁって分かってしまってしてしょうがないが、これに関しては「仕方ないなぁ」とは絶対にならない訳で、ワタシはどうすればいいんだろうか……。


 何かできる訳でもないのに俯いて悶々としていたワタシの前に銀色の盆が置かれるのと同時に、頬をザラリとした感触が撫でた。


「ふおぅ!」


 突然のことに驚いて変な声を上げながら視線を上げると、目と鼻の先で盆を運んできた三毛の猫人族が大きな瞳を細めながらワタシのことを覗き込んでいて、舐められた箇所を両手で押さえたまま固まってしまった。


 そんなワタシの様子に彼女はますます笑みを深めると、いっそう顔を近づけてきて、ふさふさとした毛の下から小さな桜色の下を覗かせると、ワタシの鼻の頭をチロリと舐め上げた。


「はぁあぁ!」


「かっわいぃ~。いい反応するね、君。ねね、これ終わった後で時間ある?

 おねーさんとステキなこと、しなぁい?」


「いえいえいえいえ、しなぁいです。ホント大丈夫なんで、顔ッ、顔が近いですぅ!」


 押さえる部分を鼻に変えながら、椅子に座ったままでできる目一杯まで上半身を逸らして距離を取ろうとするが、あろうことか彼女はテーブルに膝をかけて乗りだしてきて、縦に切れ長の瞳孔がすぼまったり開いたりしていて、もう獲物としか見ていないのが分かり過ぎてワタシはネズミじゃなくて犬なんですがそこら辺は関係ないんですね。


 ――逃げ場がないのも追い詰められるのも、元の世界だけで十二分なんですがぁ!?


 彼女の顔が、頰のすぐ横まで寄せられてきて、柔らかな毛と硬めの髭が皮膚の上を滑る感触にぞわぞわと全身を悪寒とも快感ともつかない感覚が流れて、尻尾の毛がぶわっと広がってしまった。


 熱の籠った吐息が垂れ下がった耳を掠めて、ワタシは引きつった悲鳴を上げてビクッと全身を一度震わせてから硬直した。


「あは~、ホントに可愛いなぁ~ん。ちょっとだけ、味見しちゃおっかにゃあ」


「あ、あ、あ」


「いただきま~」


「そこまでだ」


 尖った牙をワタシに見せつけるように大きく口を開いて迫ってきた彼女に、もう美味しくいただかれちゃう以外ないんだな、と諦めかけたところでゼタさんが割って入ってくれた。


 突き放すように顔を手で押さえられた彼女は、「フガッ」と潰れたような声を上げて止まった。


「ちょっと~。邪魔しないでよ、ゼタぁ。良いとこだったのにぃ~」


「悪ふざけが過ぎるぞ、メーア」


「ちょっとしたスキンシップじゃない。相変らずお堅いんだから~。そんなんだから女の子ばっかりに人気がでちゃって男性ファンがつかにゃいんだぞっ」


 メーアさんというらしい猫人族の彼女が、手をゆるく握り込んで招き猫のような仕草をしながらウインクを飛ばすのに、ゼタさんは腰に手を当てて大きく溜息をついた。


「……ここが衆目に晒されている会場でよかったな」


「んにゃん?」


 目を細めたまま首を傾げるメーアさんにゼタさんはそれ以上なにも言わず、メーアさんの背後を指差した。


 それに促されるまま振り返ったメーアさんは、ビクンッと全身を強張らせると同時に尻尾の毛をぶわっと逆立たせた。


「……メーア」


 彼女の背後で表情を感情ごとどこかに捨ててきたような、人にあって然るべき何かが無いように見えるリィルが、あまりに自然な様子で立っていた。


「リ、リィル」


 小さく零した彼女に、リィルはニコッと柔らかな笑みを浮かべる。その様子にほっと胸を撫でおろすメーアさんにスッと近づき、頬の横に顔を寄せた。


「月のない夜ばかりじゃないよ?」


「「ひぃっ」」


 きしくもワタシとメーアさんの悲鳴が重なった。


 メーアさんは地の底から響いてくるようでいて、どこまでも無機質な、けして一般的な女性が出していいものではない声に、ワタシは角度的にちょうど彼女には見えなくなっている、リィルの瞳孔が開ききりハイライトの消え失せた瞳と陰の張りついた表情に、恐怖に呑まれずにはいられなかった。


「猫人族(ケットシー)だから、夜なら自分が有利なんて、そんなこと……思ってないよね?」


 リィルが一言、言葉を発する度に、ワタシとメーアさんの震えは大きくなっていき、それと同時に尻尾が股座にひゅるっと丸まっていった。


「――――」


 ――何か言った! 絶対何か言ったぁ!!


 確かにリィルはメーアさんに向けて言葉を発した、その証拠にメーアさんは全身の震えが五割増しぐらいになって振動で舞台が若干ゆれているぐらいだ。なのにワタシの耳は、その言葉を拾えなかった。


 自称とはいえ神様のお手製のうえに獣人ですこぶる耳がいい筈のワタシが、この至近距離でその部分だけ何を言ったのか全く聞き取れなかった。


 聞こえる筈のものが聞こえない。知れなかったことがよりいっそう恐ろしくて、ワタシの震えも十割増しぐらいになって、尻の下で工事現場みたいに椅子がガタガタ鳴ってっているのが、なんだが遠くで起きていることのように感じられた。


 顔を引きながら、目を細めて優しげなのに壮絶な笑みをゆっくりと広げたリィルは、それ以上なにも言わず、くるっと背を向けて自分の席に戻っていった。


 ワタシとメーアさんは視線を中空に固定したまま、震えているしかできなかった。


 ――ワタシまで被害をこうむるのは、おかしくないですか?


 余りに理不尽が過ぎる展開に、今日一番の大粒の涙が零れたて、胸元に吸い込まれていった。

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