14 シリアス満点昔話(ゼタ編①)


 ゼタさんに案内されて着いた牢に続く頑丈そうな木戸を前にして溜息が漏れた。


 この扉を開ければ地下に続く階段があり、一番手前に監視をする看守の為の小部屋があるそうだ。

 看守部屋と牢屋の間は鉄格子で区切られており、そこから伸びる廊下の左右に五つずつ独房があり、その左一番手前にリィルさんは入っているとか。


 今回の騒動の罰は損壊した建物等の修繕費に加えて罰金と五日間の独房入りということで、既に刑罰は済んでいるのだがリィルさんが頑なに牢から出ようとしないのだという。


 独房に入っている間の五日も食べ物どころか水分も取ろうとしないので、ゼタさんが無理やり口を開かせて流し込んでいたとか。


 なんだか拗ねて駄々を捏ねている子供を前にしているようだ。


 ――本当に何なんでしょうね、この状況は。


 ワタシは何故、異世界に来てまで牢屋を訪れるようなことをしているのだろうか。


 いやね、元の世界でも確かに監獄を巡るツアーなんてのもありますよ。でもそれはツアーであって、そもそもの目的がそこにある訳で。


 ワタシは望んじゃおりませんよ、こんなことは。


 違う、違うんだよ。ワタシがファンタジーな異世界に求めていたのは、ハラハラドキドキではなくって、キラキラわくわく、なんだ。


 向こうじゃ拝めない超常的な美しい風景に胸打たれて、背筋を駆けていく快感に浸りたかったんだ。向こうじゃ見たことのない不思議な食べ物に目を輝かせて、舌の上で踊る口福に満たされたかったんだ。


 断じて、薄暗い廊下に佇む威圧感の凄まじい木戸の前で、キリキリと込み上げてくる胃の痛みを宥めるために来たのではない。


 そもそも緊急事態だからといって、騎士団や職員でもない、幼女とはいえ素性の知れない人間をそんな簡単に関係者以外立ち入り禁止の場所に入れてもいいのだろうか。


 頭の中をぐるぐると言い訳じみた愚痴が渦巻いていると、どうしようもなく逃げ出したくなった。


 しかし、先程の話を聞いた後ではそうもいかなかった。


 苦しそうに胸の内を明かす、ゼタさんの悲歎に暮れた顔が思い返される。


「私とリィルさんはね。三年ぐらい前まで一緒に住んでて、師弟関係にあったの……」


 そもそもゼタさんはオールグの生まれではなく、ここから山を二つ超えた先にある山岳地帯の村の出身なのだそうだ。

 冬は厳しい寒さと猛烈な雪に閉ざされる小さな集落だが、皆で助け合い村人全員が家族のような温かで心地良い場所。


 しかし、ゼタさんはその村で普通に暮らすことができなかった。


 皆が雪に馴染む白の体毛を纏っている村に生まれた、墨で染め抜いたような黒い体毛と女性と男性の両方の性器を持った子供。


 ――それは山羊人族(パーンヌス)が最も忌み嫌う、悪魔の象徴だった。


「それでも、お母さんが生きている頃はまだよかったの。

 他の人は私を視界に入れるのも怖がったけど、お母さんだけはいつだって優しかった。私が生まれる前に亡くなったお父さんの分まで、私を愛してくれて、守ってくれて。女手一つで私を育ててくれた」


 しかしその優しかった母親も、ゼタさんが六つの頃に亡くなってしまった。


 どこにでもある、ありふれた病だった。


 その年の冬は一段と寒さが厳しく、何日も吹雪く日が続いていた。そんな中、幼いゼタさんを飢えさせないためにと無理をしたのがたたり、悪化した病は呆気なくゼタさんのお母さんの命を積み取っていった。


 明くる日は前日までの吹雪が嘘のように晴れ渡って、一面に積もった雪が陽光をキラキラと反射して得もいわれぬ美しい世界が広がっていたそうだ。


「なんだかもう、泣くに泣けなくなっちゃって。あんまりにも、あけすけに綺麗な光景だったから」


 お母さんの葬儀は村人総出で行われたが、ゼタさんだけは参列すら許してもらえず、家の窓からお母さんの葬儀をじっと眺めているしかできなかったそうだ。


 それから村人の態度はより酷くなっていった。


 特に子供たちはその無邪気さ故に存在を無視するだけに止まらず、石を投げられたり棒で叩かれたりなど、際限がなかったそうだ。


 唯一、村長だけが食料など生活に必要なものを持って週に一度ゼタさんの元を訪れたが、話しをすることもなく事務的に用事を済ませるとすぐに帰っていった。


 しかし、それも長くは続かなかった。


「村長直々に頭下げられて『出て行ってくれ』って言われちゃって。

 ああ……、もうどうしようもないんだなーって。それで、村を出たの」


 家にあった僅かな母との思い出の品と必要最低限の荷物を背負い、幼いゼタさんは誰から見送られることもなく村を後にした。


 方々を彷徨い、山を越え、野生の獣に怯えながら夜を過ごした。


 時には、別の山羊人族(パーンヌス)の集落を見つけることもあり、そこで暮らさせてもらえないかと立ち寄ったこともあったが、黒毛で両性のゼタさんを受け入れてくれる村は一つとしてなかった。


 身体中に傷を作り、何度も命を落としかけて、やっとの思いで辿り着いたのがこの街、オールグだった。


「でも。こんな優しい街でも、私みたいなのが生きていくのは簡単じゃなかった。

 そりゃそうだよね、素性も分からない余所者で、体毛が黒いだけでも嫌がられるのに。こんな身体じゃ……」


 本当にいろいろなことをした、とゼタさんは目を細めながら言った。


 ゴミを漁ったり、物乞いをしたり、土を食べたり、生きるためにやれることは何でもした。


 それでも、悪事だけは絶対に働かなかったと言う。


「お母さんが、口癖みたいによく言ってたんだ。

 『悪魔は悪事を働く人の心に住むの。だから悪事さえ働かなければ、例えどんな身体をしていても、ゼタが悪魔になることは絶対にないのよ』って」


 しかし、そんな母の教えを律儀に守ったまま、幼子が路上で生活をしていける筈もなく。


 ある日の晩、ついに力尽きて路地裏で行き倒れてしまった。


「ああ、ここまでなんだなあ、って諦めて。

 それでも悪事だけは働かなかったから、お母さんに胸張って会いに行けるなー、なんてことを考えてたの。

 私は悪魔じゃなかったよ、って」


 空腹と疲労で霞む意識の中、満天に星々が煌めく夜空の下で力の入らない体を投げ出し、空を眺めていると、天上の星たちよりも一層美しい不思議な輝きをゼタさんは見つけたのだと言う。


「――すごく綺麗な瞳だった」


 まるで満月に照らされた夜の海みたいに、神秘的な深い青の瞳。


 あまりにも美しかったから、無意識のうちに手を伸ばしていた。それでも届かないんだろうな、と諦めに力が抜けて腕が地面に投げ出されそうになった時、しっかりとその手を握ってくれた人がいた。


 それが、ゼタさんとリィルさんの出会いだった。




 ――止めろシリアス。ワタシの胃は、もう……。

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