15 シリアス満点昔話(ゼタ編②)


 しかし、ワタシの胃などお構いなしにゼタさんの話(シリアスの攻撃)は続く。


「初めに感じたのは、身体を包む温かい感触と鼻をくすぐる良い匂いだった」


 村を出て以来感じていなかった、布団の温もりと、自分以外の誰かがいてくれる朝の空気。


 目蓋をくすぐる朝日に目を瞬かせながら起き上がり、まだ眠気がはびこる目元を擦って辺りを見渡す。

 まな板を優しく叩く包丁の音とお鍋から湧き上がる湯気と香り、目に映ったのは朝食を用意しているリィルさんの後姿だった。


「振り返ったリィルさんが笑顔で『おはよー』って。

 自分でもどのくらいぶりになるのか分からないぐらい久しぶりに、朝起きたら誰かがいて、おはようって挨拶をされて。

 もう手の届かないところにいちゃったと思ってたものが、目の前にあったから、なんだか堪らなくなちゃって。

 私、声上げてわんわん泣いちゃって。

 涙なんてもう一生分流し尽くしたと思ってたのに」


 その日の朝ごはんの味は今でも覚えているそうだ。


 具沢山野菜のミルクスープ。

 細かく切った色んな野菜がたっぷり入っていて、一口食べると野菜の素朴な味とミルクの優しい甘さがじんわり広がって、心もお腹もぽかぽかに温まった。


 アーセムのジャムをたっぷり塗った、香ばしいバゲット。

 こんがり焼いたバゲットのザクザクした歯ごたえと、プチプチとした食感の残る甘酸っぱいジャム。麦の香りと果実の香りが鼻から抜ける度に、じゅわじゅわ唾液が溢れてきた。


 食後に出された糸玉入りの紅茶。

 ふわり、と華やかな香りをたてる鮮やかな紅色に真っ白で真珠みたいに綺麗な糸玉を一つ、浮かべる。ふわふわとカップに広がって柔らかい雲みたいに浮かぶそれを紅茶と一緒に口に含むと、仄かな渋さと甘さが全身を包んでくれた。


「涙が止まらなくって、ボロボロ泣きながら夢中で食べたんだ。それをリィルさんはなにも言わずに、微笑んで見守ってくれた」


 それから二人は自然と一緒に暮らすようになったのだと言う。


「一緒に寝て、一緒に起きて。私を学校にまで通わせてくれて、まるで本当の家族みたいに接してくれた。

 私もリィルさんのこと、お姉ちゃんなんて呼んで。でもそれを当り前みたいに受け入れてくれて」


 母親と一緒に暮らしていた頃のような、極々平凡で何よりも温かい日常。


 朝起きれば誰かがいる、家に帰れば誰かがいる。


 それはゼタさんが何よりも望んだもの。故郷を追い出されてから長い旅を経て、ようやく手に入れた安住の場所だった。


「でもね」


 深呼吸をするように、一拍置いてからゼタさんは続けた。


「リィルさんに甘えているだけの私が嫌だった」


 低く沈んだ声音だった。


「もしかしたら不安だったのかもしれない。

 このまま私がリィルさんに甘えているだけだと、お母さんみたいにいつか無理がたたって死んじゃうんじゃないか、って。だから、何かリィルさんの役に立ちたかったんだと思う。それで、空師になろうって決めたの」


 学校を最短の三年で卒業し、その頃には既に空師として活躍していたリィルさんに師事し、ゼタさんは空師としての基礎を学んだのだと言う。


 ピッケルの使い方や縄の結い方、杭の打ち方、足場の作り方。アーセムの上での天候の変わり方や、そこに住んでいる生き物たちの生態。


 リィルさんの後ろについてアーセムを登るのは並大抵のことではなかったが、それでも大好きな人と一緒に仕事ができて、それがその人の助けにもなっている。

 そう思うと、血の気が引く高所も、肌が裂かれるような寒さも、襲いくる危険な生物も、苦にはならなかったそうだ。


「でも、それは違ってた」


 ある日、いつものように二人でアーセムに登っていると、普段はそこにいない筈の危険な鳥獣が突然襲い掛かってきた。


 ゼタさんはそのあまりに暴力的な存在に足が竦んで動けなくなってしまい、結果的にゼタさんを庇ったリィルさんは大怪我をおってしまった。


「結局、私はリィルさんに守られているだけだったんだって、その時になってようやく気が付いたの。

 私はリィルさんの手伝いができていたんじゃない、家の中にいる時と同じで大事に大事に守られて、リィルさんの腕の中ではしゃいでる子供だった。

 私があの人の役に立てているなんて、勘違いだった」


 石を噛んだような悲痛に暮れた表情だった。


 今まで自分がやってきたことが、リィルさんの助けになっていると思っていたことが、逆に重荷になって彼女を危険に晒していただけだった。


「このままじゃいけない、リィルさんに守ってもらわなくても一人で立てるようにならなくちゃ。私がリィルさんの傍にいたら、またこの人を危険な目に合わせてしまう。離れなくちゃいけないんだ。

 そんなことを考えてた時、空帝騎士団(ルグ・アーセムリエ)の試験を受けてみないかって誘いがあったの」


 空帝騎士団(ルグ・アーセムリエ)、空師の花形中の花形。


 空師の中でも選ばれた者のみが、その紋章(エンブレム)を付けることが許される。アーセム協本部役員、二級以上の空師、現役の空帝騎士団、各一名ずつの推薦があって初めて試験を受けることが可能になる、エリートの集まり。


「空帝騎士団に入れれば、私も一人前の空師になれるんじゃないか。ここで実力をつけて、実績を示すことができれば、リィルさんが私を守る必要はなくなると思ったの。

 このままリィルさんに守ってもらってばかりじゃ、何も変わらない。私がリィルさんを守れるくらい強くなりたかった」


 ゼタさんは誘いを受けた次の日には、この空帝気団の詰め所の門を叩いていた。


 それが自分のためにも、リィルさんのためにもなると信じて。いつか立派な空帝騎士団の一員として、胸を張ってまたリィルさんと会いにこようと決心して。


「リィルさんに話すと反対されると思った。

 一般の空師でも危険は付き物なのに、空帝騎士団になったら人同士のトラブルを解決したり、未開の領域を率先して調査しなくちゃいけないから。

 だから置手紙だけ残して黙って家を出てきちゃったの。『今までお世話になりました。これからは自分一人で立って歩けるように頑張ります。本当にありがとうございました』って」


 それからは試験に向けた勉強と訓練の毎日だったそうだ。


 自分に実力も知識も足りていないのは明らかだったが、幸いにもリィルさんの元で習った技術はしっかりとゼタさんの基礎になって彼女を支えてくれていた。

 それが嬉しくもあり、自分のためにどれだけ時間を使わせてしまっていたのかと思うと、申し訳なくもあった。


 勉強をして訓練をして、寝るだけの毎日。


 誰もいない部屋で朝起きて、向かいに誰もいないテーブルに着き朝食をとる。寂しさに胸が張り裂けそうだった、それでも一人で歩くんだと決めたから、泣き言は味気ないご飯と一緒に飲み込んで前だけを見つめた。


 いつか、あの人と肩を並べられるように。


 努力が実り、ゼタさんは見事一度目の試験で合格し、史上最年少の十五歳で空帝騎士団(ルグ・アーセムリエ)になったのだった。


「リィルさんが空師を引退したたのは、それからすぐのことだった」


 どこからともなく流れてきた風の噂、来年には確実に一級になるだろうと目されていた準一級空師のマグリィルが引退した。

 怪我をして空師として駄目になったとか、そういう類のことはなく。『ただ、なんとなく』というのが、本人から聞いた理由だという話だった。


「当時は自分のことで手一杯っていうのもあったし、常に危険と隣り合わせの空師でなくてもリィルさんならやっていけるとも思った。

 空師を止めちゃうのを寂しく思う気持ちはあったけど、危ないことから離れるなら心配することもない、って自分で納得しちゃってた。

 でも、今思い返してみると。私がリィルさんの元を去ったあの時、リィルさんの何かとても大切なモノを、傷つけてしまっていたじゃないかって。それが今回のことに繋がってしまったんじゃないかって、そう思えてならないの……」


 暗い顔で拳を握りしめながら、ゼタさんはそう話を締め括った。




 ――知ってたかい? ワタシ、観光に来たんだぜ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る