06 ファッションショーは計画的に

 リィルさんのお店は大広場から歩いて十分程の、一本脇道を入った所にあった。


 大通りの喧騒を脇に店の周りは静寂に包まれており、簡素ながら洒落た細工の施してある洗練された店構えが、大衆向けというよりは高級なブティックといった趣だった。


 リィン、と精美な音色のドアベルを鳴らしながら入った店内は予想していたよりも広く、中央に大きな作業台が一つ置かれており、その周りに作業途中であろう服の布があったり、既に完成された服がハンガーに吊るされて並べられたりしている。


 きちんと整頓された店内からは、リィルさんの仕事に対する真摯さが覗えるような気がした。


 ……気がした、の、だが。


「イディちゃん……、もう最っ高ぉ!!!」


 ――この世に神はいない。いやいたけど、あれは絶対に助けてくれない。


 通算十五着目の試着だった。


 リィルさんは店に入ると同時に、どこからともなく大量の服を引っ張り出してくると、ワタシを鏡の前に立たせ、着せ替え人形にして一人ファッションショーを開催してきた。


 それはもう、止める間もない早業だった。


 今着ているのは、黒地に銀糸で花柄が刺繍してある丈の短いワンピースと裾が少し広がった白のハーフパンツだ。どちらも過剰な装飾はされておらず、所々にフリルとレースの意匠がされているが、可愛らしさを残しながらも清楚な仕立てだった。


 水晶球の取り付けられたカメラらしき機械を手に、ワタシの周りを縦横無尽に様々な角度から撮影していたリィルさんは、んふーと満足げな鼻息を漏らすと一仕事終えたようにかいてもいない額の汗を拭った。


「うんうん。素朴なのも良いけど、このぐらい可愛らしい方がイディちゃんには合うよね。もうちょっとフリルを足しても良い気がするんだけど……ま、あんまりやり過ぎちゃうとごたつくし、イディちゃんは神秘的な雰囲気があるから、それを活かすってことで。どうかな?」


「流石ハ、リィルサンダ。トッテモ可愛イヤ」


 自分で言うのもなんだが、鏡に映っている姿は、それはもう極上の上に極上がつく美幼女で、まさに犯罪的な可憐さだった。


 トップスの黒が体毛の白さと瞳の金色を引きたて、全体的に幼女らしさが溢れていながら、フレンチスリーブの袖やモノクロの色合いがちょっぴり背伸びをしている感じの女の子な装い。


 耳にしがみついている蜘蛛の鮮やかさも一層際立っている。リィルさんのセンスが光る、脱帽の仕上がりだった。


「でも、んー。ワンピースだけで纏めたかったなぁ。

 どうしても尻尾のある種族はパンツ類が必要なんだよね。穴なしスカートだと捲れちゃうし、穴があっても大きく取りすぎるとお尻が見えちゃう、かといって小さすぎると窮屈だしね。

 やっぱりトップとボトムの両方で隠しちゃうのが、一番収まりが良いね。どう? イディちゃん」


「流石ハ、リィルサンダ。トッテモ可愛イヤ」


 ワタシの身体を衣服で包むより、ワタシの心を優しさで包んで欲しかった。


 女性の身体への忌避感はないくせに、女性服に対する危機感や羞恥心は残っているとか、とんだ罰ゲームだ。これはあれか、男勝りで勝気な少女がひらひらなピンクのスカートを履くのに抵抗感を覚えるような、そんな感じか。


 しかし、それも既に過去のこと。


 今のワタシはもはやリィルさんのコーディネートを褒め続けるマシーンとかしていた。


 耳にしがみついている蜘蛛のことを気にしている余裕などなく、他人に服を脱がされる羞恥心を感じる間もなく、気が付いた時には新しい服に着替えさせられているのに、無駄な抵抗しようとする気力は三着目で潰えた。


 女の子がお気に入りの人形にするように満面の笑みで抱きついてくるリィルさんに対し、ささやかな苦言を呈する気力は六着目の辺りで枯渇した。


 そう全ては過去のこと……、ワタシにしては頑張った方だと思う。


 結構な御手前の胸に抵抗することなく沈んでいくワタシを、リィルさんは頬ずりをしながら全身を使って愛でてくる。その手捌きは某ムツゴロウ=サンばりのワザマエで、このよ~しよしよしを前に抵抗は無意味な気がした。


「あぁ~、やっぱり可愛い~。もう全身撫でまわしたくなるぅ」


「すでに撫でまわしてます。あっ、ちょ頭は止め、あっ……」


 しかし、このまま流されてしまえば先程の路上と同じように、リィルさんの為すがままにされてしまうのは分かり切ったことで、なんとか頭だけは死守しようとしたが虚しい足掻きであった。


 ――ああ、またか……。


 心地良い痺れに支配された頭の中を諦観の念で埋め尽くす、もうどうにでも為れば良かろうと、なんだか悟りを開けそうな気がしてきた。


 つまりは、撫でられるって最高である。


 髪の毛を整えるように頭を滑る掌も、喉から顎先にかけてをくすぐってくる指先も、ワタシの頬に擦りつけられるリィルさんの柔らかな頬も、なにもかもがワタシを心地よい堕落へ誘う甘美な魔の手だった。


 むしろ、もう我慢しなくても良い気がしてきた。なにしろここはリィルさんの店の中な訳だし、外のように多くの人の視線に晒されることもないのだから。


 そんな勝手な思考が頭の中で浮ついていると、いつの間にか、ワタシは力の入らない全身を預けるように寝転がっており、捲れ上がった上着から覗くへそをリィルさんの手がくりくりと弄っていた。


「じゃあ、イディちゃん。最後にもう一着だけ、お着換えしよっか」


「いっちゃく? さいごぉ?」


「だいじょうぶ。イディちゃんはそのまま横になって、くてーんてしてて良いよ。全部、私がやってあげるから」


 霞んだ思考の中では自分が何を言っているのかも耳元で囁かれている筈のリィルさんの声も、どこか遠くの方から聞こえてくるようだった。


「そう。全部、ぜ~んぶ私がやってあげる。イディちゃんの欲しいものは何でも買ってあげるし、行きたいところは何処でも連れってあげる。

 美味しいご飯も、着る服も、私が用意する。

 イディちゃんは何も考えなくていいよ。

 ご飯も、お金も、住む場所も……おトイレも」


 リィルさんが白いもこもことした物を持って迫ってくる、頭の奥でなにやら警鐘が鳴らされている気がするが、幸福に浸りきった今ではそれを拾うのも億劫だった。


「それじゃあ、あてちゃおっか。……おむつ」


「……う、ん」


 心のどこかで「逃げろ!」と叫ぶ声が聞こえるが、そんなことよりお腹ナデナデ最高である。


 もう全てを他人事のように、頬を紅潮させて笑みを浮かべるリィルさんに委ねようとした時、耳に鋭い痛みが走った。


「痛っ! って、アカーーーン!!!」


「きゃあっ!」


 我を取り戻すと共に、文字通り全身を使って跳ね起きた。どうやったのかなど考える間もなく、跳び上がり空中で体制を整えると、四つん這いの体勢で音もなく着地する。


 危なかった、なにが危ないってワタシの人間性の危機だった。


 全身から冷や汗が流れていくのを感じながら震えていると、唐突にあの自称神様の言葉が思い出された。




           『絶対安心、何をせずとも大丈夫』




 ――何もしなくていいって、こういうことっ!?


 あまりに衝撃的な真実に頭を抱えて転がりたくなったが、今リィルさんから目を離すと何をされるか分からないので、姿勢をそのままに正気に戻るよう呼びかける。


「リィルさん落ち着いて! それは貴女の意志じゃない!」


「大丈夫、落ち着いてる。

 私、決めたの。

 私の全てでイディちゃんの全てを愛そうって。

 おはようからおやすみまで。ご飯もお風呂もおトイレも、全部! 愛でるんだ」


 言葉の端々から、愛と覚悟が溢れていた。


 ――ああ……。もう、止まれないんだね……。


 目の輝きが尋常ではなかった。


 美しいと思っていたあの深いブルーの瞳に、今では恐怖しか感じない。


 このままでは、月曜の朝に憂鬱になることもなく、通帳の残高を心配することもなく、五〇パーセントオフの食材を買いに夜遅く出かけることもなくなってしまう!


 ――……ん? 最高じゃね? 


 いやいやいや、おむつは駄目だろ。


 何が駄目って、なんか何もかも駄目だわ。容姿的に似合いそうなのが、余計にアウトだわ。


 堕落の誘惑に意志が懐柔されそうになるのをなんとか振り払い、リィルさんと相対する。


 腰を低く落として構え、全身からよく分からない何かを滾らせながら、視線はまっすぐワタシを捕らえて微動だにしない。仕立て屋のお姉さんが出して良い気配ではなかった。


 じりじりと、互いに距離を測るようににじり、出方を窺う。


 相手の息遣いまで感じられそうな程、緊張が高まりきった瞬間、


 ――リィンリィン


 突如鳴った玄関のベルを合図にリィルさんが凄まじい速度で突っ込んできた!


 それと呼応するように、ワタシの身体が跳ねる――。


 後ろに飛び退り、壁に足が着くと同時に身体を蹴り上げ、空中で身体を捻ると天井も同じように蹴り、勢いを殺さぬまま玄関に向かって突っ込んだ。


「やあ、リィルさ、うおっ!」


「ごめんなさい!」


「レジップさん、ゴメン。ちょっと店の中で待ってて! イディちゃ~ん。待ってぇー!」


 晴天のオールグの街に声が響く。


 かくして、月曜日から逃走してきた筈のワタシは、異世界住民からの逃走は始めたのだった。

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