03 第一異世界人は、ハイテンションレディ

 ――――――。


 言葉が出なかった。


 何よりも、彼女の深い海を思わせるブルーの瞳が印象的で、囚われたように見入ってしまった。


 陽の光を受けて水面(みなも)のように煌めき、揺蕩っているようにも見える。それでいて覗き込めば底が知れないように深くて、吸い込まれそうで、神秘的な輝きを宿していた。


 そのブルーの瞳に魅入られ、ぼーっと呆けていると、彼女はハッ、と何か重大な事実に直面したように口元を手で押さえ、わなわなと震えだした。


「貴女……」


 カッ! と見開かれた彼女の目に一筋の閃光が瞬いた。


「すぅんごい可ぁ愛いぃ!!!」


 両手を大きく広げ飛びかかってくる、その姿。その時、ワタシは確かに、ブロンド美女の後ろに森の王者(クマ)の姿を見た。


「なにこれ、なにこれ、なぁにこれぇ! ちょっと愛らしすぎじゃない?! 

 もうどうなっての世の中! おっきくてくりくりしたお目々に、もっちりぷっくり頬っぺ。桜色のちっちゃなお口、真っ白でさらさらのふわふわの毛並!  

 ああぁ~、もうなんだか色々溢れだしそう!」


 すでに駄々漏れです。


 両腕ごと抱きかかえられ、抵抗をする間もなく胸に埋められていた。中々豊かに実ってますね、お嬢さん。ベアハッグとはよく言ったもの。この破壊力、凄まじい。どうにも出られそうにないです。


 ――だと言うのに……っ!


 洋服越しに伝わってくる柔らかな感触は正直かなり気持ち良いし、すごく良い匂いだってする。向こうの世界じゃどうあったって経験できない超絶イベントだ、ラッキーだし素直に嬉しいとも思う。


 でも、その嬉しい気持ち良いという感情が男性的でないことが分かってしまう。焦燥感やら喪失感といった類いも湧いてこない。どうやら息子と一緒にどこか遠くへ旅立ってしまったらしい。


 福引でさして欲しくもなかった一等の遊園地のチケットが当たり、まあ当たったし行こうかと思ったら利用期間中の全ての日にどうしても外せない用事があった時のような、そんなガッカリ感だけが胸の中で渦巻いた。


「ねぇ貴女、お名前は? どこから来たの? 

 こんな綺麗な白毛の獣人なんて、この辺じゃ見たことないし、別の街の子よね? オールグには何し来たの? 旅人にしては荷物が見えないし、お買いもの? それとも観光? 

 ハッ、もしかして! 何か言うに言えない事情でこの街に逃れてきたとか!? ああ、いいの。何も言わないで。

 この街のことならなんでも聞いて、私が何とかしてあげるから!」


 何も言わないというより、何も言えないです。物理的に。


 もがもが、と言葉にならない息を胸の谷間に吐きだしていると、ようやくその状況に気付いた彼女が力を緩めてくれて、なんとか柔らか山脈から脱出することができた。


「ぷはぁ」


「ごめんねー、気付かなかった。苦しくしちゃったかな?」


「いえ、大丈夫です」


 実際、苦しいということは一切なかった。これも、あの自称神様のくれた能力によるところの、ダメージそのものがないとうやつだろう。つまり空気を吸わなくても、特に問題がないのかもしれない。


 ――……もしかして、高所から超スピードで落下しても問題なかったのでは?


 いやいやいや、万が一、億が一ということがある。それに仮にワタシが大丈夫だったとしても、道の方が見るも無残な結果になったかもしれないし、あれで良かったんだ!


 そう、次に同じ過ちをしなければ良いだけの話だ。失敗から得られる経験は何ものにも代え難い訳で、失敗だって言い換えれば成功の糧ってことになるし、ワタシがチビッたのだって言い換えればチビッてないってことだから!


「なんだか落ち込んじゃってるみたいだけど、大丈夫? もしかして、さっき風の精霊に群がられてた時になんか悪戯でもされた?」


「大丈夫です、漏らしてなんかいません! はっ、いえ、そうではなく。えっと、風の精霊というのは……?」


「あっ、違った? ならいいの、えっと……」


「ああ、すみません。名前を聞かれていたのに、名乗るのが遅れてしまいました。ワタシの名前はトイディ、イディと呼んでください」


 聞かれたとおりに名乗ったが、なにやら納得がいっていないように目を細めながら苦笑されてしまった。


「堅いし、見た目に合わない喋り方してるなぁ。まっ、会ったばっかりだし、しょうがないか。

 私はリィル。マグリィル・バーテス・オールグ。

 皆からはリィルって呼ばれるから、おんなじく呼んで。

 それにしても、族名(ぞくめい)も郷名(さとな)もないってことは、やっぱり何か訳あり? あっ、ゴメン。無配慮だったかな。答えづらいようだったら聞かなかったことにして」


「いえ、あの、お気遣いなく。訳ありと言うか、なんというか」


 ――さて、どうしようか。


 このまま一人で行動してもそれはそれで構わないのだが、それだと本当に街の中を見て回るだけになってしまう。いや、見ているだけで十分に楽しそうではあるんだけど、どうせなら現地の人にガイドを頼んだ方がより充実した観光になるのは確かだろう。


 しかし、それには色々と面倒臭い事情を話さないといけないが、かと言ってそれを信用してもらえるかどうか。どこまでをどうやって話そうか、悩みどころだ。


「えっとですね、実は……」


 リィルさんの胸に抱かれながら、とりあえず当面の間は謎の訳あり美少女でいくことを決心した。


 ごく短い距離ではあるがリィルさんの使っている馬車に同乗して、街の門までの道のりを進んでいく。


 馬にしては脚が太く身体も大きすぎる気がするし、鬣から一対の角が生えているのが見えるが、おそらく馬であろう生物に引かれた荷台の幌の中には、見ただけではよく分からない物から色鮮やかな生地なんかが敷き詰められている。


 御者台に座ったリィルさんが手綱を握り、その膝の間に収まって相変らず彼女に抱かれるようにして馬車に揺られていた。


「それにしても災難だったね。魔法事故にあって見知らぬ土地に跳ばされた上に記憶まで抜け落ちて、それに加えて急に空に投げ出されちゃうなんて。

 なんか、不運のオンパレードって感じだね。でも、気まぐれで有名な風の精霊が率先して助けてくれるなんて滅多にないよ。

 まぁ、こんなに可愛いんだから、精霊たちが助けたくなっちゃうのも納得かな~」


「ははは……、ありがとうございます。それと、すみません。街の案内まで頼んでしまって」


「いいよ、気にしないで。困ったときはお互い様、でしょ?」


 そう言ってウィンクをしたリィルさんは、上機嫌に笑って見せた。


 そんな彼女の反応に、気付かれないように小さく胸を撫で下ろす。自分で言っておいてなんだが、かなり無理がある設定のように思う。しかし彼女は気にした様子を見せずに、街の案内まで買って出てくれた。


 これも要は自称神様による能力の恩恵なのだと思うと、少し後ろめたい気がしないでもないが、そこはもう割り切るしかないだろう。なんと言っても通貨も知識も地理も知らないまま、この世界に放り出されてしまったのだ、少しだけ甘えさせてもらおう。


「あの、お聞きしたいんですが」


「何かな?」


「先程、言っていた『ぞくめい』と『さとな』というのは?」


「えっとね、族名っていうのは種族としての名前かな。家族の名前って感じ。

 私の場合は人族の中の『バーテス』に連なる者って意味になるよ。

 で、郷名っていうのは、出生地と現住所を表してるの。私は生まれも育ちも現住所もこの街だから『オールグ』。これが、オールグ生まれで現住所がミズキだと『オールグ=ミズキ』ってなるの。

 だからさっきイディちゃんが名乗った時にどっちも言わなかったから、何か訳ありなのかなぁ、って思ったの」


「うぐっ。すみません、やっぱり思い出せないようでして」


「気にしなぁい、気にしない。無理してもしょうがないからね。自分が気にならないんだったら、思い出せたらラッキーぐらいに考えてた方が気楽でしょ。分からないことがあれば私が知ってるものなら、教えてあげられるしね。

 はい、街門にと~ちゃくっ! ちょっと待っててね」


 そう言い残して、リィルさんは軽い身のこなしでひょいと馬車から飛び降り、門の脇に設置されている木造りの建物に小走りで駆けて行った。


 おそらく関所の類だと思われるが、リィルさんはそこの開いている小窓に二、三語呼び掛けると、中から出てきた革鎧を着た男性を伴って戻ってきた。


「はいはい。じゃあ、荷を確認させてもらいますよ、っと。まっ、リィルさんが何かやらかすとは思えないから、印だけ貰えればそれで良いんだけどな~」


「ダメだよ、アミッジ君。君のお仕事なんだから、しっかりやってくれないと」


「あいあい、わかってますよー、っと。んじゃあ、馬車と荷物をお預かり、ん?」


 馬車の後ろ側から幌の中を覗いていた青年がふと視線を持ち上げた時、御者台からそちらを見ていたワタシとバッチリ目が合った。

 目を大きく見開いたまま固まる青年。視線は微動だにせず、こちらを凝視してくる。


 こういう時はどうするのが正解なのか、まあ分かる筈もないので、とりあえず愛想笑いをして小さく会釈をしておく。そしてすぐに視線を外し、背もたれの影に隠れるようにずるずると滑りながら丸まった。

 こうすれば彼の視線からも逃れられるのに加え、無言のうちに人見知りだという印象を与えることによって、これ以上話しかけられるのを防ぐという完璧な対応だ。


 我ながらクレーバー過ぎるな。


「おいおい、マジかよ……頭まで隠して耳だけ隠さないとか、完璧だわ。キュート過ぎんだろ」


「………………うがぁ」


「あ、耳がへたった」


 おい、ヤメロ。見た目だけとはいえ、こんな幼気な少女を苛めて楽しいかよっ。


 正直、自分のことじゃなかったら楽しそうだと思うけど、恥か死しそうなんで本当に勘弁してください。


 血の集まった顔がカイロを当てたように熱くなる、鏡を見たら頬どころか耳まで赤くなっていそうだ。へたって下がってきた耳を引っ張り、耳で顔を隠すように覆った。


「ちょっとちょっと、リィルさん。なんなんですか、あの愛らしい娘さんは。家にも欲しいんですけど」


「イディちゃんっていってね、道すがら仲良くなった女の子だよ。初めてオーグルに来るって言うから、道案内とガイド役を引き受けたんだ。

 そんで、あんな小さい子を独りで宿に泊める訳にもいかないでしょ、だからオーグルにいる間は家に来てもらうことにしたの。あと絶っっっ対、渡さないから」


「……リィルさん。結婚しましょ」


「はぁあ?!」


 青年からの突然の告白にリィルさんから素っ頓狂な声が上がる。


 青年はリィルさんの両手を包み込むように握り、これ以上なく真剣な表情でずいっと顔を寄せると、リィルさんは頬を朱色に染めて目を丸くした。


 あまりの衝撃発言にワタシも素早く身体を反転させ、その様子を御者台に影に隠れたまま目だけを出して興味津々に覗いた。


 鼻息も荒く目を輝かせていると、興奮に合わせて頭の上で耳がピコピコ、尻の後ろで尻尾がぶんぶん動いているが、そんなことを気にしている時じゃない。


 幌の垂れ布の隙間で、手を繋ぎ赤い顔で見つめ合う二人をじぃっと凝視する。


 なぜ今のタイミングなのかは知らないが、いいぞ青年! 


 頑張れ、漢を見せるのだ!


「……だって今リィルさんと結婚すればもれなくイディちゃんがついてくる、ってことですよね?」


 青年の爽やかそうに見えるけど気の抜けた感じのする笑みを前に、全てが凍てついた。


 青年よ。確かに漢は見せたけど方向が斜め上過ぎる、ここは笑いを取りに行く所じゃない。ここで笑いを取りに行っていいのは某お笑い怪獣魚だけだよっ。


 リィルさんの顔から朱色と共に感情まで漂白したように消えていく。


 次の瞬間には目の前で起る惨劇は予想するまでもなく火を見るより明らかで、顔を両手でパチンッと覆い、指の隙間から事態を見守るしかなかった。


「な~んて、じょうだばぁっ!!!」


 見事な三回転半(トリプルアクセル)だった。


 凄まじい速度で振り抜かれたリィルさんの平手が青年の頬を直撃するのと同時に、破裂音と打撃音を混ぜ合わせた衝撃が辺りに響き渡った。

 数拍遅れて重たい砂袋を勢いよく引きずったような音が聞こえてくる。これは見ずとも分かる、今頃あの青年は地面と熱い抱擁を交わしていることだろう。


 リィルさんは冷え切った表情で青年を見下ろし、ふんっと鼻を鳴らすと、ツカツカと尖った足取りで馬車を回り込んできてワタシの前で止まった。


 腰に手を当て、空を仰いでいるリィルさんを前に、耳と尻尾が緊張のあまりつりそうなぐらいピンッと上を向いて固まってしまった。


「……ふー、さって。じゃあリィルちゃん、行こっか」


 大きく息を吐き、一拍空けて顔をこちらに向けた時には、先程までのことがまるでなかったような爽やかな笑みを浮かべており、口の端が引きつるのを感じた。


「あ、あの。大丈夫なんでしょうか……」


「うん? どっちみち荷馬車はいったん関所に預けないといけないから、ここからは徒歩だよ」


「えっと、ではなくて。あの、彼は……」


「い・い・の。まったく、年頃の女性に向かって言って良いことと悪いことあるよ。ねー、イディちゃん」


「ははは、そうですね。はい、まったくもって」


 満面の笑みでの問い掛けに、一も二もなく賛同するしか選択肢は用意されていなかった。この人のことは絶対に怒らせちゃいけない。


 去り際にリィルさんは、振り返り倒れ伏している彼に一瞥をくれ、ベーっと舌を出してから、ワタシの手を握って歩き出した。


 青年の安否が気になるところだが、後ろを向いてはいけないような気がするので、ここは切り替えて行こう。ただただ前だけを見続け、リィルさんに手を引かれるまま街に続く門のトンネルを潜っていった。


 中は薄暗く雨上がりの空気のような、少しだけ甘いような埃っぽい匂いがした。石材で作られた壁にぽつぽつと等間隔に灯りが灯っている。


 外から見た時も大きいとは思ったが、城壁の中を通っているトンネルを見てもそのスケールの壮大さを感じられた。天井は高く幅も広い、長さにいたっては二十メートルくらいあるように感じる。


 リィルさんに手を引かれながら、自分でも抑えようがなく、耳と尻尾が忙しなく動いているのが自覚できた。


 石畳の固い感触が足の裏から返ってくる度に、ワタシの中で好奇心だったり期待感だったりがムクムクと膨れ上がってごちゃ混ぜになり、言いようのない幸福になって胸の中で育っていく。


 視界の先、トンネルの終わりで、外からの光を全て吸い込んでいるような燦々とした光が溢れている。


 コツコツと固い足音が周りの石壁に反響して、薄暗いトンネルの中を駆けて行くように感じるのは、ワタシの気分が昂っているからだろうか。


 今にも走り出そうとする足を抑えつけ、一歩一歩を踏みしめるように歩いていく。


 ――あと五メートル……三メートル……一メートル!


「それじゃあ、改めて……」


 リィルさんが誇らしげな、それでいて愛おしげな、喜びいっぱいの笑顔で覗き込んでくる。


「ようこそ!」


トンネルが途切れ、視界一杯に眩い陽光が溢れてくる。


「私たちの街『オールグ』へ!!!」




 ――ワアァッ!!!




 溜め込まれた音が爆発するように、街の活気が、喧騒が、一気に華やいだ。

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