第32話 干上がる川

 アリシアの悲鳴を聞いたカルバスは、ほぼ反射的に岩を飛び越えアリシアの声に向かって行った。飛び越えるほどの運動神経のない僕は、岩に足をかけて再びよじ登る。ここからでは向こう側の様子が見えないからだ。

 

「うぉぉぉ――――ッ!」


 女子2人の悲鳴に加えてカルバスのうめき声が聞こえる。ただならぬ様子に焦りまくる僕は、何度も岩にかけた足を滑らしながらようやく岩の上に立つ。すると、目の前に広がる光景に思わず息を飲む。そこに見えたのは無数にうごめく身体の長い生き物。体中から青白い光を放つ、電飾ウナギの大群が放電を蓄電を繰り返している。その度に水の中にいるアリシア、カリン、そしてカルバスが感電してうめいていたのだ。


「なっ、何が起こっているんだ?」


 電飾ウナギは魔獣の棲む森には珍しい生物ではないものの、これ程までに大量の大移動は見たことも聞いたこともない。


「奴らは下流へ向かって逃げてきているげろな……と言うことは上流で何かがあったということでげろなぁ……」


 いつの間にかルシェが僕の足元にいた。彼はいつも肝心なときになると姿を見せてくれる頼れるカエールだ。


「上流に何かが……いる? そ、それよりもあの3人を早く救出しないと……」


 アリシアとカリンは腰までの深さのところからこちら岸に向かおうとし、カルバスは膝までの深さのところから2人に向かって進もうとしているが、不定期に電飾ウナギが放電をするため思うように動けないでいる。そもそも水は電気をよく通す。だから水から上がらない限りはこの状況から脱出不可能なのだ。


 僕はペンダントを握る。


「僕には何ができる?」

「空間転移魔法というものあるげろよ? その魔法を使えばあの3人をここに引っ張ってくることができるげろ! しかし……それには相当の魔力が必要でげろ……今のオマエには無理げろなぁ……」

「そ、そんなぁぁぁー!」


 今の僕はアリシアたちが苦しんでいるのをただ見ていることしかできないのか。

 やがて3人は立っていられなくなり、電飾ウナギであふれる川に倒れ込んでしまう。


 僕はペンダントを握り、空間転移魔法の呪文を唱えようとすると――


「無理だって言っているげろよ! 効果が出なくても魔力は消耗するげろ! いざというときのために魔力は温存するげろぉぉぉ――!」


 ルシェが初めて大声を上げた。

 しかし――


「仲間が……アリシアが目の前で苦しんでいるのに助けられない魔力なんていらない! そんなちっぽけな力なんて何のためにあるんだよ! 何のために僕がいるんだ――!」


 右手をいっぱいに広げてアリシアに向ける。

 目の前には空間転移魔法の呪文が浮かび上がっている。

 例え無駄打ちだとしても……何度でも繰り返してやる!


「おおっ! もう少しげろなぁー……いや、まだあと少しげろぉー……」


 ルシェが何か言っているけれど無視だ。

 今の僕には3人を助けることしか考えられない。

 もし駄目なら、ここで共に死ぬことになるかも知れない。

 そんなことまで考えている自分がここにいた。


 魔力を発動しようとしたその時、事態は急変する。


 川の水が急速に減り、みるみるうちに川底が露わになっていくではないか。

 やがて完全に干からびた川底に電飾ウナギがぴちゃりぴちゃりと飛び跳ねている。

 何が起こったのか全く分からない。

 でも、このチャンスを逃してはならない。

 僕は岩から飛び降りカルバスの元へ駆け寄る。 


「カルバス立てるか?」

「拙者は大丈夫でござる。それよりもアリシアお嬢様を……」


 僕はカルバスの腕をとり立たせるが、彼の膝はガクガク震えていた。鍛え上げられた彼の身体でも、電飾ウナギの電撃による消耗は相当のものだったようだ。こんな状態で大丈夫と言ってのけるカルバスの男気を感じると同時に……


「アリシア――ッ!」


 急にアリシアの状態が心配になり、僕は川底を走って行く。

「うぎゃあ――ッ!」

 うっかり電飾ウナギを踏んづけてしまい、体中が痺れてのたうち回る。

 そんなことを何度か繰り返しながら何とかアリシアとカリンのところへ行き着く。


 アリシアは白いワンピースに胴回りを革紐で結んでいる。カリンは白いシャツに紫色のハーフパンツ姿。その2人は互いに支え合うようにして立ち上がっていた。2人とも髪まで電飾ウナギの身体から出る粘液でベトベトになっていた。


「すぐにここから離れよう! さあ――」


 僕がアリシアの手を引っ張ると、ヌルッと滑った。いや、アリシアが手を引いたのだ。


「えっ……?」


 驚いてアリシアの顔を見ると、彼女は怪訝そうな視線を向けてきた。

 そしてカリンに向かって、


「ねえカリン、ちょっとタイミングが良すぎると思わない?」

「はい、カリンもそれを考えていたところです」


 2人でそんな会話を始めた。


「アタシたちが野営している場所からここまでは相当の距離があるわよね?」

「はい、ユーキ様の足ではかなりの時間がかかるかと……」

「なのにこれだけ早く来たと言うことは……」

「はい、かなり怪しいですね……」


 はあーっ? この状況でその話に戻るのぉぉぉ――!?

 僕は思わず声に出して叫びそうになる。

 そして変な汗が背中を伝う。


 銀色の長い髪についたヌルヌルを手でくにゅりと拭い、ダークレッドの大きな瞳が僕に向けられた。


 怖い!


「お兄様! お兄様はユーキ様の監視――もとい護衛をしっかりなさっておられましたか? 何か変わったことはありませんでしたか?」


 僕の背後まで近づいてきたカルバスに向かってカリンが尋問を始めた。

 振り返らなくてもカルバスの様子は想像できる。

 彼は今、今世紀最大級の動揺を見せているはずだ。

 この状態での彼の返答は危険だ!


「き、きみたちの悲鳴が聞こえたから駆けつけてきたんだけど……なあ?」


 僕は彼の代わりに言い訳をして上手くこの場を切り抜けようと試みたのだが失敗した。女子2人にギロリと睨まれ、思わずカルバスに問い掛けてしまった。


「そそ、そ、そうでござる! 拙者達は何にも見ていないでござる――!」

「お、おい! 余計なことを言うな!」

「なんだかあの2人、とっても怪しいのです!」

「そうね……これはいよいよ怪しくなってきたわね……」


 アリシアの視線が突き刺さる。


「――ん!? 何だこの振動は?」

「誤魔化さないでくださいっ!」


 カリンが両手をぶんぶん振ってそう叫ぶ間にも地面の震動が激しさを増してくる。


「何だ? 何事だ?」


 カルバスも気付いたようだ。

 この振動は地震ではない。もっと局地的なものに違いない。


「はやくこの場から退去しよう!」

 

 僕はアリシアの、カルバスはカリンの手を引き川岸へと向かう。


 川の水が急になくなる。そのあとの地響き。

 これは鉄砲水という現象の前兆かも知れない。

 上流で何かが川を堰き止め、それが一気に外れたせいで大量の水が流れ込んでくる。 

 鉄砲水の恐ろしさは母からに聞かされていた。

 僕の母は幼少期に森に住んでいたらしく、何度か怖い体験をしてきたという―― 


 上流の森の木々をなぎ倒し、濁流が迫ってくる。

 普段ならアリシアのひとっ飛びで超えられる距離が、電飾ウナギの電撃によって消耗した体では移動もままならない。


「カリン、行くぞ!」

「はい、お兄様!」


 何を思ったか、カルバス兄妹が濁流が迫る方へ向かって走り出した。

 しかし、彼らの行動は正しかった。

 目の前に迫ってきたのは、真っ黒な濁流……ではなく、大きく口を開けた巨大生物だったのだ。

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