想真の装丁
機月
第1話
「あれ、珍しい。お姉宛じゃない」
黒錬鉄の郵便受けから取り出した小包には、硬くとがった字で
「
一度ひっくり返して消印だけ確認すると、残りの郵便物をまとめて取り出し、煉瓦造りの門から踵を返す。ただ歩くだけで見て取れる無駄のない挙措、きれいに伸びた背筋は何か武道でも嗜んでいるような透徹さを感じる。だが背は高くとも、コートの袖からは小さな指先しかのぞいておらず、かろうじて膝上のスカートからのぞく足はあまりにも細い。何より薄手のダッフルコートの下は、市立中学校指定の少しやぼったいジャンパースカートだ。
ノッカーの付いた扉を押し開いて、玄関ホールで靴を脱ぐ。ダイレクトメールの大半を処分してから洗面所で手洗いうがいを済ませ、キッチンでお茶の用意を済ませてやっとダイニングの椅子に腰かけ一息つく。
取り出したハサミで丁寧に封を開けると、紙の封緘が掛かった1冊の本と、折りたたんだ数枚の便せんが出てきた。本のタイトルは、〈細工の女王、はちみつと出会う〉。あまり聞き覚えのないレーベルで、何故かタイトルの下には、
「訳者と監修? これが叔父さんのレーベルってこと? え、ほんとに版権取ったんだ?」
〈細工師〉シリーズといえば、戦前あたりに刊行が始まった海外ファンタジーの草分けとも言える作品だ。日本では著名な文学者によってお堅いレーベルから刊行されたが、昨今のファンタジー実写ブームに乗って、隠れた名作として評価を新たにしている。作者は不明。未だに新作が発表されていることから、既に何代も代替わりしているというのが定説だ。
「版権を取って、第三次ブームを引き起こしてみせる」とは、何年も前に本人が豪語していたと、親戚の間で一時話題になっていた。もっとも、誰も本気にはしていない、与太話としてであったが。
改めて眺める表紙には、女王というには随分小さい、小学生くらいの女の子を挟んで、鋤を担いだ育ちのよさそうな青年と、略式ながら王族然とした装飾に身を包んだ若干年かさの青年が並んでいる。幾分デフォルメされているものの、重厚な厚塗りでありながら、その表情仕草、小物が細部まで丁寧に描きこまれていて、カバーの紙質こそ薄くて質感に難があるものの、レーベルの命運を掛けるに相応しいものに仕上がっている。シュリンク代わりなのか、まるで銀で編んだ帯のような絵柄の紙封緘も、雰囲気を後押ししていて好ましい。
東湖はわずかに蒼氷の瞳を揺らすと、封緘には手を掛けず手紙を取った。線質だけでなく文字の雰囲気までもがやけに尖った、文字だけは硬質な日本語がつづられている。
『東湖へ
もう3年は会っていないかな、元気にやってる?
修学旅行のお土産ありがとう。今更だけど、お返しの代わりに献本させてもらおうかなって思いついたので、この本を送ります。
表紙を開いたページに挟んであるしおりは、絶対抜かないように。
出来れば最後まで、まずは東湖が楽しんでくれると嬉しいです。
あとは…… お風呂なんかでは読まない方がいいかな?
読書のお供はいらないと思うけど、便利な道具は用意しておいた方がいいと思う。
こんなところかな。
しばらくは連絡つかないと思うから、直接会ったときにでも感想を聞きたいな。
それじゃ。』
もう一度ゆっくり読み返すと、東湖は細く長く、息を吐いた。この煙に巻くような、あるいは具体的な要領が全く得られない言動は、だが本人はいたって真面目なのだと東湖も分かっている。何かに夢中になると発現する、本人も含めてこの一族は皆自覚しているはずの悪癖だ。
「これ絶対、地図とか暗号が仕込まれてるお使いとか宝探しとかそういうやつだ。下手すると脱出ゲームで、カバーだけ別とかだよ」
面倒事は間違いない。でもだからと言って、手を着けないと何もかも手遅れになるパターンだ。だからこそ、初動は大事なのだ。
「読書は寝る前1時間って決めてるんだけど…… 仕方ない」
キッチンで用意していたお茶を携帯マグに詰めるべく。まずは沸き始めた薬缶を火からおろすために、いったん席を立った。
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