2話 「早朝」

 ジリリリリリリリリッ!

耳元で騒々しく鳴り響くスマホのアラームを

2秒で消し、抱き込まれた布団を離して

体を起き上げる。

 寝ても昔より頭の中がスッキリしない。

拓海はぼやけてはっきりしない頭のまま

階段を降りる。

 我が家の朝はいつも戦場だ。

低血圧な父は朝に起きれず寝坊が多く、

そそっかしい母は朝になって頼まれごとを

思い出し、いつも慌てながら朝の支度をしている。

そんな2人を反面教師にしてきたおかげか、

今まで俺は学校を休んだことがない。

それは自分の中にある小さな誇りだった。

 我が家の朝の騒々しさの原因は両親が共働き

という理由もあるが、

それよりも大きな原因が1つある。

朝からその原因は叫んでいた。


 俺が中学一年生の秋、3年生が引退した試合から

しばらく経ち、2年生の新チームの雰囲気が

馴染み始めたある日、部活を終えて家に帰ると

青い顔をした母がリビングのソファで寝転がっていた。

いつもなら仕事に出かけている時間帯なはずだが‥

不思議に思い、どうしたの?と声をかけると

母は少し目眩と吐き気がするからお仕事休ませて

もらったの、と気だるげに返事をした。

無駄に体が丈夫な母としては珍しいが、

誰にでも体調が悪い時はあるものだ、拓海は

その日、久しぶりに家事の手伝いを自ら申し出て、自分のできる作業に取り組んだ。

 次の日、部活を終えて、リビングでアイスでも

食べようとしていたら、母が病院から帰ってきた。

帰ってきた母は赤く膨らんだまぶたで隠しきれない笑顔を頬に浮かべて手招きをする。

病院から帰って、そこまでテンションが上がる

とは、ある意味病気なのかもしれない。

ちゃんと処方箋はもらったのかと心配になりながら、俺は母の横に座る。

ニコニコとこちらを見つめる母が俺の耳に

口を近づける。


「お母さんね、子供できたみたい」


 そう囁き、たっくんもこれでお兄ちゃんだね、

と満面の笑みを浮かべる。

俺は口を開けたまま母をぼんやりと見つめていた。

 子供‥

 子供って事は‥

体験したことのない事態に情報の整理ができない。

 俺に弟ができた。

 いやまだ性別は分からないだろ、

 もしかしたら妹かもしれないし双子かもしれない

 でも双子なら弟と妹も産まれるかもしれない、

 でも双子で弟と妹という組み合わせってできるのか?

 分からないけどその方が良いよな、

良いよなってなんだよ。

 ダメだ、少し混乱してる。

そんな俺の慌てぶりを見てクスクス笑う母は

俺の頭を柔らかく撫でる。


「たっくんに妹か、弟か、まだどっちか分からへんけど家族ができるんよ。

 たっくんみたいな良い子になるんやろうな〜」


 上機嫌な時に関西弁になる母は嬉しそうに語りかけ、そのまま俺に抱きついてきた。

俺はすぐに母から離れて、よかったね、とだけ伝え逃げるように2階に上がってベットに飛び込んだ。母がじゃれついてきたのが嫌で逃げた訳ではないし、恥ずかしくなって逃げたのでもない。

 少し時間が経ってようやく、自分に家族が増えるという事実が飲み込めてきたのだ。

 初めはあんまり実感が湧かなくて、心底ビックリして、でも嬉しくて、この後どうなるか分からないのが不安で、心が大きなパテでかき混ぜられているようで、妙に落ち着かなかった。

 その日の夜、母の妊娠の報告を聞いた父は嬉しくなって弱いのにビールを4缶も空けて、

俺に抱きつき赤くなった顔の勢いでヒゲを

ジョリジョリしながら笑みを浮かべていた。

 この両親は嬉しくなると抱きついてくるので、

家族で海外に住んでも案外やっていけるかもしれない。そんなくだらない事を考えながら父の

なされるがままになった夜は月が神様に

バレないように休憩してるのではないかと

思うほど長かった。


 そんなこんなで産まれてきたのが妹の叶恵かなえだ。

もうすぐ1歳になる叶恵は朝から不機嫌なようで

泣き叫んでいた。

 アァァァッー!アァァァッー!

無駄に高くて大きい泣き声が頭の中に響き渡る。

耳の奥が震え、頭がかき氷を急いで食べた時の

脳をつねられたような痛みを生み出す。

 赤ちゃんだから仕方ないと頭で分かっていても

イラついてしまい、そんな心の狭い自分に

嫌気がさしてくる。

この状況でも睡眠を続ける父の図太さには

呆れるどころか尊敬すらできる。

 母は急いでキッチンから飛び出し泣いている

叶恵を抱っこする。

叶恵は一瞬泣き止むが、すぐにまた不機嫌を

訴えかけるように泣く。

叶恵は機嫌がすこぶる悪い時は、ただ抱っこしてもダメみたいで、その時は立って歩きながら抱っこしてあやさないと泣き止まない。

 俺もそうだったのだろうか‥

少し自分の過去を振り返ろうとしたが、

キッチンの方から流れる変な匂いにより思考は

止まる。

母が焼いていたソーセージが焦げているようだ。

 ったく‥

拓海はキッチンでパチパチと火花を散らしてる

フライパンの火を消して、こんがりと黒く焼けた

ソーセージを雑にちぎられたレタスが

盛られた皿へと移す。

 キッチンから離れる時は火を止めるべきだ、

後で母さんに言わないといけないな。

 そう思いながら拓海はウインナーの焼けすぎた

部分を隠すようにケチャップを塗り、口へと運んだ。

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