読書部に、ティータイムはない

緒川 公平

読書部に、部員はほとんどいない

 物語は、書き始めが一番大切だという。

 そこで読者の気を惹き、後に続く話を読んでもらうためらしい。


 では、学園モノの書き始めは何だろうか。

 紛れもなく、入学だ。


 苫利とまり隆太りゅうたという男を主人公とする学園物語を書くならば、書き始めは実に面白くないものであった。


 そこそこ良い進学実績を誇る県立四日市よっかいちひがし高校に真ん中より少し下くらいの成績で入学した。

 入学後は『人を不快にさせない』というモットーを胸に、日常生活を送っていった。

 不快感がないということを言い換えれば、一緒にいて気持ちが良いということになる。マイナスの感情が湧かないことは、それだけでプラスの判断材料となり得るのだろう。

  結果、その如才ない性格で、友達や知り合いを順調に増やしていく。日常を一緒に過ごし、気兼ねなく話せる知己ちきも得た。


 覚えきれないほど数多の部や研究会が存在するこの四日市東高校で、自分は部活には入らなかった。しかし、物事を継続して行う根気も才能もないことを自覚していたので、後悔の念はなかった。

 しかし、ずっと同じ部活を続けていることは尊敬に値すると思う。自分にとって同じ部活に属し続けることは、道端の石を三年見続けることに等しいくらい退屈だからだ。


 ここで、高校三章のうち一章目が幕を閉じる。

 驚くほど呆気なく、一/三が終わってしまった。だが、これでいい。普通が一番。普通でいることの難しさを、自分は誰よりも分かっているつもりだ。今日から二章目が始まる。


 そう自らの一年を総括しながら教室を出ようとしていると、隆太は後ろから誰かに呼び止められていることに気がついた。そして振り返るなり、いきなり肩を組まれる。

「寂しくなるなぁ、苫利」

 と、田島たじまは大げさなくらい大きなため息を吐いた。

 田島たじま克也かつや。野球部らしい坊主頭と焼けた肌、笑ったときに見える白すぎる歯が特徴的で、明るく元気なやつだ。そして、隆太が休み時間や昼食の時に一緒にいた友人の1人である。


 寂しくなるなぁと言うのは、今日が1年に1回のイベント、クラス替えの日だからだ。

 教室の中をぐるりと見回すと、今まで仲の良かった友人に惜別の思いを伝えている生徒や、他クラスから同じ組になる人は誰かを偵察しに来ている生徒がちらほらいる。


 別に寂しくなんかない、と隆太は思ったが、それを口に出さずに残念そうに肩を落として見せる。

「俺も寂しいよ田島。まぁ、また飯でも食いに行こうぜ」

 そう言って笑うと、田島は「おう!」と爽快に笑って拘束を解いた。

 またなーと手を振る田島に、隆太は軽く手を振り返すと、そそくさと教室から出た。貼り付けたような笑顔が気持ち悪い。一年掛けて表情筋を鍛えたとはいえ、作り笑いはまだ苦手だ。


 田島は理系クラス、俺は文系クラス。仲良くしておく必要はない。どうせクラスが離れてしまえば、ほぼ会うこともなくなるだろう。寂しいなぁと言っていたが、自分としては『相手にどれだけ不快感を与えないか』ということばかり考えて行動してきた1年だった。なので、大変ではあったが楽しくはなかった。

 隆太は、吐息を漏らした。


 自分の中から湧き出てくる冷たい感情に、蓋をして見なかったことにする。

 あ。さっきのため息、誰かに聞かれていないだろうか。隆太は急いで辺りを見回したが、こちらを注視している視線はない。みんな新しいクラスメイト捜しに夢中になっているようだ。


 気を引き締め直さないと。学校でため息をしているところを見られたら、なんて思われるか分からないぞ。そう気持ちを新たに、隆太は自分の新しい教室へ向かった。

 いつの間にか握りしめていたリュックの肩紐には、少し汗が滲んでいた。



 クラス替え当日は、役員の選出が行われた。


 我が二年七組の担任は、日本史と世界史の教科担当である安倉あくら秀作しゅうさく先生である。

 隆太は一年の時に授業を受けたことがあり、良くも悪くも緩い先生だが、話は面白いという印象を持っていた。

 前は司書室にいて、今年から担任を受け持つことになったらしく、慣れない手つきで学級名簿を眺めている。


 安倉はそれを漫然と眺めながら、おもむろに話し始めた。

「えー、まず学級委員二人を選ぶぞ。男女一人ずつだそうだが、誰かやりたい人はおるか」

 安倉の問いかけに、しかし誰も手を挙げる者はいない。一部では「お前がやれよ」だの「えーやだよ」と堂々巡りが行われているが、やはり誰も手を挙げない。安倉は全体を一瞥すると、苦々しげに眉へ皺を寄せた。


 隆太はそういったことに興味がなく、やるつもりもなかったので、ぼーっと外を眺めていた。

 一年から二年に上がるにあたり、当然だが教室も移動する。景色が新鮮だなぁと煙のような思考が現れては消えていく。要するに暇だ。そんな訊き方したって誰も立候補しないだろ。時間の無駄である。


 じゃあ、と、しびれを切らせたらしい安倉は、再び学級名簿に目を落としながら喋り始めた。

「進級する時に、各担任の先生から話を聞いています。このクラスには学級委員にぴったりな人が数人いるらしい。立候補者がいないなら、その中から適当に選ぶぞ。いいな。よし。えー、苫利隆太くんと雛賀ひなが三百合みゆりさん、お願いします」


 隆太は、向かいの棟に止っている鳥の数を数えていた。五羽、六羽。

 もちろん、数えている最中にも鳥の数は変動している。野鳥たちには、そこに居なければならないという義務は存在しない。鳥になりたいと言う人の気持ちが、隆太には分かる気がした。場所や時間に縛り付けられる人間と違って、鳥はどこへでも自由に飛んでゆける。


「おいー、苫利、やってくれるかー?」

「あっ、はい」

「そうか、それは助かるなぁ。ありがとな」

 周囲からは好奇の視線が突き刺さり、安倉はニヤニヤと笑っている。隆太は、その風景をどこか他人事のようにぼんやり眺めていたが、ようやく戻ってきた思考回路が悲鳴を上げた。

 やりやがったなこの野郎。そんな言葉が出てきそうな口を、隆太は急いで噤む。隆太は安倉を恨めしげに睨みつけるが、安倉はわざとらしく視線を三百合に移した。周りの目も、既に隆太から離れて三百合の方に向いている。


「雛賀は、やってくれるか?」

 安倉の問いかけの先にいた少女、雛賀三百合は遠慮がちに「はい」と答えると、周囲の女子と向き合って喋り始めた。

「えーなんで私なんやろ」

「三百合ならできるよー」

「そうかなー?めんどくさそうちゃう?」

「やから三百合が選ばれたんやろ?」

「どういう意味やこらー」

 そう言い合うと、彼女たちは笑った。楽しそうで、中身のない会話だなと隆太は思った。嫌なら辞退してしまえばいいのに。笑いながらも、不意に強張ってしまう彼女の横顔。俺よりも近くにいるはずの女子が、それに気付いていないはずがないだろうに。彼女はきっと、そんな面倒ごとはやりたくないはずだ。周りの女子に、それを感じとって欲しかったのではないのか。


 そこまで推察して、隆太は思考の電源を強制シャットダウンした。そこまで考えるには、雛賀さんのことを何も知らない。

 それに、自分だって体裁を気にして断れなかったはずだ。ここで担任と対立しても、意味がないから。彼女と同じだ。


 隆太は短く息を吐き、さっきの続きをしようと窓の外に視線を向ける。しかし、向かいの棟には、もう鳥は一羽もいなかった。



 学級委員の仕事は、大まかに言えばクラスの総括だ。

 とは言っても、文化祭のことは文化祭実行委員がやってくれるし、体育祭のことは体育祭実行委員の領分。各教科の雑務は各係……等、じゃあ学級委員の仕事ってなんだと思う。

 答えは、担任の雑用お手伝いらしい。


 今日から学級委員となった隆太と三百合は、放課後に安倉より呼び出しを受けていた。

 隆太はトイレを済ませ、階段を上がる。上がった先を右に曲がると、すぐに二年生担任室、略して二担にたんがある。


 階段で、知らない男子生徒二人組とすれ違う。恐らく今から帰るのだろうが、雑談が耳に入ってきた。

「お前の八組、人どうよ」「まぁまぁかな。けど雛賀さんと一緒になれへんかったからなー最悪や」「まぁ雛賀さん可愛いもんな」


 そう、雛賀三百合は可愛い。いわゆる今風女子で、程良く折られたスカートに、リボンにはワンポイントのピアス。化粧も目立たない程度で男子の好みをぐっと抑えつつ、彼女の本来の可愛らしさを引き立てている。

 それに加えて男女分け隔てなく接する性格で、男子からはもちろん女子からも支持されているという美少女。


 と、昔に田島が熱弁していた内容を、頭の中で反芻はんすうする。隆太にとってそれはどうでも良かった。問題は、関わりがあるかないか。だが、こうなってしまった以上、上手く付き合っていくしかない。


 学級委員は目立つ仕事だ。自分がやったことはないが、一年の時の学級委員はそうだった。

 目立つと言うことは、人と接する機会も自ずと増える。そうなれば、それだけ人間関係に気を遣わなくてはならない。『波風を立てないこと』を信条とする隆太にとって、それは死活問題だった。苦労を増やして欲しくは、ない。

 これは大変な一年になるぞ。そう腹を括り、階段を上り終えて右に曲がる。

 すると、二担の扉を少しだけ開けて中の様子を伺っている三百合の姿が、隆太の視界に飛び込んできた。


 これはどうすれば。完全に見た目泥棒だぞこの光景。逡巡した隆太だったが、こちらに気付いたらしい三百合が素っ頓狂な声を上げた。

「うわっ、苫利君来てたんや」

「まぁ、呼ばれたからね。どうかしたん?」

「いや、何か一人やと初めての教室って入りづらくない?」

「あ、分かるかも。だから中の様子を伺ってたんだな」

「そ、そのとーりだよ苫利君!」

 そう言うと、三百合は恥ずかしそうに笑った。唇の隙間から、綺麗に並んだ白い歯が覘く。きっと、彼女のこういう愛嬌が人を惹きつけるんだろうな。そう隆太は考えつつ、彼女がどういう心境でその行動をしているのか気になった。人が善意だけで出来ている訳がない。きっと裏があるはずだ。


 だが、隆太がそれを考え出す前に、三百合の明るい声がそれを遮る。

「さて。苫利君も来てくれたし、そろそろ入ろっか」

 隆太が首を縦に振って首肯の意を示すと、三百合は安心したように頷き、二担の扉を勢いよく開ける。

「失礼しまーす。二年七組、雛賀三百合と苫利隆太、安倉先生に用事があって来ました」


 二担に限らず、教職員が駐在する部屋に入るときは名前と組、目的を告げなくてはならない。

 三百合は律儀にそれを守った上に、一緒に隆太の分まで言ってくれたので、隆太は一言「失礼します」とだけ言って後に続く。


 珈琲の香りが隆太の鼻腔をくすぐった。一昔前の両親の時代は煙草の匂いだったらしいが、今は校内全面に禁煙令が敷かれているため、煙草は吸えない。なので幾分かマシになったとは思うが、それでも飲み慣れていない珈琲の匂いに、少し顔を顰める。いつか大人になれば、この匂いが好きになるのだろうか。


 入ってすぐの机が、安倉の定位置だった。待ちくたびれたとでも言うように、頬杖をつきながら隆太達を眺めている。出来るだけ『申し訳ない感』を出しながら、隆太が切り出した。

「すみません、遅れました」

「いやいや、別に遅れてなんかないさ。急に仕事を頼んだのはこっちなんだし」

 ほんとだよ、と隆太は思ったが、口には出さない。この一年間で、内心に留めておく技術は格段に上がったと、隆太は自負していた。三百合が少し笑って、

「私は構いませんよ。それで、何をすればいいでしょうか」

 と言うと、安倉は「よっこらせ」と力んで引き出しから二枚のプリントを出し、隆太と三百合に一枚ずつ手渡した。


「それ、俺が顧問と副顧問しとる部に配らんとあかんプリントなんやけど、提出が明後日までって事をすっかり忘れててな。今から届けに行って欲しいんやけど」

 頼む、そう言って頭を下げる安倉に対して、隆太は、

「安倉先生、そんな事しないでください。僕も大丈夫ですので」

 と何でもない様に装う。もちろん心の底から先生に奉仕しようと思っている訳ではない。教員に頭を下げさせることが、他の人から見て変な風に思われたらどうしよう。そんな卑しい感情からだった。


「あー、ホンマに助かるわ。苫利と雛賀を学級委員に選んで良かったわ」

 安倉はそう言って頭をがしがしと掻いた。それを「えへへ」と笑って受け取る三百合の隣で、隆太は愛想笑いもそこそこにプリントへ目を落としていた。

『部員調査票 読書部』と書かれていた。三百合のものを見ると、そこには隆太のものと同じ文言が書かれていたが、唯一『陸上部』という箇所だけが違った。


 読書部?隆太が聞いたことのない部活名に若干戸惑っていると、安倉が思い出したように補足する。

「陸上部はグラウンドにいるマネージャーに、読書部は第五演習室におるやつに渡してくれればええから」

 よろしくー、と手を振る安倉を見て、三百合は軽くお辞儀をして二担の出入口へと身体を反転させた。

 俺もそれに続きながら安倉を振り返ると、彼は既に手元の雑誌を読み始めていた。『月刊 日本歴史』。まさかそれを読みたいが為にお使いを頼んだんじゃあるまいな。深まる疑念を飲み込んで、隆太達は二担を後にした。



 三百合とは二担の前で別れ、隆太は読書部の活動しているらしい第五演習室へ向かうことにした。

 のだったが、ふと足が止まる。隆太は、第五演習室の場所を覚えていなかった。


 隆太は、頭の中で校内図を描き出していく。

 主に教室がある北棟、職員室や五教科の準備室がある特別棟、それ以外の特別教室が入る新棟。

 ざっと言えばこんな感じだが、四日市東高校の校内は煩雑としていて、まるで迷路の様相を呈している。隆太も入学したばかりの頃は、教室移動の度に、校内図の写真と必死ににらめっこしていたものだ。


 第一から第四演習室の場所は分かるが、第五演習室はどこだ。あるのは知っているが、どこにあるのかが分からない。

 結局三十秒ほどの時間を費やし、やっと場所を思い出す。特別棟二階、被服室の隣だ。ここから渡り廊下を使ってすぐではないか。


 第五演習室は他の演習室とは違い、普段施錠されていて生徒は入ることが出来ない。使われるのは、補講や居残りで使用する時だけ。

 そんな場所が部室として使われているなんて、隆太は聞いたことがなかった。

 まあ聞いたことがない部活があるほどだ。知らないのも当然か。

 そう勝手に納得する間に、第五演習室へ到着する。


 さっきの三百合ではないが、初めての教室に入るのは少し緊張するらしい。隆太は深呼吸して、曇りガラスを三度ノックしてみる。向こう側の空だろうか。鮮やかな青色が透けて見えた。

「どうぞ」

 芯の通った、凜々しい女性の声。マジか女子か。隆太は一瞬背筋が固まったが、ここで躊躇っては不信感を抱かれる。思い切って扉に手をかけ、引いてみる。


 そこには、少し変わった風景が広がっていた。

 広さは七畳から八畳くらいだろうか。普通の教室に比べて、圧倒的に狭い。通常の無機質な石膏張せっこうばりとは違い、一部がタイルで覆われた壁。半分がウレタン、もう半分は一段高いところに畳が敷かれた床。


 その畳に正座している、一人の少女。


 彼女は、教室に入ってくる日光と冗談みたいに澄みきった青空を背に受けてなお、それに負けない美しさを放ちながら颯然と座していた。それに加えて水の流れのようにさらりと伸びた黒髪と、端正な目鼻立ちは、まるで人形を思わせる。

 隆太は、目を見張ったまま動けない。なぜ彼女がここに。そんなことをぼんやりと考えていた。


 少女は真っ直ぐに隆太の目を見据えていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「初めまして苫利隆太さん。私は二年一組の波木野はぎの千帆ちほと申します。ご用件は何でしょうか」

 頭の中が水に沈んだようにぼんやりとしている。半ば夢心地のように、

「………あ、これ。安倉先生に頼まれて持ってきました」

 と隆太が一拍遅れて答え、プリントを手渡すと、彼女のすらりとした指がそれを受け取る。ブラウスの袖口から見える彼女の手首は、透き通るように白かった。


「これは……部員調査票ですか」

「あの、それって何なんですか」

 隆太は聞いてから、はっとした。聞く必要のない内容じゃないか。思ったことをそのまま口走るなんて、高校生になってから初めてだ。抜かった。


 隆太は、頬に汗が伝うのを感じた。馴れ馴れしいと思われてないだろうか。だが、千帆はそんなこと気にしていないのか、無表情のまま続けた。

「これは各部の実態を調査するために、生徒会に提出しなければいけないものです。この高校は部活数が多いので、こうやって一括調査をするのでしょうね」

「調査して、どうなるんですか?」


 隆太がそう尋ねると、ほんの少し千帆の眉根が寄る。しまった、これはしてはいけない質問だったか。隆太が後悔するのと千帆が話し始めるのは同時だった。

「部員数が二名より少ないと、廃部になってしまいます。そして、恐らくこの読書部も近々そうなってしまうでしょうね」

 そう言った後の彼女の微笑みは、少しだけ寂しげだ。隆太はそう思った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る