探偵、桜井明日香5
わたなべ
プロローグ
12月の、ある夜――
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
暮れも押し迫った12月の寒い夜(とはいっても、雪が降るほどの寒さではないけれど)だというのに、緊張からか息が切れ、汗までうっすらと吹き出てきたみたいだ。
落ち着こう――
これから、人を殺すのだ。緊張して手を滑らせて、万が一でも失敗をしてしまっては、ここまでの苦労が水の泡だ。
ずっと前から、今日の日を待ちわびていたのだ。
あいつへの、復讐の時を――
やっと、この日が来たのだ。絶対に失敗は許されない。
――大丈夫だ。
私は一度、大きく深呼吸をした。続けて二度三度と、大きく深呼吸をすると、段々と気持ちが落ち着いてきた――いや、落ち着いたような気がするだけで、実際は落ち着いていないのかもしれない。
しかし、殺るしかないのだ。
この場所は、都内のこの時間にしては比較的暗くて、人が来ることもほとんど無いようだった。
大丈夫。私のアリバイ工作も、完璧のはずだ。
もしも犯行場所や殺害時刻が、警察の捜査で分かったとしても、アリバイを証言してくれる信頼できる人物がいる。
警察も、その人物の証言なら、おそらく信用をしてくれるだろう――いや、おそらくでは駄目だ。確実に信用してもらわなくては。
それに、いざとなったら罪を着せる相手もいる。その相手には悪いかもしれないけれど、その相手も悪いことをやっている人物だ。犠牲にしたところで、そんなに良心は痛まない……。
本当は、目的を達成したら自首をしようかと思ったりもしたのだけれど、あんな奴の為に刑務所に入るのは、まっぴらごめんだ。
――大丈夫だ。必ず、上手くいく。
必ず――
私は、腕時計を見た。もう間もなく、約束の時間だ。
その人物は、約束の時間ぴったりに、ここにやって来た。
「おい! いるのか? 約束の金は、ちゃんと持って来てるんだろうな?」
その人物は、キョロキョロと辺りを見渡している。
私は、後ろからゆっくりと、その人物に近付いていった。緊張で汗が背中を伝うのが分かった。その感覚が、少し気持ちが悪かったけれど、もう少しすれば、そんなことも気にならないほどの興奮が襲ってくるだろう。
私は、隠し持っていたハンマーを振り上げた――
ハンマーに、キラリと月明かりが反射したような気がした――その時だった。
その人物が、私の気配を察したのか、突然こちらを振り向いたのだ。
「誰だ! ――お前……。一体、何の真似だ!」
その人物は、私の手に握られているハンマーに気が付いた。
もう、迷っている暇は無かった。私は、夢中でハンマーで殴りつけた。しかし、ハンマーは無情にも、相手の頬をかすめただけだった。
しまった! 失敗した!
そう思った時には、私はその人物ともつれ合って倒れていた。
それから私は、無我夢中でハンマーを振り回していた。相手も、物凄い力で必死に抵抗をしてきた。
「はぁっ……、はぁっ……」
ガンっと鈍い音がして、急に相手の抵抗が無くなった。
私は、恐る恐る目を開けた。
偶然にもハンマーは、相手の額を真っ正面から叩きつけていたみたいだ。額からは、血が流れている。
「はぁっ……、はぁっ……」
死んで――いる?
い、いや、まだ生きている。まだ、これで死なれては困るのだ。
私は、持って来ていたロープを取り出すと、相手の首に巻き付け、力の限り締め付けたのだった――
私は、ここに来た時とは違う理由で、汗びっしょりになっていた。
着替えておいて良かった。着替えていなければ、汚れた格好で、アリバイを証言してくれる人物の所に戻らなければならない。
流石に、そんな事は出来ない。
私は念のため、本当に死んでいるのか確かめてみた。
呼吸はしていないし、脈も無い(正確な脈の測り方は、分からないけれど)ようだ。
やった! ついに、殺ったのだ!
私は、今にも叫び出しそうになったけれど、必死に我慢した。いくら人が来る可能性が無いとはいっても、もし声を聞かれるようなことがあってはならない。叫び声を上げるのは、誰にも聞かれない場所に行ってからだ。
揉み合いになったことで、予定以上に時間がかかってしまった。遺体を早くあの場所に隠して、戻らなければならない。
犯行現場の痕跡を、もう少し消していきたいけれど、時間が無い。
やむを得ず、私は犯行現場はそのままに遺体をある場所に隠すと、急いでその場を離れたのだった。
後は着替えて、あの場所に戻れば完璧だ。出来ればシャワーも浴びたいけれど、そんな時間は無い。
それに、シャワーを浴びて戻れば、アリバイを証言してくれる人物が、おかしいと思うかもしれない。
大丈夫だ――
長袖長ズボンで、フードも被っていた。手袋もしていたし、ハンマーで殴ったときに飛んだ血も、皮膚には付着していない。
「ははっ! ついにやった! 私は、殺ったんだ!」
私は誰にも聞かれないこの場所でそう叫ぶと、涙を流して喜んだのだった――
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