猫耳姫は駆け落ちしたい ー浪漫屋骨董奇譚ー
Mikey
第1話 海辺の骨董店
この店に入るのは三度目だった。
それは、高校に入学して三度目の遅刻であるということを意味している。
そう、今朝の私は十二分に一本しかやってこない電車に乗り遅れたおかげで、一時間目に間に合いそびれてしまったのだ。
しかも電車の中で眠ってしまいそのまま終点まで行って、今やっと学校の最寄り駅まで戻ってきたところだった。
こうなったらもう、次の授業が始まるまでどこかで時間をつぶすしかない。本を読んでやりすごしてもよかったけれど、まさか駅のベンチに座っているわけにもいかない。
だって、制服を着ているからすぐに学生だとバレてしまう。学校に連絡されたらまずいし、先生が見回りに来ないとも限らない。
どこに行こうか迷ったとき、この店のことを思い出した。
浪漫屋骨董店。
ひなびた海岸通りの、海沿いを走る路面電車の線路脇に、ぽつぽつと並んだ民家やサーフショップ、コーヒースタンドといった小さな店舗の中に混じってひっそり佇んでいるお店だ。
見た目も民家と変わらない。それどころか小さな『浪漫屋骨董店』という看板に負けず劣らず古びていて、店そのものが骨董品のように見える。
過去二回この店に入ったとき、がらくたのようなものが小さな店内に所狭しと並んでいて驚いた。
階段箪笥や火鉢のようなものは古くても分かる。懐中時計や万年筆は、ガラスケース越しでも気品があふれる気品が伝わってくる。
分からないのは、レジのすぐ脇に置いてある鍵付きの箱にしまわれているものだ。
「こんにちは。この箱の中のもの、見せてもらえますか?」
「……」
店主はとても小さなおばあちゃんで、元気はあるけど耳が遠いらしく話があまり通じない。私は何度か放課後にもこの店に入ってみようと試みたのだけれど、営業時間がまちまちのようでいつも開いていなかった。
「こんにちは!」
今度はまるで百メートル先にいる人に向かって叫ぶような大きさの声で呼びかけてみた。
「!!」
しらすみたいに小さくて細い目が、ほんの一瞬だけさんまくらいの大きさになって、そしてまたすぐに小さくなった。
眠っていたのかもしれない。
っていうか、びっくりして心臓マヒでも起こしちゃったらどうしようかと思って、しばらくじっと見守っていた。
「あらあんた。また来たのかい?」
よかった。どうやら心臓は強いみたい。
それに、前回ここに来たときから一ヶ月くらいは間が空いているはずなのに、覚えていてくれたみたい。
「ちょっと、またこの箱の中のものを見せて欲しいな、って思って」
おばあちゃんはちらりと私の顔を見て、すぐにレジの下にある小さな金庫から古い鍵を取り出した。
私がすぐそばの高校の制服を着ていることとか、今は学校が始まっている時間であることだとか、そういうことには興味がないらしい。
最初にこのお店に来たときは、なんていうか、こう、昔の人って「ちゃんと学校に行きなさい」とか「あたしの若い頃はね」みたいにお説教されるのかと思っていた。まぁ、なにも言われないからこそ、今日もここに来ることにしたのだけれど。
おばあちゃんは鍵を私にかざして言う。
「この箱の中身を見るときの約束を、ちゃんと覚えているかい?」
「はい、覚えてます」
「言ってみな」
「はい」
ひとつ、箱の中身に決して触れないこと。
ひとつ、箱の中身について、決して他人に話さないこと。
ひとつ、箱の中身と似たものを外で見つけたときは、拾って店に持って来ること。
理由は分からないけれど、シンプルな約束だから簡単に覚えることができた。
私が暗唱すると、おばあちゃんはよしよしといった風にうなずいて、鍵を開けてくれた。
古い木でできた箱の中は、これも古い紺色のビロードが貼られていて、そこに色とりどりのシーグラスが並べてあった。
シーグラスって、ガラス瓶が割れて砂で洗われて角が取れて丸くなったもの。
つまり、ただのガラス。
ちょっと珍しいのは、普通は薄い水色とか緑色、時々茶色のシーグラスが多い中で、この箱には赤やピンクや薄紫、あるいは濃い青色のガラスがあることくらい。それも、ガラスとして存在していないわけではないから、希少価値が高いとは思えない。
これが、鍵つきの箱にしまわれて、約束ごとに守られているのは何故なんだろう。
理由は別として、砂浜で見つけるシーグラスにも心躍るけれど、このお店で見るシーグラスたちが古いランプの光を浴びてゆらゆらと小さな炎が揺らめくように輝くのを眺めるのが好きだった。
前回見たときから、数も種類も配置もどれも変わっていないような気がする。
もちろん、約束を守っていればお客さんが触れることはありえないし、そもそもお客さんがほとんど来なさそうなこのお店では、箱が開けられる機会もそれほどないのかもしれない。店主のおばあちゃんが毎日開けて中身を磨いたりでもしない限り。
私は、そろそろ一時間目が終わる頃だろうかと思いながら、時間いっぱいまで箱の中身を堪能しようと目を凝らした。
いくつも並んだシーグラスの中で、右端の奥の方にある薄い青のなんの変哲もないガラスが、ちらりと光った。
「あ、そういえば私、シーグラスを拾ったんですよ」
さっき、駅を出てこの店に来るほんの直前に、一度海岸に降りて砂浜を歩いて来たんだった。
路面電車と海の間には国道が走っていて、その道路を渡って長い階段を降りたところに砂浜がある。わりと有名な観光名所だからあまりキレイな海じゃないけど、私はこの海が好きだった。
小さな貝殻や海藻に混じって、シーグラスもよく見つかる。
今度この店に来たときのために、私はいくつか拾ってポーチに入れて持ち歩いていた。
「ほら、これなんか、この薄い青のシーグラスに色が似て……」
「やめなさい!!」
おばあちゃんの大声にびっくりするのと同時に、ただのガラスのはずのシーグラスがまぶしく光って思わず目を閉じた。
「わ、私、触ろうとなん……か……」
約束を破ってなんかいない。シーグラスを触ろうとなんかしていない。
きっとちゃんと話せばおばあちゃんは分かってくれる。
と、思ったのだけど。
「ここ、どこ?」
目を開けると、お店がキレイさっぱり消えていた。
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