2話 理想と虚像
01.丑三つ時のセンター
草木も眠る丑三つ時。本来ならそろそろ自宅に戻り、眠る支度をして昼夜逆転に片足を突っ込んだような生活を送っている時間。
ミソギはぐったりと頭を抱えていた。
場所は霊障センター。言わずともがな、蛍火が勤めている霊障専門の病院だ。
「ああああ……。後は帰るだけだったのに」
「せ、先輩、元気出しましょう!」
南雲の励ましも耳に入って来ない。
今日、相手をした怪異というのが遮二無二に突っ込んで来る、猪のような怪異だった。音に敏感に反応するせいか、その機敏な動きを見て真っ先に悲鳴を上げたミソギへ一直線に迫って来た怪異の勢いは凄まじく、絶叫で溶かしきる前に自分の元へ到達。軽く触れ合ってしまったせいで、痛々しい霊障が刻まれてしまった。
赤く腫れ上がっている手を労るように撫でる。特に痛みもかゆみも無いが、相手は霊。草むらに潜む毛虫とは違うのだ。目に見える実害に晒されている以上、一度専門医に診て貰うべきだろう。
今回一緒の仕事だったトキの強い推しもあり、睡眠時間を削ってまでセンターへ行く事になってしまった。正直、睡眠時間確保に神経を使いたかった所存。
「ミソギさん!」
聞き慣れない声に顔を上げる。人っ子一人居ないロビーだったが、関係者入り口から青年が出て来た。何となく見覚えがあるような無いような。
逡巡していると、センター勤務らしく白衣を身に纏った彼は自ら種明かしをした。
「あのー、この間救援に来て貰ったハカタです。今日はセンターの方にお仕事で……」
「あー、そうなんだ。お疲れ様です」
「それで、霊障を受けられたと聞きましたが、見ての通り。蛍火さんはもう上がっていまして」
――薄々そんな気はしていた。だって午前2時だもの。
センターのドンである蛍火がまだ残っているはずもないし、あの青札が呼んだところで駆け付けてくれるとも思えない。というか、そこまで切羽詰まった状況でも無い。
となると、完全に無駄足。仮眠を取ってからセンターへは来るべきだっただろう。少し苛立った様子のトキが訊ねる。
「おい、明日は昼から仕事だぞ。今どうにか出来ないのか?」
「うーん、そう言われましても……。蛍火さんに、メールで経緯を伝えて、明日の朝一で来て貰う事くらいしか出来ませんね。と言うわけで、状況を聞いても良いですか?」
「状況ね……」
特に深く説明する事は無いはずだが、ミソギは自らの身に起こった事を再度顧みることにした。
***
1時間半程前だろうか。日付が変わってすぐくらいの時間帯。
今日のお仕事は廃墟になって1ヶ月、まだまだ廃墟歴の浅い空きビルのような場所での調査だった。こういった、人の妄想空想が膨らみやすい空間では慢性的に怪異が発生する。なので、出た瞬間にはもう叩いてしまおうという作戦だった。
ただ、空きビルになって新しいとはいえ恐怖の対象である事に変わりは無い。ミソギの足は中へ入った瞬間から既に震えていたし、それは後輩である南雲も同じだ。
「センパーイ、俺帰っていいすか!? 何でわざわざ夜に廃墟探索すんの!? 相楽さんの馬鹿あ!!」
「やかましいぞ、南雲ッ!! 昼は別の仕事があっただろうが!」
「何だか最近忙し、ヒッ!? 何か踏んだ、何か踏んだ!!」
忙しいね、と言いかけたミソギは既に悲鳴を上げていた。何か踏み心地の悪い、じゃりっとしたものを踏み抜いたのだ。
キンキン声が癪に障ったのだろうか。ぎっ、と鋭い視線を投げて寄越したトキが苛々と、しかし的確に応じる。
「お前が今踏んだのは瓶の破片だ!」
「瓶!? 廃墟になった途端、変な物転がり過ぎでしょ!」
「何かあれっすね。不良的なアレの溜まり場になってんのかも」
南雲を一瞥したトキが不意に淡々と口を開く。このトーンは仕事の話を始める時のトーンだ。
「今回の怪異は噂が単一だ。女の姿をしていて、髪が長く、変な呻き声を上げる怪異」
「出来立ての怪異って感じだね。これに尾びれ背びれが付いて強くなっていくんだろうなあ……」
何かに類似しているような、悪く言えば特徴も何も無い怪異。あまり成長していないのも伺えるので、今日は楽勝だろう。尤も、楽勝だろうが何だろうが恐怖である事に変わりは無いのだが。
が、ここで南雲が不穏な言葉を口にした。
「でも、俺が聞いた所によるとその女怪異のせいで、もう同僚が2人くらい入院してるらしいっすよ」
「え、センターに? 怪異じゃなくて、不良っていう人為的な力とかではなく?」
「その溜まってた悪い大人達も揃って入院してるって聞いたっす」
はあ? と、トキがあからさまに刺々しい問い返しをした。肩をすくめた南雲はスマートフォンをゆらゆらと目の前で振っている。つまり、機関員に配布されているアプリでの情報という事だろう。
とはいえ、この匿名掲示板、或いはチャットシステムとでも言うのだろうか。この情報はなかなか馬鹿に出来ない。文字で情報が残せる上、多くの情報を共有出来る。しかも仕事で使うシステムなので不確かな情報を書き込む者は少ないときた。
つまり、アプリの情報はそれなりに信用に価するものとなる。
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