08.土地勘の重要性

 そう長くは走っていなかったと思う。2分、3分、その程度か。とはいえ全力疾走に近い速度だったので祠との距離はそこそこ空いてしまった事だろう。


「十束か?」


 落ち着いた低い、しかし怪訝そうな声音に驚き足を止める。

 見慣れた――随分と久しぶりに感じる顔が2つ。言うまでも無くトキとミソギだ。あまり怪異と出会わなかったのか、疲れ切っているという様子では無い。

 呼吸を整えていると、あまり顔色の良くないミソギが不意に訊ねた。


「雨宮は?」

「あ……あっちの――」


 疲れがどっと襲って来る。指さした先を見たミソギがトキの背を押した。


「何か緊急事態っぽいし、見に行ってみようよ。あっちの祠」

「はぁ? 事情もよく分からないのに突っ込むのか?」

「十束は私達の事、おちょくったりしないじゃん」

「おい、十束。お前は何から逃げて来たんだ。怪異はどのくらいいる?」


 整ってきた息そのままに、困惑している様子の2人に事情を説明する。途端、トキの顔色が変わった。


「そういう事は早く言えッ!! 祠? とか言ったな、行くぞミソギ! 貴様、動けない奴を放置するなぞあり得ないだろ!!」


 ご尤もだが、こちらにはこちらの事情があったのだ。

 とはいえ――割と近くにいると分かっていれば、大声でも上げて彼等を呼べば良かったのかもしれない。少なくとも、自分が一人で祠から逃走するよりずっと良い結果だったはずだ。

 来た道を戻りながらぽつりと言葉が溢れる。


「俺も、お前みたいに大声を上げる度胸があればな」


 当のミソギが視線だけこちらへ向けてきた。自嘲めいた笑みが微かに浮かんでいる――ように、見える。


「そういう風に思えているうちが華だよ、十束」


 ***


 その後、3人で祠まで戻ったが雨宮の姿も怪異の姿も無かった。丁度雨が上がったからか、怪異も姿を見せなくなり公園から撤退。支部へ戻れば相楽がすぐに捜索隊を組んでくれたが、その日に雨宮は見つからなかった。

 そんな捜索隊が組まれた翌日。

 除霊師を嘲笑うかのように、そのぎ公園の入り口に倒れている雨宮が発見された。その日から、彼女は霊障センターで眠ったままである。


 ***


「う……」


 車の温い暖房が頬を撫でる。額に掻いた汗を拭った十束は、ぼんやりした頭で車内を見回した。不意に隣に座っていた南雲からジト目で睨まれている事に気付く。


「な、何だ……?」

「アンタさ、魘されてんのか何なのか知らないけど、煩すぎ」

「す、すまん。変な夢を視た。というか、起こしてくれても良くないか?」

「俺は何度もアンタの事起こしたっての! でも! 全然起きねぇし、先輩は放っておけって冷たいし!!」


 すまん、と謝りながらスマホで時間を確認する。車が発進してから20分が経っていた。そろそろそのぎ公園についてもおかしくないが、生憎と車窓から見える風景は知らない場所だ。


「うん? これは今、どこを走っているんだ?」


 何の気なしに発した言葉に反応したのは、黙々と運転していたはずの氷雨だった。


「すまない……。道を間違えたらしい。カーナビに頼ってはいるが、あと十数分はかかりそうだ……。ハァ、俺みたいなのが運転したせいで……」


 ――自暴自棄が過ぎるぞ!

 あまりにもゲンナリとした、疲れ切った口調。自己肯定感が死んでいるような声音に、思わず励ましの言葉を掛けようとしたが先にトキが口を開いた。開いてしまった。


「おい、うじうじとするな、鬱陶しい! いいから黙ってナビの通りに車を進めろ。次は左折だ」

「了解……。悪いな、俺のせいで地図を見る羽目になって」

「黙って前を見ていろ。……おいッ! 信号! 赤だぞ、信号無視か!?」

「あああ……」


 相性が悪そうだ。トキの心無い発言に心が折れる者は多い。いっそ、何故ミソギや雨宮が彼の言動に対し笑って受け流せるメンタルがあるのか知りたい程だ。心中を察した十束はそっと苦言を呈した。


「おいおい、支部を異動して来たばかりだと言っていただろう? 土地勘も無いのに運転をさせた俺達が悪い。あまりそう責めるな」

「ああ……。そうだよな、職場周りの地形ぐらい把握しておくべきだったよ。俺みたいなのは庇ってくれなくていいぞ、あんた……」

「エッ!? い、いやそういうつもりじゃ無いんだが」


 ――あ、これならトキに任せておいた方がいいかもしれない。

 自分の適当な助言より、言い方はキツイが的確な指示を出す彼の方が氷雨との付き合いには向いていそうな気がする。


 氷雨が道を何となく把握し始めたのを見た十束は、助手席のトキに話し掛けた。


「ミソギも公園にいるだろうか?」

「いない可能性の方が高いな。あれはそのぎ公園は好かんらしい。それに、あの怖がりが公園――それも雨の日に、相楽さんに黙って公園へ忍び込む度胸があるとは思えん」

「そうか……。しかし、ならミソギはどこへ消えたんだろうな。もう一回電話してみるか。まだ着くのに掛かりそうだし」


 スマホを取り出し、ミソギの番号に電話を掛ける。

 ――が、やはり電話は繋がらなかった。機械音声が無機質な声で時間を置いてから掛け直すようにアナウンスしているのが聞こえる。

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