03.廊下の足音

 全く意味はない行為なのだが、それでも何となく薄目で今撮った写真を確認する。


「ヒィァ!?」

「さっきから何だ、騒々しい! どうせ何も写っていなかったんだろうが、大袈裟な反応をするなッ!」

「ち、ちがっ……確かに、見ようによっては何も写っていないけども!!」

「ハァ?」


 本棚を漁っていたトキがその作業を中断して大股に近寄って来た。言うまでも無く、今日初っ端から深かった眉間の皺は大渓谷のようになっている。

 ミソギの手からスマホを引ったくった彼は画面を改めた。大渓谷が緩和され、溝くらいの深さに塗り変わる。


 画面には何も写っていなかった。ただ黒々とした闇が画面に表示されているだけである。だがミソギが写真を撮っていた事は周知の事実なので、大して暗くもないこの部屋が黒塗りのように写るのはおかしい事だ。

 ふん、と鼻を鳴らしたトキがスマホを返して来る。異様な空気に気付いた十束がこちらをチラチラと伺っていた。


「何かあったのか?」

「写真は撮れんな。相楽さんには書斎の事を口頭で伝えるしかないだろう。本棚にもめぼしい資料はない。人形のカタログのようなものと、人体に関する本が大半だ」

「何だそのチョイス。こっちの机の上には日記を発見したぞ」


 そう言って、十束はルーズリーフの切れ端のようなものを見せてきた。少しばかり黄ばみ、劣化しているその紙には確かに綺麗な文字が綴られている。酷く神経質そうな、育ちの良さそうな字。

 得意気な表情で十束がその紙切れに視線を落とす。


「こういった類の物は、推理に役立つからな。早速中を――」

「今! 今、何か音がしなかった!? さ、相楽さん達かな!?」

「黙っていろミソギ!」


 音がしなかったか、そう訊ねたが自分の中ですでに答えは出ていた。音は『した』。人の足音のような、誰かが部屋へ近付いて来るような音だ。

 酷く歩き慣れているような軽快な足音は、直感的に相楽達のものでない事を悟らせた。それに、下の面子は4人だ。単独行動を相楽が許すとは思えない。なので、この単独の足音が1階を探索しているメンバーのものであるのは考えにくいだろう。


 そうこうしているうちに、足音は刻一刻と近付いて来ている。

 十束が霊符を取り出し、トキが模擬刀の柄に手を掛けた。ミソギもまたそれに倣い、懐から霊符を取り出す。


「なあ、トキ。何が来ていると思う?」

「知らん。だが、人間ではないだろうよ」


 足音は書斎の前でピタリと止まった。

 当然の如く、ドアが重々しい音を立ててゆっくりと開く。


「ヒィ、あああ、開く! ドアが開いちゃううううああああああああ!!」

「いつにも増して煩いぞ! 何だと言うんだ一体……」

「いや、だが良いタイミングだ。これで並大抵の怪異なら消滅して……ないな」


 レモンでも搾るように捻り出された悲鳴はしかし、外にいる怪異の行動さえ妨げる事は出来なかった。相も変わらず、ドアは不気味な音を立てながらゆっくりと開いていく。濃紺色の服の袖が見えた。

 それの全容が明らかになる。


 俯き、だらりと力無く身体から下がる両腕。生気の失われた肌の色。強烈な花の香り。酷い圧迫感で一瞬だけ呼吸の仕方を忘れた。どこかざらざらとした空気が頬を撫でる。

 ゆっくりと、女の姿をした怪異が顔を上げた。肩口まで伸びたセミロングの髪が、彼女の動きに従って身体の後ろへと流れて行く。


「縄の痕……」


 その細い首にはくっきりと縄目が浮き上がっていた。まるで、首でも吊ったかのような――


「マズイ怪異のような気がする……!」


 呟いた十束が霊符を投げ放った。しかし、それは怪異に届く前に燃え尽き、焼け焦げた破片を撒き散らしながら床に力無く落下する。


「おい、全然効いていないぞッ!」

「た、確かにそうだが……それは俺のせいではなくないか?」


 同期達の会話を尻目に、奥歯がガチガチと噛み合わない感覚を覚える。それは冬の身を切るような寒さの時に起きる生理現象でありながら、現状においては恐怖に対する無意識的な防衛本能でもある。


 先程の光景が、脳の冷静な部分でリフレインした。

 ――私の特定条件である絶叫は、彼女に通用しなかったはずだ。

 それ即ち、今この場において手の打ちようが無いという事。特定条件下で、尤も力を発揮するのは自分であるはずだからだ。


「に、逃げよう……! コイツ、ヤバイって! 私の叫び声、効いてなかったんだよ? 霊符なんて紙切れ、効く訳無いじゃん!!」

「数値的な事を考えると確かにそうだな! だが、どうやって逃げる? 見ての通り、入り口にはあの怪異が突っ立っているぞ」


 怪異はこちらの様子を伺うようにゆらゆらと揺れながらその場に突っ立っている。今の所は襲い掛かって来る気配も無い。しかし、かといってその横を通って部屋から出してくれるとは到底思えなかった。

 少し思ったが、とトキがチラチラと怪異を見ながら呟く。


「これが『キョウカさん』ではないのか? ここは仮にも『供花の館』。出る怪異としては申し分無いはずだ。霊符も絶叫も効かないのであれば、その辺を徘徊している雑魚霊の類でもないだろう」

「その予想は大当たりのような気もするが、そうだったら俺達はいきなりラスボスと相対している事になるな!」

「ひのきの棒で魔王に挑むような暴挙だよね、それ! 何にも情報揃って無いどころか、落とし物も相楽さんが持ってるのに!」

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