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汐月 キツネ

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「彼女の事? いいよ、教えてあげよう、僕は親切なんだ」


聞いてもいないトレンチコートとネクタイを自慢してきた後、自称『人の悪魔』はそんな事を言いながら笑顔で俺の質問に答えてくれた。


「彼女はとても優しくて、不器用な人なんだ、口では語れないくらい、とても不幸な目に遭っているのに誰かをつい助けてしまうような、ね……、おっと、正義感が強いとか言わない方がいいからね、僕が勘違いさせたと怒られてしまう、短気な所もあるから、怒ると話を聞いてくれないんだよ」


 そうなのか、と、俺は一先ず頷いておく。

 怒らせないという方がいい事だけは、なんとなくわかったからだ。


「ところで、君の名前を聞いていなかったんだが、なんて名前だい?」


 俺の名前、それなら覚えてる、それ以外は何も覚えていないけど、それなら覚えているから答える事が出来た。


「俺はエクスって名前のはずです、そう呼ばれていたような、そんな覚えがある」

「ありがとう、覚えたよ……。それではエクス君、これからどうするんだい?」


 これから、そう聞かれたが何も答える事が出来なかった。

 何もわからない、知らない事は答える事が出来ないのだから。


「人の悪魔さん、俺は何も知らない、どうするのかと聞かれても、どうしていいのかわからない」

「そうだった、じゃあ彼女に着いていくといい、きっと、良い事になるよ」

「怒らせない方がいい、彼女にですか?」

「そそ、怒らせない方がいい彼女」


 話題の彼女は少し背の高くて、黒髪の短い髪はとてもよく似合っていて、とても優しいとは思えない程冷酷に笑っていたが、すごく格好が良かった。


 特に、異形の化け物相手に笑っている時はとても格好が良かった。


 どこからともなく現れた大きな筒がデカい音を響かせ、化け物の身体を消し飛ばした時は、目を反すことが出来ずにいた。

 身体の三倍くらいの大きさがありそうな化け物達は爆音にも怯まず、彼女に突進していくが、次々と対処されていた

 目では追えず、彼女が消えては現れているような、そんな錯覚さえ覚えながら化け物達を翻弄し、次々と消し飛ばしていく光景を見ている今なら、怒らせたら怖いというのも素直に納得してしまった。

 辺りが静かになる頃、彼女は何事もなかったように近くに現れた、手に持っていた大きな筒は消えており、辺りを見渡しても見つける事は出来なかった。


「人の悪魔、その子は?」

「エクス君だってさ、君と良い関係になりたいそうだ」

「なにそれ、どゆこと?」

「俺もわからない」


 そう答えた瞬間、彼女は呆れたような目線を人の悪魔に向けていた。


「ったくアンウェル、またテキトーな事言ってるでしょ」

「そんな事ないよ、多分」

「珍しくアンタが金を出すっていうから第三に来たのに……、もしかして報酬ってその子じゃないでしょうね?」

「保護してくれそうなのがオウカちゃんしかいなそうだったからつい、ごめん嘘つきました」


 人の悪魔は嘘をついていたらしく、彼女を怒らせてしまいそうだった。


「えっと、オウカさんでいいのかな、よくわからないが怒らせてしまったならすまない、二人の関係はわからないし、今どういう状況なのかもわからない、でも、悪魔さんが言ってたんだ、貴方に着いて行けばよいと、だから、着いて行ってもいいだろうか?」


 駄目だと、言われる気がした。

 もしそうなら、俺はこの先どうなるのだろう?


「……記憶喪失なのこの子?」

「違うよ、最初からこうなのさ」

「なんで」

「第五の生まれで、第三にいるから」

「そう……、エクスだっけ? ホントに何もわからないの?」

「ああ、何もわからない」


 少し考えた素振りを見せた後、彼女は俺に上着をかけてくれた。

 ついでに頭を撫でられたが、意味は解らない。


「アンウェル、帰り道くらいは何とかしてくれるんでしょうね、裸の子供を連れてたら聖人でも捕まるわよ」

「お安い御用で、第四にある君のセーフハウスまで一瞬さ、レムリアの移動に関しちゃ抜け目がないのは知ってるでしょ」

「なら早くして、異形の運搬をしていたなら厄介なのが来る」


 そう彼女が答えた瞬間、古い、壊れた屋敷の前にいた。

 ホントに一瞬の出来事で、瞬きする暇もないほどだった。

 彼女は何事もなかったように扉を開け、人の悪魔は姿を消していたのだった。


 この日から、俺の記憶が始まった。

 様々な次元が重なり、混沌が日常と化したこの世界での一日目だった。

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