幽霊の気持ち
それは私がまだ、学生の身分であった頃の話。
私は怪奇現象というものに悩まされていた。
事の始まりは、友人たちに連れだされた肝試しに起因する。なまじっか「霊感がある方だ」と嘯いてしまったが故に、私は深夜の山奥外れの廃屋に同行させられてしまった。
そこでは所謂ポルターガイストと呼ばれる現象が多発した。私達はほうぼうの体で逃げ出したのであるが、それ以降、私の身の周りで奇怪な出来事が頻発するようになってしまったのだ。
私はついに耐えられなくなり、近所にある寺院へと駆け込んだ。
「助けてください」
「おや、尋常ではないね、娘さん。事情を聞こうかね」
境内にて箒を片手に落ち葉をかき集めていた老年の僧侶をつかまえて、声をかけた。彼は勢い込む私に驚きはしたものの丁寧に対応してくれた。
そのまま立ち話ながらに、私はすべての事情をその僧侶に話した。彼は真剣な顔をして考え込むと、一つの答えを私にもたらしてくれた。
「それは幽霊などではないから安心しなさい」
「どうしてです?」
私はその返答に抵抗した。
私の住む部屋では、およそ普通ならば考えられない出来事が起きているのだ。不可解な物音などは可愛いもので、果てには血のような赤い文字が鏡台に記されたことすらある。
「幽霊の気持ちになってごらんなさい」
「幽霊の気持ち、ですか?」
「あなたが幽霊だとして山奥の廃墟にいたいと思いますか?」
「思いませんね」
「ではそれは幽霊ではありませんね」
「そんなことでは納得できません」
「しかし、私は幽霊というものを信じていないですから、そう申し上げるしかできません。すべては気のせいです。夢幻の類でしかないのですから、気にするだけ無駄というもの」
「あなたが言いますか」
私は飄々とした物言いをする目の前の僧侶に苦笑するしかなかった。
「幽霊はあなたに何をしたいのですか?」
「わかりません」
「ではそれを決めてしまいなさい。幽霊というのはあなたの幻なのですから、あなたが思う通りに動いてくれますよ。優しくしてほしいと思えば、慰めてくれる。朝起こして欲しいとでも思えば目覚まし代わりに金縛りを仕掛けてくれるかもしれない」
「そういうものなのですか?」
「そういうものなのです。あなたが恐れずに立ち向かって尚、嫌がらせが続くようならば、それは幽霊ではありません。私は幽霊こそ信じてはいませんが、人間の性質の悪さというものを理解しております。そしてそれに立ち向かうことができる逞しさを信じております」
「なんだか禅問答のようです」
「ええ、坊主ですからね」
おどけるように言う彼に、私はなんだか可笑しくなって「ふふ」と笑みをこぼしてしまった。そのときに己の気持ちが軽くなっていることに気づいた。
「話していると楽になってきました」
「それは良かった。もし上手く解決できないようでしたら、またおいでなさい。今度はお茶ぐらいお出ししますよ。甘いものはお好きですかな?」
「それは、楽しみにしております」
そうして僧侶との会話は終了した。
部屋に戻った私は、僧侶と話したおかげで幾分か冷静になれたようだ。まずは改めて、自分の周囲で何が起きているのかを、一から調べ始めることにした。怪奇音がしたのならば、その音源を確かめに行き、血文字が記されたのならば、その筆跡と塗料を調べた。
そんな地道な調べが功を奏し、犯人が特定できた。
一部の友人達であった。
私のことが気に入らなかったらしく、肝試しの時点から画策された嫌がらせであった。心底呆れ果てた。問題が心霊から人間に移っただけで、その後も色々と苦労した。
だが、ひとまず怪奇現象は解決したといえる。ということで、問題の処理が一段落ついた折に、僧侶にお礼をしようと寺院へと足を向けた。
「あのすいません、一週間ほど前に、ここでお世話になった僧侶様にお会いしたいのですが」
「はい、うちのどの者ですか?」
境内で清掃を行っていた若い僧侶に声をかけて、老年の僧侶の名前を述べる。すると彼は怪訝そうな顔をした後に、恐る恐るといった様子で私に告げた。
「大変申し訳ないのですが、和尚ならば昨年の暮れに、すでに亡くなっております」
「ああ、やっぱりそうだったのですね」
特段に驚きもせずにそう答えた。
私は自らの事情をすべてその若い僧侶に説明すると、彼は寺院の奥へと入っていく。やがて寺の住職という初老の男性とともにやってきた。
「話は聞きました。どうか線香の一つでもあげてやってください」
「信じてくれますか?」
「先代は世話好きな男でしたから、不思議はありません」
私は仏壇にて線香をあげると、寺のご厚意によってお茶菓子が出されたのでそれに手をかける。もしゃもしゃとやりながら私はぼんやりと考えた。
幽霊の気持ちを考えてみる。
なるほど、あの老年の僧侶の気持ちを考えるならば、私が助けてほしいと思ったから助けてくれたのだろう。それは有難いことである。そして彼の言うことを信じるならば、僧侶は幽霊などではなく私の幻の産物ということだ。これにはいささか疑問が残る。それでは私が空想と現実の区別もつかない夢見がちな娘みたいではないか。それだけは断固として認めたくはない。
「けどまいっか、すべては気のせいだ」
肝心なのは、あの老年の僧侶が助けてくれたということ、そこだけでいいのだ。
私は熱いお茶が入った湯飲みに手をかけると音をたてながら、飲む。とても美味しい。
遠くの方より、寺院の鐘が鳴らされている音が聞こえてきた。
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