プロローグ(3)

 ――大陸暦一六四八年、第一月。


「ヴァリーザス街道の件はそれで進めてくれ」

「承知いたしました」

 署名した書類を手渡すとドーアンは、ふと手を止めた。きちんと食べているのか心配になるほど痩身の彼は、どこか迷うように口を開きかけてやめる。カールは長い前髪の隙間からそれを見上げた。

「どうした? 他に何かあるか?」

「……いいえ」

 ドーアンはとがった顎を引いて、ため息を飲み込んだ様子だった。

 傷さえなければいいのにと言いたいのか。それとも、うっとおしい前髪をどうにかしろ、と?

 思いついた言葉は口にすることなく、カールはドーアンに退出を促す。

「何もないなら下がっていい」

「は」

「おや、失礼。お話し中でしたか」

 ドーアンが退出しようとしたとき、部屋にサクシマが入って来た。

「いえ、私はもう下がるところです。そういえば、サクシマ様、お父上はどうされていますか?」

 会釈してすれ違おうとしたサクシマをドーアンが呼び止める。サクシマは一瞬だけ顔をひきつらせ、しかしすぐに笑顔を浮かべる。

「南の領地で元気にしていますよ」

「そうですか。それは良かった。よろしくお伝えください」

 ドーアンは一礼して、隙間からすり抜けるように出て行った。ドアが閉まるまでそのまま見送っていたサクシマがどんな表情をしていたのか、カールからは見えない。こちらを振り返ったときには、いつもの顔だった。流行りのデザインの上着をさらりと着こなし、優美な身のこなしで執務机に歩み寄る。

 彼の父親のことはカールも気になっていた。重ねて尋ねようとしたが、サクシマが先んじた。

「魔女エヌですが、居場所はわかりませんでした」

 それは、カールがサクシマに命じていた調査だった。カールは頭を切り替える。

「住んでいる場所も連絡手段も、限られた者しか知らないようですね」

 カールは唇を噛む。父は知っていたが、自分は知らないのだ。自分なりに努力していけば良いと思っていたが、どうしても越えられない壁を見せつけられたようだった。

「知っている者に繋ぎを取ることは?」

「ええ。……『時の魔女』はご存じですか?」

「百年以上生きているという魔女か?」

「そうです。その魔女殿に依頼してみたらどうでしょう?」

 カールは少し考えて、依頼することにした。魔法に期待したというよりは、ただ『魔女』という存在に会ってみたくなったのだ。

 この些細な気まぐれが大きな出会いを引き寄せるとは、全く想像もしていなかった。

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