あまいものはじめました

斉藤ハゼ

三月に架ける橋

 最初に出会ったのは地元の同人誌即売会。私はサークルとして参加していた。ジャンルはFF9。薄いコピー本を並べてぼんやりしていると、「ミニゲームの縄跳び、千回飛べたんすよ僕」と、上から言葉が降ってきた。なんだ、と思って上を見上げたらそれがチカくんだった。言ってる意味はわかったけど、あまりに唐突な発言過ぎて「はぁ」としか言えなかった。

 まだなんか言うのかと思って身構えていたら、向こうも黙っている。困ったようにチカくんは種類だけ多い私の本を端から手に取り、何度も読み直した。あげく「全部ください」ときた。変な人だ。けど、いい人だ。「ありがとうございます」と応えたら下を向いて、「ありがとうございます」って小さな声で言う。なんだそりゃ。

 地方の即売会はせいぜい三百サークル、どんなに丁寧に見て回っても一時間もあれば見終わる。お客さんは回遊魚のようにぐるぐるぐると長机で組まれた島の周囲を巡り続ける。それをスペースの中からぼーっと見ているとだんだん人の顔を覚えてきてしまう。あーさっきもあの人通った、この人は三回目。自分の本を持った変人なんてイヤでも目に付くから、チカくんが午後になってもずっとうろうろしているのは丸わかりだ。

 とにかく変人だ。でも、綺麗な顔をしている。ジャニーズみたいなカッコ良さはない。チェックのシャツにバンダナ着用のザ・オタクみたいな格好。彼を見てもイケメンだと言う女子は少ないだろう。肌が白い。長い黒髪をゴムでしばってるのが嫌味にならない。眼鏡の奥からちょっと恥ずかしそうに笑ったところも、悪かない。そんなことを頬杖ついて考えていたら、私の目の前ににゅっとポッキーの箱が差し出された。「ほえ」と上を見上げると、チカくん、変に裏返った声で「さ、差し入れですどーぞ!」とかのたまっていた。私はすっごくびっくりしたけれど、あまりに驚いた時って、平坦な顔になっちゃうもんだ。気が抜けた声で「あーどーも」かなんか、答えたんだと思う。もう細かいことは忘れた。とにかく変な人だと思った。


 二回目に会ったのは、文化祭の時。SF研のみんなが男子高に行くぜ! と雄たけび上げたので、くっついていった。県内の高校でSF研があるのはうちの学校だけだ。女子高だからかえって残ってるんだろう。天然記念物らしい。で、市内の男子高にチヤホヤされにいった。私らみたいなオタクでも女の子扱いしてくれるんだぜ男子高。いいところだよなあ。

 校舎の四階の隅っこにマイコン同好会っていういかにもな部があるっていうんで、迷わず覗きにいった。コンピュータグラフィックスの展示と言い張って美少女キャラクターのイラストが展示してあるのには吹き出しそうになった。学校のでこぼこの壁に安っぽい印刷の萌えCG。わはー。

 CGできるのはうらやましいな、大学入ったらまずパソコン買うべきだなとか思って見てたら、後ろで「あっ!」とかなんとか声が上がって、振り返ったら巨大美人メイドが立っていた。

 安っぽいてかてかした布地のミニスカメイド服に白ストッキング、もちろん頭にはふりふりヘッドレストだ。ファンデーションや口紅もほどこされなかなかの本格女装だ。さすが男子高。

 そのメイドが私をじっと見つめている。どっかで見たことあるような、とよくよく見てみればチカくんだった。もじもじ恥らっている様は性別を超えた可愛さだった。百八十センチあるけど。

 驚くとたいしたリアクションはできないもので「どうも」とかろうじて頭を下げた。チカくんは「あ、あの……杜女の人?」とかとんまなことを抜かす。この地味な女工服みたいな紺ワンピースを見てわからんか。会長のマサヨさんが「なんの知り合い?」と問うから、説明に悩んだ。結果から言えば、この時変な人から、知り合いレベルに格上げになったんだよね。

 一週間後、チカくんはうちの文化祭に来て、SF研の会誌を買ってってくれた。マサヨさんの書いた「作家・円城塔の研究」とかそーいうくそ難しい内容と、みんなで適当に書いたお勧めSFランキング(トップは星界の紋章。本を読む子もあまり読まない子も両方お勧めだ)、そして私が適当に描いた漫画が載ってる。みんながメグミの絵はすっごくいいよ! って言ってくれるけどSF研でまともに絵を描くのは私一人。嬉しくない。


 文化祭の時、ケータイのメアドを交換したらすぐに連絡が来た。政宗像前で待ち合わせして、とりあえず駅前のマックに座った。

「い、石川です」

「鈴木です。よろしく」

 さすがに苗字はもう知ってたけど、改めて名乗り合った。

「ね、学祭の時、みんなにキンキンって言われてたけど、なんで?」

 かねてからの疑問を、いきなり聞いてみた。

「僕の下の名前、愛を信じるって書いて……チカノブって……名前で……」

 後半はほとんど聞き取れない、マックの変な時報の音量に負けてる。

「一年のときそう自己紹介したら、じゃあお前のあだなはキンキンだな、はい消えた! ってOBの人が決めた、んです。僕も意味はよくわからなくて」

 うん、私もわからない。

「私、愛は美しいって書いて、メグミ。似てるよね」

「習字の時、大変、だった……ですよね?」

「愛って筆で書くの超面倒くさいよね! わかる!」

 それから私たちは、初対面の人に名前を読み間違えられる悲しさむなしさについて意気投合し、好きなアニメとかゲームとかそういうものの話を延々した。三時間も話すとやっとチカくんの変な敬語もため口に変わり、好きなものがよく似ていて、笑いのポイントがそっくりで、しかしいい加減話すネタ尽きたなあ、という頃にやっと切り出された。

 その、今日初めて話したのにこんなこと言うのも変だとは思うんだけど、春の即売会の時以来ずっと気になってて……その、えーと、つきあってください。

 いいよ。

 えっ!?

 実を言えば、最初から私もチカくんのことが好きだったんだと思う。綺麗なのに変な人、って、それは恋だったのだ。

 それからしょっちゅう会うようにはなった。けど、私たちは進学校のマジメな受験生という生き物で、会って話す以外のことは何もしなかった。なんかする暇なんてなかった。それでも、一緒に受験を頑張る人がいるのは嬉しかった。同じ予備校に通って、帰り道公園で缶コーヒーを飲んだり、手を繋ぐのが何よりの楽しみだった。

 私は東京の私立大学を志望し、なんとか滑り込んだ。チカくんは東京の国立大を手当たり次第に受けたが、後期試験も何もかも綺麗さっぱり落ちた。途中で志望を変えたのが原因だった。こっちの大学を受験してれば大丈夫だったのに。二人で一緒に東京に行けたらいいなあ、と言った私のせいだった。

 チカくんは浪人。もう一回あのしんどい受験を戦わなきゃいけない。何より私たちは遠距離恋愛になってしまう。


 ゲーセン行って、マックでしゃべって、とらのあなとアニメイトに寄った帰り。門限の時間まであと少しの間が惜しくて、いつもの公園で並んで座った。

 もうすぐ私は引っ越す。あと三日したら東京へ行く。春休み中、毎日会っているけれど、会えば会うほどにチカくんの顔がさみしそうになる。いつの間にか習慣になったように、その細くて長い指に私の指を絡める。

「毎日電話もメールもするよ、漫画も送るし!」

「うん」

「秋葉原に遊びに来い! 一緒にメイドカフェ行こう!」

「うん」

「武器屋あるんだよ! ひのきのぼうとか売ってんの。バカみたいだよね!」

「うん」

 ぎゅうっと私の手を握る力に手がこもる。不安だよう、そう言っている湿った手のひら。大丈夫だよう、そう握り返す。本当は私だって不安で、怖くて、離れたくない。でもチカくんが不安なら、大丈夫だって励ましてあげたい。

「ゴールデンウイークには帰ってくるから! 連休なんてすぐだよすぐ!」

「うん……」

 左に座るチカくんの右手、右に座る私の左手。混ざり合うような体温。左側からチカくんの手が伸びてきて、私の肩をつかんだ。

「ぎゅっとしてもいい?」

「いいよ」

 背の高いチカくんの胸元に取り込まれるように抱きつく。私の肩がチカくんにくるまれている。チカくんの心臓がどんどんどんどん高鳴っている。きっと私の心臓だって壊れそうに速い。

 付き合ってから半年も経つのに、こんなに近づいたのは初めてだ。いつも指と指をからめるだけで満足してしまった。いや、満足なんかしてない、でも怖かった。びっくりするくらい好きだから、一緒にいるだけでものすごく嬉しくていとおしかったから、もっとそれ以上のことをしたらどうにかなりそうで、怖かった。

 温かな吐息がすぐそこにある。次はキスをするのかな。キスまでしたら、次はどうなるんだろう。エロ漫画は男性向けもやおいもしこたま読んだけど想像つかない。私の裸を見るのか、チカくんが。紙の上の知識だともう抱き合った段階で男子は勃つらしいじゃあないか。彼も男子のはずだ。どうしようどうしよう。

「離したくない」

 耳元で泣き声がささやく。チカくんの唇が耳の上をさぁっとなでた。それはいかん! 心臓がどかどか痛い! すごくすごくすごく顔が熱い。涙がぽたぽたこぼれていく。

 チカくんの胸のシャツをぎゅうぎゅうと握り返す。あああ私だって離れたくない! うぅぅ痛い、鼻の奥も胸も頭も何もかもが痛いよう。私はバカだ、安直に東京行きたいなーなんて大学決めるんじゃなかったバカバカバカ太郎!!

「こーゆー時」

「ハイ」

「僕らはどうして冒険者じゃないんだ、って思うんだ」

 こんな時に、何を唐突な。

「冒険者なら、剣と魔法だけでどこへだって行けるのに」

「冒険者ってさ、臭そうじゃない。そんなのイヤだよ私。ダンジョンにお風呂はないよ」

 男子はいつもロマンチック。女子はいつだってリアルで打ち砕く。へへ。

「なんてのかなあ……。好きっていう、感情以外の何かがうらやましい」

「一緒に冒険したりするよーな関係?」

「命預けられるっていうか、俺の背中はお前がいるからな、みたいな」

 そりゃあナイスシチュエーションだな。絆萌え。

「ホロとロレンスみたいに利害関係があって、信頼関係もあって、それで好意みたいなのもあってさ……そういういろいろなのがあったら、きっと離れても……怖くないんじゃないかなあって……」

「ロレンスきゅんは冒険者じゃないよ」

 あれはどじっ子行商人だ、そう突っ込みつつ、私の心の中にすとんと何かが落ちた。そうか。

 私はチカくんが好きだ。チカくんだって私のことを好きだ。確信がある。今のところ。でも、それは遠い星と星の間に架け渡された、たった一本の橋でしかない。チカくんはもっと強固な、新しい、無数の橋を架けたいんだ。戦友とか、チームメイトとか、そういうの。

「野球でもやる?」

「僕、ボール投げられないんだよ」

 なんとチカくん運動音痴か。また新手のときめきを与えてくれるなあ。

「じゃあさぁ」

 溶けるくらい温かくて気持ちいい体をそっと引き離す。ああ。細身のチカくんの肩をつかんでやりたかったが、手が届きそうにないから、二の腕をつかむ。じっと目を見る。少し涙に濡れた顔。その雫を見るとぎゅっと胸に痛みが大集合して、涙が移りそうになるのを飲み込んで。

「ロケット見に行こう」

「ロケット? 種子島で打ち上げるあれ?」

「実物でなくて、角田にすげーでかいロケットの模型あるって。前にマサヨさんが言ってた」

「そう、なんだ……なんでロケット?」

「同じデカイからって、中山大観音とか見たい?」

 中山大観音は街の北にある、あほみたいにでかい観音様だ。山の上のジャスコの隣ににゅっと突っ立っている。

「大観音見ても面白くはないけど……」

「じゃーロケットだ。ロマンだ国産H2だ」

「それ、全部受け売りでしょ」

 ハイそうです。ハードSF才女マサヨさんの受け売りです。ちぇっ、気持ちがばちっとつながってるせいかすぐバレちゃうや。

「じゃあ鍾乳洞はどうだ。ダンジョンは定番っしょ」

「どこにあるんだっけ?」

「岩手? 福島?」

「んー」

「海ならどうだ! 松島! あの真っ赤な別れる橋を渡ってバカにしてやろう!」

 松島にはナントカ島にナントカ橋という赤い長い橋がかかってて、そこを渡ったカップルは別れるというべたな伝説がある。七夕行ったら受験に落ちる、と同じくらいナンセンスな迷信だ。私は絶対別れない。自信あるもん。あるもん。

「いつ、なんどき、どんな迷信の挑戦も受けてたつ! ベニーランドだろうがディズニーランドだろうが、かかってこい!」

 海でも山でも宇宙でも、本当はどこでも良かった。勢いに任せてしゃべってるうちに、だんだんわけわかんなくなってきた。何が目的なんだっけ。そうだ、時間の許す限り一緒にいたい、一緒にいたい、離れたくない。たったそれだけ。

 遠くに見える公園の時計はもうすぐ門限の刻限を指している。九時十五分、なんて半端なシンデレラタイム。チカくんとの一日がもう終わっちゃう。さびしくてべそべそ泣きたい。チカくんがすっと近づいてきて、私の頭をぽんぽんと叩いた。やめろショッカー、私の涙腺を決壊させる気だな。こらえてこらえて、頭の上の手をそっとなでる。

「明日だけどさ……鈴木さん」

 チカくんはまだ私を鈴木さんと呼ぶ。

「中山大観音、見に行かない?」

「ほぇ」

 チカくんが行きたいならどこでもいいけど。なんで大観音?

「見えるんだ、僕の部屋から」

「それって」

 チカくんのお部屋訪問ってことですか。

「ジャスコでお菓子買っていいですか!」

「三百円までね」

「新海誠のDVD見てもいいですか!」

「どれか一本なら」

「コードギアス全二十五話見てもいいですか!」

「それはダメ」

 なぜだ! と抗議しようとしたら「明日、みんな出かけてるんだ」と、チカくんが小さく言った。

 おうちの方は誰もいらっしゃらないですか。それって。すごく恥ずかしそうに、チカくんが笑った。整った顔が照れて横を向く。

「アニメもいいけど、ね」

 おうちに二人っきりの時しかできないこと。アニメ見るより、漫画読むよりもっとしてみたかったこと。離れる前に確かめておかなきゃいけないこと。うわぁぁぁ。顔から火が出そうだ。

「つつしんで、お邪魔します」

「掃除するから、十二時に待ち合わせで」

「エッチな同人誌とか片付けなくてもかまいませんよ?」

 言ってから急に恥ずかしくなってきた。これじゃあ私がエッチ目的でお邪魔する気満々みたいじゃないか。や、期待してるけど。でも、彼氏の部屋でエロ本読むってどんなプレイだ。

「その、えーと、自分の漫画の参考に」

「じゃーそういう設定で」

「設定言うなっ」

 二人して真っ赤な顔のまま、あははと声を立てて笑う。ああもう取り繕う必要なんかないや。明日のことは明日考えよう。

 秒針のない時計は動いている気配がないのに、いつの間にやら九時三十分を過ぎていた。門限破り確定。

 ぎゅっと手を握って惜しむように指を離して、じゃあね、と腕をぶんぶん降って別れた。だらだら坂をチャリで全力ダウンヒル。ポケットでケータイが鳴ってるけどお母さんと話したい気分じゃないからいいや、突っ走って明日へ早く進みたい。

 明日、私は中山大観音を見に行く。ただバカでっかいってだけで、ありふれてるなんの変哲もない観音様。でも、私たちにとっては何にも勝るビッグイベント。

 ジャスコで一緒にお菓子選んで、アニメのDVDをちょっと見て、チカくんの漫画本漁って、それからそれから。

 三月の終わる明日、星の間に新しい橋を架けよう。

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