living message
ああ、痛い……
あいつめ、確かに私が憎かったのかもしれないが、ここまでしなくても……
床に無様に這いつくばったまま、私は先程の怒りに満ちたあいつの顔を思い出す。
はあ、はあ、とひたすらに酸素を自分の中に取り込もうとしながら、どうにか自身の右腕を目の前に持ってくる。
見えるだけでも、3箇所もの深々とした傷がある。嫌な赤色の液体を、私の意思に反してどろどろと流し続けている。
右腕だけじゃない。私の全身が今きっと、同じようになっている。
30分ほど前のこと。
このところ私と揉めていたあいつが突然家に訪ねてきた。
妙に思いつつも部屋に通し、飲み物を出そうとあいつに背を向けた。
途端、背中に深々と突き刺さった激痛。
倒れこんだ私に、あいつは何度も何度も手にした堅いものを…… ナイフを突き刺してきた。力一杯、全身の至るところに、執拗なまでに。
刺して刺して刺しまくって、やがて、目を閉じてぐったりと動かなくなった私を死んだものと思ったのか、あいつは出ていった。
ああ、息がうまくできない。全身がちぎれるように痛い。目も霞んで見えなくなってきた。
おのれ…… 揉めていた件に関しては私にも非があった。あれは確かに何度でも謝らないといけない。
だがな、これはダメだ。殺すのはダメだ。
お前は、償わなければならない。
見るのも嫌になるほど広がっている、今も私から産み出され続けている、大きな血だまり。
そこに人差し指を浸す。しっかりと血を付ける。
私はもうすぐ命を落とす。だがな、殺人という一番やってはならないことをしたお前を逃がしはしない。
最後の力を振り絞って、お前の名前を書き残してやる。
っと、こんな血だまりの中には書けないな。
無理矢理に身体を引きずるようにして血だまりから這い出した。傷口が開いて余計に出血した気がする。傷が床に擦れ、傷の内部のものが削られたように感じられ、激痛がいっそう激しくなる。
けれど、あいつの名を書き記さなければ。
比較的、床が汚れていないところまでやっとの思いで這ってきた。
さあ、名前を書こう…… この床、思ったより血を弾くなあ。うまく書けない。
仕方がない。
ああ、痛い、痛い、死にそうだ。もうあと少しで死ぬんだろう。でも頑張らねば。
どうにかこうにか這い進み、食卓にたどり着く。
椅子の背にすがるようにして立ち上がり、腰かける。
ああそうだ、紙と書くもの……
一旦座った椅子から再び立ち上がる。
立つと改めて脚や腰が痛い。死が迫って来ているのを感じる。
少し離れたところにある別の机。そこに置いてあったメモ帳とボールペンを手にする。
持っただけで手が痛い。もう死ぬんだ。
それでも先程のテーブルまで戻って椅子に座り、メモ帳に名前を書こうとした。
ダメだ。血が垂れて文字が見えなくなるかもしれない。
そう気付いて、もう息も絶え絶えだったがまた立ち上がり、廊下を駆ける。
死ぬ! もう死ぬよ私!
廊下の突き当たりの倉庫を開き、必死で中を漁る。
やっとこさ包帯を見つけ出し、とりあえず傷口にひたすら巻いた。
これでとりあえずは止血できたかな。
そうだ、せっかく最期なんだし、自分らしい書き方にしよう。
いててて、こりゃ死ぬな。
そう思いつつも倉庫から趣味の書道の道具を取り出した。
数分後。
「あー、こりゃ死は近いぞー。まあまあな人生だったなー」
「あの、えーっと……?」
患者様が独り言を言っていたら、いつの間にか
「わっ、何ですか、驚かさないでくださいよ」
「し、失礼しました。あなたのお家から物音がしたと通報があったので駆けつけたのですが、あの、何されてるんですか?」
「見れば分かるでしょう? 固形墨を磨って溶かして墨汁を作ってるんです! 犯人の名前を書くために!
こう、ゆっくりと丁寧に、こだわりを持って磨ってるんです!
ああ、もう死ぬ! 死ぬ前に書かなければ!」
元気良くそう叫ぶ患者様に、目井さんはとりあえず「……えっと、とりあえず治療しますね」と言ったのであった。
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