tired echo

「いやー、久しぶりじゃないですか!」


「え、一昨日公園で会いましたが。『寒い日に聞いたらあったかくなれそう』って木に登って蝉の声録音してたじゃないですか」


「久しぶりですねー! 20年ぶりくらいでしょうか?」


「今年で15歳です」


「久しぶりですねー! ほんっと久しい! あっはっはっは!」

 道端で何故かやたらとテンションの高い目井めいさんに両肩をバンバン叩かれて困惑しつつも、話が一段落ついたところで、その中学生は尋ねた。


「昨日病院閉まってたみたいですが、どこかに行かれてたんですか?」


「ええ、ちょっと山びこのお仕事をしている方のところに」


「え、何ですか山びこのお仕事って……」


「ああしまった! これ企業秘密なんでした! 忘れてください」

 目井さんの手には、二本のシナモンスティックが握られていた。




 大した学歴がない。

 書類選考は通ることもあるが、面接でいつも落ちる。

 そもそも人付き合いが好きではない。

 けれど自然は大好き。趣味は山登り。特技は他人の声を真似ること。

 そんな呼子よぶこにとって、その仕事はまさに天職だった。


 就職に悩んでいた時期に気晴らしとしてとある地方の山に行った際、色々あって(本当に色々あって)そこで山びこの仕事をすることになった。


 そもそも山びこというのは、人の叫んだ「ヤッホー」という声が向かいの山に当たって跳ね返ることで起こる現象である。だが、その山では山同士の距離などの条件が合わず、山びこが発生しなかった。

 しかし、自分の声が山から返ってくるという不思議な現象も登山の醍醐味の一つであるのは間違いないはず。登山客達には楽しんでもらいたい。

 そういうわけで、その山の所有者達は人工的に山びこをやってくれる者を探していた。

 山中に建てた小屋に住んでもらい、誰かが山のどこかで「ヤッホー」と叫ぶたびに専用のイヤホンにその声が届く。それを聞いたら、できるだけその声に似せた声を作り、専用のメガホンで「ヤッホー」と叫び返す。もちろん極秘で。そんな役割を担ってくれる者を。


 呼子は喜んで引き受けた。人間と深く関わらなくていいし、無駄な特技だと思っていた声真似も役立てることができる。何よりも、大好きな自然に囲まれて暮らすことができる。

 給料も悪くないし、必要な物資は頼めば下の街から車で運んできてくれる。油断してくつろいでいるといきなり「ヤッホー」が聞こえてきて驚いたこともあったが、山びこはもともと数秒のタイムラグがあるもの。焦らずに返せば問題なかった。

 山を散策していると時折、登山客が道に迷って遭難しかけたり、怪我をしたり、毒のある植物やキノコを採取しようとしている場面に出くわすこともあった。そんな時は木陰や岩陰に隠れながら、メガホンでアドバイスをした。

 そんな日々を数年続けていたら、山は山びこだけでなく「助けてくれる神様が住んでいる」という評判も広まり、より多くの人々が訪れるようになった。




「いかがですか、お仕事は?」

 その日、喉のメンテナンスのために出張してきてくれた目井さんは、呼子にそう尋ねた。

 存在そのものを隠さなければならない職業だが、この人ならきっと秘密を漏らさないでくれるからと山の所有者に紹介してもらった医者に、呼子は胸を張って答えた。

「順調ですよ! お客さん達も山の持ち主さん達も喜んでくれてますし。人間が苦手なくせに人間嫌いではないのでね。環境もいいし、色んな声出すのも楽しいですし!」


「何よりです! 喉の健康にもだいぶ気を使ってらっしゃるようですね」


「そりゃそうですよ! 大好きな仕事ですから!」

 呼子は誇った。




 だからおよそ一年後、まさかこんなことになるとは思っていなかった。

 ベッドにうずくまり、呼子はふさぎ込んでいた。

 

 いつ頃からだったのか定かではないが、ふと「ヤッホー」に返すのが面倒だな、と思うようになった。

 それでも、返さなければならないから返していた。特に問題はなかった。


 けれどさらにいつ頃からだったのか、さらに面倒になってきた。

 そんなワガママを言っていてはいけない。これは仕事なんだ。そう自分に言い聞かせ、メガホンを取った。少しだけエネルギーが必要だった。


 いつ頃からだったのか、いっそう億劫になってきた。 

 ダメだダメだ。待っててくれてる人達がいるんだ。怠けちゃいけない。頑張らなきゃ頑張らなきゃ。声を張った。以前のようにできた自信がなかった。


 いつ頃からだったのか、どんどんどんどん山びこに対する意欲が弱くなっていくのが感じ取れた。

 どうして!? どうして!? あんなに好きな仕事だったじゃないか、今もやりたい意欲がないわけじゃない。いろいろな声を出してみたいし、それでお客さんに喜んでもらいたい気持ちもある。喉や、他の身体の調子が特段悪いわけでもないはず。

 なのに、心がおかしい。「やりたい」と思えない。熱が、湧いてこない。

 「ヤッホー」が聞こえたら、メガホンを取って「ヤッホー」と返せばいいだけ。今まで難なくやってきたこと。

 なのに、今はそれができない。声は聞こえるのに、返さなきゃいけないのに、どうしてか、どうしてもできない。

 暴言を吐かれているわけではない。この山で酷いことを叫ばれたことなんてない。

 なのに、何故かできない。叫ぼうとすれば、異様に気が重くなり、わけもなく涙が出てくる。

 お客さん達にも山の所有者さん達にも申し訳無さすぎる。これじゃまるでみんなが悪いみたいじゃないか。悪いのは自分なのに。

 そういえば最近は山中に行くこともできていない。困っている誰かを見過ごしてしまっているかもしれない。大変だ、助けに行かなきゃ。そう思うのに、家のドアを開くことができない。軽い木の素材でできているのに、とんでもなく重い鉛の塊に感じる。


 大好きだったじゃないか。なんでなんでなんで。


 山びこをするにも外出するにも気力がなくなって、ベッドから起き上がれなくなって。気が付けば一日のほとんどを寝て過ごすようになっていた。日に日に、気分が深い穴にゆっくりとゆっくりと落ちていくようだった。


 ダメだダメだ。こんなんじゃダメだ。

 眠気に負けそうになる身体を奮い立たせ、ある日やっとの思いで手繰り寄せたスマホから目井さんにメールをした。




「よくご連絡してくださいましたね」

 飛んできた目井さんのその声に、呼子は少し泣きそうになった。


「『ストレス』というと辛いことや頭にきたことだと思うかもしれませんが、実は嬉しいことや楽しいこともストレスになる場合があるんです。そもそもストレスというのは外部から刺激を受けた際に生じる緊張状態のことなのでね。

 きっと好きだからこそ張り切りすぎて、ご自身でも知らないうちに疲れてしまっていたんでしょうね。お薬も出しますが、少しお休みされるといいかと思います」


「でも……」


「ここの所有者さん達も休んだ方がいいとおっしゃってましたよ。休業手当も出してくれるようです。あと山の入口に『山びこさんはしばらくお休みします』とか、山に入る時の注意事項を分かりやすく書いた看板を出そうかともおっしゃってました」


「……」


「あなたがこれまで楽しんで培ってきたものは、なくなることはないはずです。だから、今は焦らずゆっくりしてくださいね。

 山びこだって即座に返ってくるわけじゃなく、少し時間がかかることもあるでしょう?」


 いいのかな。休んじゃっても、いいのかな……


 まだ不安と罪悪感にかられつつも、呼子は小さく頷いた。




 それから数ヶ月。

 その日は少しだけ元気だった呼子は小屋の窓を開け放ち、外を眺めていた。

 木々の新緑が目に痛いほどで、蝉の声が耳に痛いほどだった。

(……大丈夫。好きだ)

 久々に確認し、ほんの少しだけ安堵していると。


「ヤッホー」


 久しぶりに電源をオンにしていたイヤホンから、誰かの声。


 今は、いける。今は、やりたい。


 薄っすらと被っていたホコリを払い、声を出してみた。


「ヤッホー」


 前よりは不格好だったかもしれない。けれど確かに、声を出せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る