犬似
「動物は飼い主に似る」というが、そうとも限らない。
何故なら私の場合、「飼い主が動物に似た」からだ。
もう十五年ほども前のこと。知人の家で生まれた大型犬の子犬を一匹もらった。それがラブだ。
ブラックの毛色。垂れた長い耳。キラキラと輝く瞳。ことあるごとに千切れそうなほど振り回しまくる尻尾。きゃんきゃんという、やたら甲高い鳴き声。どこへ行くにもついてきた、あの歩き方。全てに一発で惚れた。
よく食べ、よく眠り、よく悪戯をした。そうして、目に見えるほどの速さですくすくと成長していった。ラブと同じくらいの大きさだったはずのおもちゃが、ラブに軽々と咥え上げられるようになるまでに、そう年月はかからなかった。
動物を飼うのは初めてだったので、自分が世話をすることであんなに小さかった子がこんなにも大きくなるということが不思議で、愛おしかった。
ラブが二歳になったくらいの頃からだっただろうか。周囲の人達が、「ラブちゃんって、飼い主さんに似てるねー」と言ってくるようになった。
私この子みたいに可愛くないですよーと返していたが、それにしても言われた。言われまくった。
普段あまり身だしなみに気を使わないので鏡を見ることもそんなにないのだが、流石に妙に思えてきた。
考えてみればやたらと周りの匂いに敏感になった気がするし、切っても切っても髪が邪魔だし、座る時にお尻に違和感があるような……
ある日鏡をじっと見てみた。
それでやっと気が付いた。鏡に映し出されていたのは、私が惚れたのと寸分たがわない、ブラックの毛色。垂れた長い耳。キラキラと輝く瞳。ことあるごとに千切れそうなほど振り回しまくる尻尾。
それらを併せ持った、服を着て二足歩行をする、ラブそっくりな人間サイズの犬だった。
即座にリビングへと駆けた。ボールを咥えて遊ぶラブに、思いっきり抱きついた。
一瞬怪訝な顔をしたものの、ラブはすぐに滑らかな黒い毛で覆われた私の頬を舐めた。
嬉しくてたまらなかったんだよ。自分がこれほどラブを愛しているということが。
それから一緒に過ごした日々も、本当に幸せだった。
一緒に行ける場所ならばどこにでも行ったし、楽しそうなことは何でもした。トリミングサロンで一緒に施術してもらうようにもなった。
はぐれてしまっても、外見のおかげで飼い主だと気づいてもらえたから、いつもすぐに再会できた。免許証の写真をよく見たら私じゃなくてラブの写真だったから、慌てて訂正してもらいに行ったことなんかもあった。
嬉しい時は共に尻尾を振り合った。
そんな日々が続けば良かったのに。
ある朝、ラブがご飯を食べなかった。いつもすごい勢いでがっつく子なのに。
おかしいと思い、仕事を休んで
告げられたのは、聞いたこともない病名だった。
やれることは全てやった。食事にも気をつけたし、効果のある薬や手術もしてもらった。大きく育ったはずの
それでもラブと一緒に、耐えて、戦って、抗って。生きようとして……
なのに。
自分が悪いわけじゃないのに、痛む頭を抱えるようにして私に深々と頭を下げる目井さんの姿。目に焼き付いて離れない。
悲しくて、悔しくて。ひたすら落ちて……
けれど、辛い気持ちを聞いてくれた友人がある時言ってくれた。
「ラブちゃんは幸せだと思うよ。今でも自分にそっくりな姿で、あなたが思い出と共に生きててくれてるんだから」と。
そうだ。私は覚えている。ラブとの思い出も、ラブの姿も。そうして、こうして生きている。何一つ忘れずに。
私が生き続ければ、ラブも一緒に生きていけるのだろうか。
鏡を見てみた。ラブそっくりな人間サイズの犬が、こちらを覗いていた。
別れの辛さを忘れることなんてできない。けれど、少しだけ立ち直れた。
私は今でも、ラブと一緒。だからあんまり落ち込んでたら、ラブを心配させちゃう。
ラブ、あなたを忘れない。どんなに遠くに行ってしまっても大好きだよ。だから、ちょっとだけ元気だして、生きていくね。
そう誓った。
そうして少しずつ、ラブがいない、けれどいる、そんな日常に戻りつつあった。
昨日、トリマーさんに指摘された。「左肩の毛が少し薄くなっています」と。
殴られたような衝撃を感じた。そんな訳が…… と自分で確認してみた。他の部位と比べて明らかに毛の本数が少なくなっており、地肌が見えていた。もう十年以上、毛で覆われて見えなかった皮膚の色が。
他でもない自分のこの身体が、ラブを忘れようとしている。それも、ラブが亡くなってからほんの九ヶ月ほどしか経ってないのに。
忘れないと誓ったのに。もう一度、ずっと一緒に生きていけると思ってたのに。
嫌だ嫌だ、忘れちゃダメだ、この先も全部覚えておかなきゃいけないのに。どうして忘れようとしてるの。ラブの姿を、なくしちゃいけない、ラブに生き写しな私でいないと、ラブが一人になっちゃう、寂しがっちゃう!
家に帰ってから、動揺し、どうしようかと頭を捻り、必死に熟考し…… そして、思い出したことがあった。
押し入れに潜り込み、裁縫道具を引っ張り出した。
あれがあるはずだ。蓋を開けると、それらはすぐに見つかった。
でもダメだ。全然足りない。財布片手に全力で近所の裁縫道具のお店に走った。
家に戻り、買ってきたものを確かめる。これだけたくさん買ったんだ。足りるはずだ。
大量にあるうちの一本――黒々とした色の針を手に取る。ラブの毛にそっくりな、細い、針。
本当に似ているからと、裁縫もしないくせにラブが生きていた頃に買ってみたもの。こんな風に役に立つとは。
ラブ。
大丈夫。忘れないよ。絶対に忘れないから。ずっとずっと、大好きだからね……
自身の左肩の、体毛のない部分に、針を突き刺した。
びりっ、という刺激。滲む小さな赤い玉。構わず、中程まで埋まるよう、皮膚に押し込んだ。
溢れ出る赤い玉を拭き取り、じっと観察する。
うん、硬さがある以外、見た目的には周囲の毛とそっくりだ。いける。
次は一気に十数本握り、一気に刺した。
こんなの、痛いうちに入らない。だって、ラブの病気はきっともっと痛かった。
忘れない、絶対に忘れない。あなたのこと。なんとしてでも、再現し続けるよ。だから、寂しくないよ……
私の肌の色なんて見えなくなるように。ラブと同じ、黒で覆われるように。私はただそれだけを願い、針を刺し続けた。
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