killer & kidnapper
食べたくない。
腹がはちきれそうなわけではない。食欲が無いわけでもない。
ここでは滅多に甘い物は出ない。だから余程甘味が苦手な者以外は、こういったものは喜んで食べるのが常だし、それは自分も同様だ。
そもそも、出された食べ物はどんなに口に合わなくても決して残さない主義だ。まともな食事を与えられず、好き嫌いなどしていたら餓死する可能性があった子ども時代の記憶が、今も頭の片隅に頑丈な根を張っているから。
けれど、どうしてか、どうしても食べたくない。
昼食時、他の受刑者達から離れ、一人食堂の片隅の丸テーブルについた
主食やおかずは完食し、残るはこのゼリーだけ。個食の、プラスチックの容器。上部の薄いプラスチック製の蓋を剥がし、スプーンを差し込む。そうして適量を掬い上げ、口に運ぶ。ただそれだけの工程を経さえすればゼリーを食すことができる。別に難しいことではない。
けれど、どうしてか、どうしても食べたくない。
「それで、判決を聞きながら『ああ、誘拐って本当に悪いことなんだネ』って反省したんだネ」
少し離れた長テーブルで食事をする受刑者達のうちの誰かの話し声が、聞くともなしに聞こえてきた。
「だから、『被告人、最後に何か言いたいことはありますか?』って訊かれた時、あの人達の方向いてこう言ってやったネ。
『最初にあの子達の人生を「誘拐」したのはあなた達ですよネ?』って」
どっ、と笑い声と拍手が起こった。
なーに言ってんだか……
騒ぐ長テーブルを蔑んだ目で一睨みし、視線を戻してゼリーを睨みつける。
……やっぱり、食べたくない。
後ろめたかったが残すことに決め、トレーを持って立ち上がり、回収口まで歩んでいく。長テーブルを通り過ぎようとした。その時だった。
「ネエ」
テーブルの端に座る人物に小声で呼び止められ、反射的に振り向いた。先程皆の笑いをとっていたのと同じ声だ。
「それ、食べないならくれない? 美味しいんだよネそれ」
他の受刑者に興味のない津々羅は名前も知らない、人懐っこそうな笑みを浮かべた人物だった。他の受刑者達は、いつの間にか違う話題に夢中になっていて、こちらのやり取りは目に入っていないようだった。
トラブル防止などの観点から、受刑者同士のおかずの交換は禁止されている。けれど。
刑務官が誰もこちらを見ていないのを確認し、津々羅はゼリーをその人物のトレーに素早く置いた。
「ありがとネ」
その人物はウインクを返し、蓋にでかでかと「りんご味」という文字とりんごのイラストが描かれた、自身が食べて空になった容器を投げてよこした。
津々羅はこの件はこれで終わったものと思いこんでいたが、パイパーはそれ以来、他の受刑者達に心配されるのも構わずことあるごとに津々羅に話しかけてくるようになった。
最初は何を馴れ馴れしく…… と無視していたが、数ヶ月ほどしたある日の自由時間のことだった。
「ネエー、一回くらい名前呼んでくださいネー。『吹音』でいいですからネー」
その日も、絡んでくるパイパーをやり過ごそうとしていた。けれどその日は、そうはいかなかった。
「……私は『嘘つき』って呼んでたんですけどネ。あなたは『
歩き去ろうとした足を思わず止め、背後から聞こえるその言葉の続きに耳を傾けた。
「実際、嘘つきとしか言いようがないからネ。
問題があるのは自分なのに、まるで被害者が悪いかのように振る舞う。
愛してるのは自分自身だけなのに、被害者に向かって愛を囁く。
日によって主義主張を変えて、被害者を混乱させる。
散々いじめておいて『これはお前のためを思ってのことなんだ』とか言う。
裁判の時まで、嘘泣きしながら『私達の子を返してください』なんて嘘ついちゃってネ。正直に『私達のストレス発散のための道具を返してください』って言ってくれた方がまだ可愛げがあるってもんだネ。もちろん許せないのには変わりないけど。
息をする回数より、嘘をつく回数の方が多い人生なんじゃないかネ? 本当、酷い人達だよネ」
声が、一歩近づく。
「もう亡くなってるけど、うちの親は特に嘘つきではなかったんだけどネ。
けど、ある日ふと見てみたTV番組がきっかけで嘘つきの存在を知って、自分でも調べれば調べるほど『これは酷い』と思うようになったネ。私が親に大事に育ててもらったように、この子達も大事に育ててもらわなきゃいけないはずなのにってネ。何とかしなきゃと思ったネ。
前もちょっと言ったけど、私こう見えても元フルート奏者でネ。本当は今でも毎日吹きたくてウズウズしてるくらいなんだ。といってもフルートでの収入はそんなでもなかったんだけど、親が遺してくれた遺産は結構あったんでネ。
ありとあらゆる情報網を駆使して、嘘つきに苦しめられてる子ども達を探したネ。それで、その子達の同意を得た上で誘拐したんだネ。
嘘つきから引き離して、私の家に匿って育てたネ。そうすると、みんな最初は戸惑ってたけど、段々と笑顔を見せるようになってくれてネ」
声が、また一歩近づく。
「今まで嘘つきのせいで楽しめなかった分、思う存分やりたいことをしてもらったネ。遊びも趣味も。学校も、身分を偽って通ってもらったネ。どうにかこうにか周囲の人達をごまかしながら、それはそれはたくさんの子ども達を誘拐したネ。
本当は私、嘘つくの大っ嫌いなんだネ。あの人達と同じになっちゃうから。けど、私が我慢するだけであの子達が幸せになれるならって、なんとか耐えられたネ。
まあ、最終的には露見して捕まっちゃったけどネ。それでも、あの子達がみんな口を揃えて『吹音さんは命の恩人だ』とか『元の家には絶対に戻りたくない』とか証言してくれたのは嬉しかったネ」
再び一歩近づいた声から、津々羅は一歩遠ざかった。
「毒家族」という言葉が出た。奴らの悪辣さもそれなりに理解しているようだった。それも、奴らの直接の被害者ではないのに。
もしかしたら、信頼してもいい人間かもしれない、と思えた。
けれど、毒家族への対抗手段が「被害者の誘拐」だけだと? バカバカしい。
何故毒家族の有害さを分かっていながら、殺害という当然で最善の策を取ろうと考えないのか。所詮はこいつも偽善者か。
諸悪の根源である毒家族それ自体をこの世から消し去らないことには何も解決しない。
いくら遠くに避難しても、奴らがこの世に生きているというだけで安心できない人達だっているんだ。
だから殺さなければならない。毒家族を殺すこと自体は悪いことでも何でもない。私が犯した罪は、
だけどたとえば、私が父親を目の前で殺してあげたあの子なんかは、今でも血にトラウマがあるらしいし、自分のせいで父親が死んだという罪悪感もあるらしい。毒家族を殺してあげられたのは誇らしいが、一方で本当に申し訳ないこともしてしまった。いや、殺したことは正しかったがそれでも。
私は人間を救うために奴らを殺した。殺しまくった。後世に自慢できる善行だ。被害者を保護することは確かに重要だ。けれどまずは害悪そのものを滅ぼさなければ。諸悪の根源が消え去ったところで、被害者達の心身の傷はそう簡単に癒えやしない。時間をかけて丁寧に向き合って治療していく必要がある。重きを置かなければならないところだ。いや、奴らが新たな毒を撒き散らす前に止めることが肝要だ。本当に被害者のためを思うのならば、殺すとか殺さないとかいう問題じゃなく、被害者達自身が少しでも幸せに暮らせるような支援を行わなければならなかった。
目井さんは私にはもう誰も殺すことなく幸せに生きてほしいと言った。私はどちらも守れなかった。もし殺す以外の解決策を思いつき、実行することができていたら両方とも守れていたかもしれない。目井さんを、大好きな目井さんを裏切りも傷付けもせず、こんなところにも収容されず今も隣で笑って過ごせていたかもしれない。わざわざ殺す必要なんてなかったんだ。殺さなくたって良かったんだ。怒りで目がくらんでたけど道はたくさんあったんだ。そうしたらせっかく分かりあえた「あいつ」も殺さなくて良かったんだ。「あいつ」も救えたかもしれないんだ。殺さなくたって殺さなくたって殺さなくたって殺さなくたって
ばんっ
何の音か把握するのに、数分は要した気がした。実際は一瞬だったのかもしれない。
とにかく、自分が付近の壁を握り拳で力任せに殴った音だと把握するのに、時間がかかった。
周囲を見渡す。こちらに向けられた、驚きに満ちた無数の目が、慌てたように背けられていく。
自分の思考が混乱する原因となった言葉を吐いた人物を見やる。驚いていた。それだけでなく、かつて首斬りスパロウの活動をしていた頃によく見る表情も、そこには含まれていた。
毒家族からの虐待により、何の非も無いのに罪悪感を抱える人々に似た、あの表情。
即座に後悔したのに、何も言えず、どう言えばいいのか分からず、ただその場を離れた。拳がじんじんと、割れるように痛かった。
今更どうしろと言うのだ。
もう遅い。大量殺人を犯し、数えたくもないくらい恩人との約束を反故にしてしまったこの身にはもう遅い。遅すぎる。けれど……
その夜、ベッドで毛布にくるまりながら、津々羅は先程のことを反芻していた。
自分のやり方を否定されるのは、自分自身を否定されることと同義ではない。それなのにあんなに腹を立てるなんて自分はどうかしている。これじゃ「あいつ」の母親と同じじゃないか。
確かに、パイパーのやり方は誰もが真似できるものではない。莫大な額の金に多様な子どもに対応できる育児のスキル、嘘を通し続ける演技力や精神力。そういったものがなければ不可能だ。パイパーだからできたことだ。
けれどパイパーが誰一人殺すことなく大勢の毒家族被害者を救ったのは事実だ。
パイパーだって、きっと私を貶めようとして自身の犯行の話をしたわけではない。犯行動機にどこか似たものを感じて、親しみが湧いただけだったのかもしれない。
思えば、ここの受刑者で私に話しかけてくれる人なんてあの人だけなのに、あんな態度を取ってしまって。
……本当に悪いことをしてしまった。
明日、謝ろう。
そう決意しながら、ゆっくりと眠りに落ちた。
翌朝、津々羅は目覚まし時計よりも早く目が覚めた。
文字盤には、普段の起床時間よりも一時間ほど早い時刻が表示されている。
二度寝する気にもならず、なんとなくTVをつけてみた。
画面いっぱいに、満面の笑みをたたえたキャスターが映し出される。
「速報の朗報です! 本日、全世界の毒家族が絶滅しました!」
「……え? え? え?」
目をこすり、画面を凝視する。
相変わらず笑顔のキャスターと、その下に提示された「祝! 毒家族絶滅!」というテロップ。
短いそれを何度も何度も読み返すうちに、それの意味するところが徐々に脳内に浸透し、込み上げてくるものがあった。
「やっ…… やったーっ! これでもう誰も奴らに苦しめられなくていいんだーっ!」
大はしゃぎにはしゃいで、喜びのダンスを踊ろうと立ち上がりかけた…… ところで、目覚まし時計のアラームが鳴り響き、目が覚めた。
「……なんだ、夢か……」
ため息を吐きつつも身を起こしてアラームを止め、着替えや整容などの朝の支度をする。
さあ、今日も退屈な一日の始まりだ。けれど今日は、大きな使命がある。
自室のドアを開き、廊下へと踏み出した。
何やら不穏な気配を感じ取った。
ざわざわという話し声。その中に、一際目立つ怒鳴り声。
「おい、おい、大丈夫か⁉︎ おい、テメェら見てねェで早く誰か呼んでこいよ!
あァ⁉︎ 知らねェよ! 一緒に歩いてたらコイツが急に苦しそうに息しながら倒れやがったんだよ! とにかく早くしろよォ!」
口調は荒いが面倒見がよく、一部の受刑者達から慕われているという強盗犯の声だ。前にパイパーに教えてもらった。
廊下の隅にできた人だかりを掻き分けてみた。
強盗犯が、がなり続けながらも誰かの頭を膝枕している。
その誰かは、ガラス玉のような両の瞳を開きっぱなしにしたまま、胸部を大きく上下させ、口を必死に開閉している。はあはあ、はあはあという生々しい音が、この騒ぎの中でも異質さを伴ってはっきりと聞こえる。
「……吹音」
気付けば、苦痛に歪むパイパーの顔が、目の前にあった。
自分の登場によって、周囲の空気が凍りついたのを感じ取ったが、構わず呼びかけた。
「吹音…… どうしたの? ねえ、吹音、吹音!」
反応を返してくれないパイパーに、それでも津々羅は呼びかけ続けた。
初めて自分がパイパーに話しかけたことに気付いたのは、パイパーが担架で運ばれ、見えなくなった後だった。
目井さんは、難しい顔でベッドに横たわるパイパーを診察していた。
容態がかなり深刻そうだから診てくれと頼まれて来たものの、原因が分からないのだ。
息を吐いてばかりで、上手く吸うことができていない。人工呼吸器を装着し、呼吸を促す薬を投与して、今はどうにか生命維持に必要な呼吸ができてはいるものの、根本的な原因を突き止めないことには適切な治療に取り組めない。
目を固く閉ざし、意識もない状態のパイパー。必死で検査を続けるも、どうにも分からない。このままでは……
ぐわん
脳が揺れるような頭痛がやってきた。
「ぐ……」
頭を抱えるも、効果はない。
「う…… ああ……」
頭を押さえたまま、手探りで部屋を出る。
涼しい廊下の隅にうずくまり、じっと耐える。
「……どうしたの?」
どれくらいそうしていただろうか、不意に、聞き覚えのある声がした。
目を開けると、そこにはしゃがみ込む自分と同じくらいの目線に立つ、津々羅の心配そうな顔。
「あ…… ああ、今日みたいな雨の日って、気圧の変化のせいで頭が痛くなることってありません? あれですよあれ。私の場合はこうしてじっとしてれば治まるのでお気遣いなく」
「そんな軽いもんじゃなさそうだけどね」
「……」
「言ったよね? あなたは背負い過ぎだって。いっくらそういう仕事だからってさあ。……背負わせた張本人が何をほざいてんだって話だけどさ……」
自嘲気味に笑い、頭を掻く津々羅。
「……こんな間近で顔合わせるのも久しぶりだね。というか、こっちは今までまともにあなたの顔見れてなかったからね…… 痛い時でも笑った目なんてしてんだね」
少しずつ 少しずつ、頭痛の波が静まりだした。
「……だいぶ治まってきました」
「本当?」
「はい」
「そう? なら良かったけど。
……どうなの? その…… 吹音・パイパーの様子は?」
「正直、あまり良くないですね。どうにも原因が分からなくて……」
「……そう……」
少し俯いた津々羅は、けれど、再び顔を上げ、目井さんの目を見ながら口を開いた。
「あいつね、ここで初めて私に話しかけてくれた受刑者なの」
「そうなんですね」
「あいつ…… 昨日大事なことを教えてくれて、なのに私、キレちゃって……」
「そうでしたか……」
「私は…… あいつのこといっつも無視してて。吹音は自分のことたくさん話してくれたのに。ここに来る前の話も、フルートの話も。なのに私は……」
「フルート…… そうです、それです!」
ぱっと立ち上がる目井さん。頭の痛みは、もはや無いに等しかった。
「ありがとうございます! パイパーさんを助けられるかもしれません!」
「え!?」
「今すぐ取り組みます!」
津々羅に背を向けかけ、けれど思い出したように振り向いた。
「津々羅さん、その包帯、もう外していいんですよ? 傷はもう塞がっているので」
包帯を巻かれた指が、津々羅の首に巻かれた包帯を指し示す。
それに対し、津々羅は首元を押さえ、こう返した。
「……いいの。ここには、ずっと巻いておくの」
「……そうですか」
それだけ言うと、目井さんはさっと身を翻し、パイパーの眠る部屋へと滑り込んだ。
「やっぱりでしたよ! 非常に稀にですが、長年に渡って管楽器を吹き続けて来た人がある日突然吹く機会を奪われ、そのまま演奏できない日が続くとですね、ああいう症状が出る場合もあるんです。
今までは息を吹くと、大好きな楽器が音を奏でてくれた。そんな恋しさから無意識に息を吐くけれど、楽器がないから当然音は鳴らない。それに違和感を感じご本人も自覚なく何度も何度も息を吐き続けてしまい、そうして…… ということなんです。
あの症状専用のお薬を投与させていただいたら、呼吸はかなり改善しましたよ。もうしばらく安静にしていればお元気になるはずです。ただ、また再発してしまう危険性もあるので、予防のために今後刑務所内でも最低でも週に一回はフルートの演奏ができるようにしてあげてくださいと、こちらの職員さん達にお願いしておきます」
「そっか、ひとまずは安心だね」
「ええ。それとですね、津々羅さん」
「?」
「今ご説明した通り、今回の件はこの刑務所内でフルートが演奏できないために起こってしまったことです」
「はい」
「だから、あなたのせいじゃないんですよ」
「……」
分かっている。
自分の昨日の行動が原因なのだと、信じて疑わなかったわけではない。人間みんなが、ああされただけで体調を崩す生物だと思っているわけではない。
けれど、どこかで自分を責めていた。どこかで自分のせいだと思っていた。
だから。
「……ありがとう」
吹音を助けてくれて。私を助けてくれて。
ちゃんと目井さんの優しく微笑む目を見て、お礼を言えた。
きっと、吹音と互いに腹を割って話せる関係性になるまでにはまだまだ多くの時間を有するだろう。けれどまずは。回復したら、前よりももう少しだけ、吹音の話に耳を傾けようと決意した。
他の受刑者達は皆引いていた。パイパーも、何事が起こったのかと思った。
そりゃビビるだろう。ただでさえ恐れられている大量殺人犯が、やけにリアルなツキノワグマのような被り物をしていたら。
その日は一日中それを被って過ごしていたため、誰もがいつも以上に怖がり、いつも以上に視界に入れないようにし、近くに来られたらいつも以上にさりげなく、けれど大急ぎで遠ざかったりしていた。
けれどパイパーだけは、そんな中でも津々羅をそこまで怖がらなかった。
かつては首斬りスパロウのニュースを見聞きする度に、もし自分が誘拐してきた子達が狙われるようなことがあったらどうしようと不安になっていた。けれど、その目的を知ってからは考えが変わった。
やり方自体には決して賛同はできない。けれど、この人はあの子達を襲うどころかむしろ味方をしてくれる側の人だと。
そんな首斬りスパロウが同じ刑務所にやって来た。話を聞いてみたいと思った。
けれど、常に不機嫌顔に近い仏頂面で、小さな全身から近寄るなオーラを漂わせる津々羅には近寄りがたかった。何かきっかけでもあれば…… と思いつつ、なかなかそれが見つからなかった。
けれど津々羅がクマのような何かと化していたその日、きっかけは唐突に見つかった。
休憩時間、こっそり津々羅の跡をつけていたパイパーは、見たのだ。
呆れたような、けれどその奥に暖かなものも秘めた、そんな笑顔だった。
ああ、大丈夫だネ。
見られていたことに気付かず、被り直して去って行く津々羅の背中を見ながら確信できた。あんな笑い方ができる人なら大丈夫だ。今日か明日、思い切って話しかけてみよう。たとえば、そう、食事の時にでも。
パイパーのそんな気持ちを津々羅が知るのは、もう少し先のことである。
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