so weird people
「お待たせ」
口腔内に広がるコーヒーを舌で押しやるように嚥下し、声のした方に顔を向けた。
目線の先には、一組の夫婦。
「ああ、こんなに立派になって……」
「ずっと会いたかったよ。ごめんね。あの時は本当に、ごめんね……」
感極まったように涙ぐみ、突っ立ったまま話し始める二人。僕は自身の座るボックス席の向かいのソファを指し示した。
「立ち話するわけにもいきませんので、どうぞ。お座りください」
そんな僕の様子を見て、夫婦がますます嬉しそうな顔になったのを、僕は見逃さなかった。
完全に記憶の彼方に追いやっていた。というか、追いやったことすら忘れていた。
そんな人達のことを思い出したのは、とある日の仕事帰りのことだった。
勤めて一年ほど経ち、一人でも少しずつ仕事をこなせるようになってきて、職場の人達との仲も深まってきていた、そんな矢先のこと。
突然スマホが鳴った。着信画面には、未登録の電話番号が表示されている。
誰だろう。僕の二人いる母親のうち、一方は時々、ふざけて友達の電話を借りてかけてくることがある。またそれかな。
マスクはしていたが、念のためそっと口元を片手で覆い、路地裏に入った。そうしてから、受話ボタンを押した。
途端、聞き覚えのない声で、下の名前を呼ばれた。呼び捨てで。最初は聞き間違いかと聞き返したが、やはり聞こえる。
……いや、違う。聞き覚えはないはず、けれど、どこかで聞いたことがあるような……
ぐるぐると考え込み、何も言えなくなった僕に、その声は続けた。
「お母さんだよ。会いたかった」
? お母さん? 二人の母親のうちの、どちらの声でもないのに……
「久しぶりだね。元気だった? ああ、本当に会いたかった……」
その喋り方で、ようやく気付いた。
この人は、僕を生んだ人だ。
興信所まで使って連絡先を調べてもらった。私もお父さんも、どうしても直接あなたに会いたい。話がしたい。そう懇願されて、近所のファミレスで会うことになった。
でも、会って何を話すんだろう。こっちからは話したいことなんて何一つないのに。
当日。少し罪悪感はあったが、母親達には「友達とファミレスに行く」と嘘をついて家を出た。
約束の時間通りにファミレスにやってきた、僕を生んだ夫婦は、向かいの席に腰掛け、しばらく「大きくなったね」だの「立派になったね」だのと褒めちぎった。
僕はといえば、やっぱり何も話すことが思い浮かばないので適当に相槌を打ちつつ、コーヒーを少しずつこまめに飲むだけだった。頭の中では、来週の日曜にある資格の試験について考えていた。
そうこうしているうちに、いつの間にかコーヒーカップはほとんど空っぽになっていた。口の中は、苦味で満ちていた。ミルクも砂糖もたっぷり入れたのに。
店員さんにおかわりを頼もうかどうか迷っていたら、二人の話の内容が徐々に変わり出した。本題に入り出したと言うべきか。
ごちゃごちゃ言ってはいたが、要するに「二人とも同じ病気になってしまった上、一緒に働いていた会社が倒産してしまった。助けてくれ」ということだった。
二人の病名は、少し珍しいけれど耳にしたことがあるものだった。
「今あなたは引き取られたおうちで幸せに暮らしてるみたいだけど、そんな今があるのも私達があなたを生んであげたおかげ。お礼だと思って助けて」
そんな意味のことも言っていた。一点の曇りもない、こちらを信じて疑わない、純粋な笑顔で。
僕の口元と、テーブルの上を、交互に見ながら。
残り僅かなコーヒーを一息に飲み干し、二人を睨め付けた。
「あなた達、どこ見て喋ってるんですか?」
きょとんとした二人の顔。それを見て、確信した。
テーブルに散らばったものをさっと集めてカバンに落とし入れ、強めの声で言った。
「ご自分達が何をしたのかお忘れで? 大人になってあなた達から離れて幸せになったから、昔の虐待をチャラにしてくれるとでも思ってました? それはそれは、素敵なお話ですね。ジャンルでいったら『現代ドラマ』なんかじゃなくて『ファンタジー』です」
硬いものがテーブルにぶつかる、カラカラという音が響く。あまり長く喋っていると苦しくなってしまうので、一旦言葉を切る。
目を閉じて少し息を吸い、再び口を開いた。
「第一、未だに僕を金づるや便利な道具としてしか見られない赤の他人を助けるわけなんてないじゃないですか」
「『赤の他人』なんてそんな…… 私達実の親子じゃない」
青ざめていく二人。
僕はきっぱりと告げる。
「いいえ、僕達はれっきとした赤の他人です。
僕の
何年経っても、どんなに幸せになっても、決して忘れません。あなた達が人殺しにも等しい連中だと。許すことも、感謝することも、愛することも、未来永劫ありません。
僕の心をもう一度産んでくれたのは、あの両親です。だからあの人達は、僕の育ての親であるだけでなく、生みの親でもあります。僕の親は、あの人達だけです」
財布を開け、コインを取り出す。コーヒーの代金分、おつりが出ないようにぴったりあるのを確認し、テーブルに置く。それと入れ違いのように、再び口から溢れ出したテーブル上のものをかき集めて放り込んだカバンを手に、立ち上がる。
背を向けたまま、マスクをつけ、最後通牒のように言葉を突きつけた。
「もう二度と関わらないでください。僕にも、両親にも。今度おかしなマネをしたら、特に両親に手を出すようなことをしたら、法的手段に出ます」
すすり泣きのような声が聞こえたが、構わずファミレスを出た。
本気で助けてもらえるとでも思っていたのだろうか。生んであげたんだから、実の親子なんだから、何をしても子どもは無条件で愛してくれるとでも思っていたのだろうか。
変わってる。僕の両親よりも、ずっとずっと、変わった人達だ。
ファミレスを出てしばらく行ったところで、スマホが鳴った。
表示されているのは、一方の母親の名前。
友達の電話を借りてかけてくる方じゃない。けれど、こっちはこっちで、時々大した用事もないのにいきなりふざけて電話してきて、訳の分からないことを言うだけ言っていきなり電話を切るという悪癖がある。でももしかしたら何か大事な要件があるのかもしれない。受話した。
……やっぱりどうでもいいくだらないギャグだった。
スマホから響いてくる、自分で言った面白くもなんともないそれに抱腹絶倒する声。本当、変わった人だ。こっちの母親も、もう一方の母親も。仕方がないので、僕は苦笑して返す。
「はいはい、分かったよ」
その言葉と共に、マスクからきらりと赤く輝くアンモライトが一粒、こぼれ落ちた。
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