wedding bone
「鼻からくるタイプですか? それとも熱から? はたまた喉からでしょうか?」
「熱からです。
…あの、今日来たのは風邪引いたからじゃないんですが」
「おや、失礼致しました。この時期はやはり皆さん体調を崩しやすいようで、今日いらっしゃった患者様全員風邪だったもので、ついそのノリで訊いてしまいました。
では、どうなさったのですか?」
「以前やっていただいたこれ、申し訳ないんですが、その… 元に戻していただけたりしますか?」
俺は
手のひらには、
そして、それらとは対照的な細い薬指は、診察室の明かりを反射してきらきらと輝いていた。
証を持ちたいと思った。配偶者と愛し合っている証を。
お互いに心は通じ合っていると信じている。けれど、やはり触れる形が欲しい。
そばにいない時でも、二人はつながっていると、触れて確かめられるものが欲しい。
だから多くの人はこういう場合、結婚指輪をするのだろう。
けれど指輪は人体の一部じゃないから、取り外すことができてしまう。
それが俺達にとっては不満だった。
常に心と身体から離れることのない、他の誰も持っていない、この世で俺とあいつ、二人だけの何か…
いい方法はないかと相談した俺達に、目井さんは亡くなった人の遺骨からダイヤモンドを生成する技術があることを教えてくれた。
本来は、遺された人が「大切な人と今でも一緒にいる」と感じられるようにするためのものではあるけれど、目井さんはこの技術を応用してはどうかと提案してくれた。
すなわち、生きたまま俺達の左手の薬指 ―結婚指輪をはめる指― の肉や皮をそぎ落とし、骨をむき出しにする。その骨をダイヤモンドに変えるのだ。
まさに俺達の理想形だった。
そうして他の誰にも真似のできない、俺達だけの愛の証明を作ってもらってからの結婚生活は、本当に色々なことがあった。
2人で様々なところに旅行に行ったし、新しい趣味もたくさん作った。
たまには喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして、そのたびに前よりも仲良くなった。
あと、夜中寝てたら痛みを感じて、何だろうと目を開けたらダイヤの指を切り落とそうとしてる泥棒とモロに目が合って大騒ぎになったり…
とにかく毎日何かしら起こっていた。毎日幸せだった。
あいつの左手薬指の、つるつるとした肌触りが、眩しいまでの輝きが、愛おしくて仕方がなかった。
何があったわけではない。
一緒に過ごした日々を後悔しているわけでは断じてない。
憎しみを抱くようになったわけでは決してない。
けれどいつの頃からか、緩やかに緩やかに、愛情が冷めていった。
始めはただの倦怠期ってやつだと思った。また依然と何も変わらず過ごせると。
なのに、気持ちはどんどん離れていった。
これまで普通にしてきたことをしたいという欲望が弱まっていった。
毎日のように囁き合っていた言葉を囁くのは「なんか違う」と思うようになった。
あんなに好きだったんだ。嘘じゃない。確かに好きだった。
あいつも同様だった。俺を好きでいてくれていた。
だから、世界で一番硬い証を一緒に手に入れたのに。
混乱した。
2人の思い出を振り返って、あの頃の気持ちを取り戻そうとした。
なるべく大好きだった頃と変わらず接するようにした。
けれどどうしようもなかった。
そして、それはあいつも同じ気持ちだった。
ちゃんと話し合って、お別れすることにした。これ以上一緒に暮らすのは違和感があった。
あいつも俺もこの結論に納得している。
けれど本当に、嫌いになったわけではない。結婚相手として難しくなったというだけだ。
これからは友人として、暇なときにでも連絡を取り合うくらいはしようと約束している。
今日明日には無理だ。けれど、約束を破る気はない。
「申し訳ありません。一度ダイヤにしてしまった骨を元に戻すのは不可能なんです。
ただ、上からお肉や皮膚を被せることはできますよ。それでもよろしいでしょうか?」
「そうですか… では、それでお願いします」
「はい、終わりましたよ」
ずしりと重くなった左手の薬指。
触れてみた。ぷにぷにと柔らかい感触。
見てみた。自分の身体の他の部分と同じ色の肌。
あいつとお揃いだったあの肌触りも、あの輝きも、もう隠れてしまった。
今は妙な感じがあるけれど、この指にもそのうち馴染んでしまうのだろう。あいつを好きになる前の自分の指と同じなのだから。
そう思うと、けじめだからと自分で決めてやってもらったことなのに、やはりうら寂しかった。
ふと目井さんに尋ねてみたくなった。
「花に花言葉があるのと似たようなもんで、宝石にも宝石言葉っていうのがあるんですが、ダイヤモンドのは何か知ってます?」
「代表的なものは『純潔』に『清浄無垢』、『純愛』。それから、『変わらぬ愛』。そんな感じですよね」
カンペでも見ているかのように、流れるように答える目井さん。
「流石ですね… ねえ目井さん」
「はい?」
「『変わらぬ愛』なんて、あると思います?」
「ある方達のところにはあると思うんですがねえ」
「…あいつと俺は、『ある方達』じゃなかったってことか」
目井さんに聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いてみた。
お礼を言って、病院を出た。
聞こえなかったのか、目井さんは何も言ってこなかった。
昨日、この患者様の元配偶者がやってきて、左手薬指を元に戻していただけないかと頼まれたこと。
術後、ダイヤモンドの宝石言葉を知っているかと質問されたこと。
続いて「変わらぬ愛」が存在すると思うかと尋ねられたこと。
そして去り際に。
「…あいつと俺は、『ある方達』じゃなかったってことか」
一言一句同じ言葉を、目井さんに聞こえるか聞こえないかくらいの声でこぼしたことを、目井さんは患者様に告げなかった。
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