whose dream

 僕は弁護士になりたい。

 弁護士になって、弱い立場にいる人達を法律で守る正義の味方になりたいんだ。

 いや、ならなきゃいけないんだ。 

 最近突然倒れて、どうしてか眠り続けてしまっているおばあちゃんもそう望んでいるんだから。




「近頃どうなさったのですか?」

 図書館で法律書を開いて勉強をしていたら、目井めいさんが話しかけてきた。


「将来弁護士になるために頑張っているんですよ」


「ええ、周囲の方達にもそうおっしゃっているそうですね。小学生のうちから立派なことです」

 そう言ったきり、黙った。

 身動きすらせず、僕をじっと見つめる。


 しかたなく僕も見つめ返していたけど、何分も何分もずっとそのままだから時間の無駄だと勉強に戻った。

 



 20ページほど精読した。目井さんはまだいる。

 40ページほど精読した。目井さんはまだいる。

 60ページほど精読した。目井さんはまだいる。

 80ページほど精読した。目井さんはまだい

「あーもう! 何ですか!」

 

 なんとか集中力を保っていたけど、ついに堪忍袋の緒が切れた。

「用があるなら、遠慮してないでおっしゃってくださいよ! こっちは忙しいんです!」


「も、申し訳ありませんでした… いや、あなた見てるうちに何となくそうなんじゃないかって気がしてきまして、でも確証を得るまでしばらく観察しなければならなくて…」

 目井さんはしばしぶつぶつ呟いてから、咳払いをして本題に入った。


「失礼いたしました。えーと、では正直に今日あなたに話しかけた理由をお話ししてしまいますと… ご家族の方達に、あなたが最近妙だから様子を見てほしいとお願いされたからなんです」


「え? 妙なことなんてありませんよ。僕は僕の夢のために勉強しているだけです」


 目井さんの眉がかすかに寄った。

「本当にあなたご自身の夢なのでしょうか?」


 …何を言ってるんだろう?


「そうですよ、紛れもない僕自身の夢です」


「ピアノ教室に何週間も行かれていないそうじゃないですか。ピアニストになりたいとご自身で主張して、習い始めたのでは?」


「あんなのやめました。弁護士の方がずっといい仕事じゃないですか」


「そうですか。ピアニストも音楽で人を幸せにする素敵なお仕事なのですが。

 では、質問を変えましょう。

 あなたは、どなたですか?」


「…目井さん、どうかしてるんじゃないですか? 僕は僕です」

 事実を答えたはずなのに、なぜだか胸がどきんとした。


「お気付きではありませんか」

 一席分の距離が空いているはずなのに、目井さんの笑った目が目前にあるような錯覚に陥る。


「何にですか…」

 暖房の効いているはずの室内。なのに、冷たい汗が一粒頬を伝った。


「あなたが… いえ、が弁護士さんになることをどなたよりも望み、というよりもそうならなければならないと定め、持ち主さんご本人がどんなに嫌がっても勉強を強要し。


 ご本人がご自身なりに将来のことを考えて習っているピアノ教室に行くのを妨害し。


 どこそこの子はあんなに勉強ができるのにお前は何だと理不尽に比べ…


 周囲の方達にどんなに止められても、何が問題なのかに気付かず、そのお身体の持ち主さんを傷つけ続けてしまっている方を、私は一人だけ知っています」


「だから! まどろっこしいこと言ってないで単刀直入に言いなさいよ!」

 図書館であることを忘れ、思わず立ち上がって怒鳴った。


 こんなこと、もしもあの子がやったら叱りとばすのに、あたし自身がやってしまうなんて示しがつかない。




 ―あれ、「あの子」って、「僕」…?「あたし」…?




 目井さんは両手を「あたし」の両肩にそれぞれ置くと、耳元でささやいた。


「『あなた』ですよ。あなたは『お孫さん』ではありません。『あなた』です」




 瞬間、すべて思い出した。




 あたしは子どもの頃、弁護士になりたかった。事故や事件に関わってしまった人達を助ける、正義の味方になりたかった。

 けれど世間の雰囲気や家庭の事情によって、諦めざるを得なかった。


 それでも、完全に切り捨てることはできなかった。

 だから子ども達ができた時、彼らにあたしの夢を継いでもらおうとした。


 が、違う職業に就いてしまったりさっさと親元を離れてしまったりと、誰一人思い通りにはなってくれなかった。

 周囲も強制は良くないと、子ども達の味方だった。




 あたしは夢を叶えたかった。

 ただ多くの人を救いたかった。

 正義の味方になりたかった。

 幸せに、なりたかった。


 なのに、何故みんなあたしの言うことを聞いてくれないの。

 みんなあたしの敵なの?


 あたしを…救ってよ。




 最後の望みを、近所に住む子ども夫婦の間に生まれた孫に託すことにした。

 今度は、今度こそはもう誰にも止めさせない。必ず弁護士にさせる。あたしの夢は、二度と壊させない。


 お願いだから、あたしの願いを叶えてね。

 いや。叶えないと許さない。こんなにずっとずっと思い続けてきた夢なんだから。


 正義の味方になって、そして。

 あたしと、困っている人達を救わなきゃダメだよ。




「『自分の代わりになって夢を叶えてほしい』

 その期待が強すぎるあまり、あなたはあなたご自身とお孫さんは別の人間だということが分からなくなった。お孫さんの人生もお身体も、ご自分のものだと誤解し始めてしまった。

 そうして、あなたの意識はお身体を離れてお孫さんの中に入ってしまったんです。

 それから、ひたすら勉強を始めたんですね。

 夢を叶えるため、あるいは、叶えさせるために…」


「どうしよう、どうすればいいんですか。このままだと、本当にあの子の人生を奪ってしまう。

 違うんです、あたしはただ夢を叶えたかっただけで…」

 ああ、最低だ。この後に及んでもまず出てくるのは自分のことだ。


 孫は、あたしをいつも嫌なものを見る目で見ていた。

 そんな態度に余計に腹を立てて、ますます努力を強いた。


 正義の味方になることの何が悪いんだ。あなたの将来のためを思って言ってあげているのに!


 あの子のことをかわいく思っていた。幸せになってほしいと思っていた。

 だから、あたしの夢を継げば、幸せにしてあげられると思った。


 けれどそれは、孫の夢を奪い、自分と同じ悔しさや悲しみを味わわせることだったのか。


 あんな目で見られて当然だ。こんな奴が、正義の味方になんてなれる訳がない。




 先月プレゼントしたばかりの真新しい服に包まれた小さな身体を呆然と眺めていると、頭上から声がした。


「大丈夫ですよ。あなたはご自身の正体を自覚できた。もうすぐうちに入院していらっしゃる元のお身体に意識が戻り始めるはずです。そうしたら、お孫さんの意識も戻りますよ」

 言われた直後、頭に膜がかかったようにぼんやりとし始めた。

 顔を上げた先にあったのは、少しぼやけた、いつもの笑顔。


「ああ、良かった… 取り返しのつかないことをするところだった… 気付かせてくれてありがとうございます。

 でも、これからあの子とどう接すればいいのか…」


「まずはきちんとお話してみてください。お互いにどんな風なことを思っているのか、正直に言ってみてください」


「…仲良くなれるでしょうか。手遅れじゃないでしょうか」


「たしかに何であれ遅くなってしまうと大変なことが増える、ということはあるのかもしれません。が、人間意外と『遅すぎる』ってことは少ないものですよ。

 それに、あなたは自分のしてしまったことを自覚できたじゃないですか」


「…そうですね。頑張ってみます。

 自分の夢はこれを機にすっぱり諦めます」


「いいんですか? 長年持ち続けてきた夢なのでは?」

 目井さんの声が、だんだん遠くに聞こえ始める。


「ですが、こんなあたしにはもう資格がありませんし、何よりもう年ですし…」


「先ほど言ったでしょう。『「遅すぎる」ってことは少ない』と。

 私の熱いまなざしを受けながらもあんなに長いこと集中して本を読めていたあなたなら、あるいは…」

 スーッと目の前が暗くなる。

 真っ暗になる直前、目井さんはこちらを覗き込むように尋ねた。


「…いかがですか?」




 数年後、町史上最高齢の弁護士が誕生したというニュースが報道された。

 そのことを伝えるネットニュースの記事には、背景にピアノが置かれた部屋で撮られた笑顔の老婆と、同じく笑顔の孫の写真が掲載されていた。

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