帽子の下

 昼休みを告げるチャイムが鳴ると同時に、非口ひぐちはそそくさと弁当を持って教室を離れた。


「非口さん… 今日も一緒にお昼食べてくれなそうだね」

「うん… 実は無理なダイエットしてて、何も食べてない… とかじゃないよね?」

「前お弁当箱の中見せてもらったことあるけど、量が少なすぎるわけでもなくて普通に美味しそうだったけどなあ…」


 訝しげに話す友人達の中で、デンス(Dens)は非口の遠ざかる背中を見つめていた。




 本当は非口だって、友人達と食事をしたい。

 特にデンスさんと会話をしながらお弁当を食べられたらどんなに楽しいだろう。

 でも、そうできない理由がある… 絶対に言うわけにはいかない「秘密」があるから…

 トイレの個室にこもった非口は、膝の上に乗せた弁当箱に目をやってため息をつくと、いつも被っているニット帽を脱いだ。




「…こんにちは」

「いらっしゃいませッス」


 そんなもやもやを抱えつつ、次の休日、非口は行きつけの美容院である「Too Long」を訪れていた。


 この美容院は長池ながいけさんという一家が営んでいる。家族全員が人間の髪というパーツを心から愛し、お客様ひとりひとりに合わせたケアをしてくれると評判である。


 その日店にいたのは、普段は違うところで働いており、休みの日にたまに手伝いに入っているミカという名前のお子さんだけだった。

 長すぎる髪に覆われた2mほどの熊のような威圧感のある外見ではあるが、気さくな性格のこの人となら内向的な非口もそれなりに楽しく会話ができる。非口がこの店が好きな理由の1つだった。


 もう1つの理由は…


「じゃあ、奥行くッス」

 ミカに促され、2人で店の奥の方に向かう。

 壁の装飾品に隠れるように存在しているドアを押し開けた。

 その先に現れた6畳ほどのスペースには、椅子に洗髪台、等身大の鏡が配置されており、シャンプーやリンス、ヘアクリーム等も取りそろえられていた。


 非口の抱える「秘密」が他の客にばれないよう、非口専用の施術室を用意してくれているのだ。

 非口が幼い頃からしてくれているこの配慮のおかげで、ここでは安心して帽子を脱いで「秘密」をさらけ出せるのだった。


 その日も、いつも通り雑談をしながら、いつも通りミカのハサミの形状に変化させた髪で髪をカットしてもらい、いつも通りに料金を金額ぴったり払った。そしていつも通りに帰ろうとした。




 ここでいつもと違ったのは、施術室のドアが突然外側から開かれたことだった。


「ああ、ここだったんですね。どうしたのかと…」


 店に来たが、誰もいないのを不審に思い、この部屋に通じるドアを見つけて開けたらしい客 ―というか、非口のクラスメイトのデンスは、言いかけた言葉を途中で止めた。


 非口の眼前の鏡に映るデンスの視線は、間違いなく非口の後頭部に注がれ、その表情は間違いなく驚きを示していた。


 無理もない。


 人の後頭部に、


 プルプルとした紅赤の2対の大きな唇。

 28本ピシッと生え揃った米粒のように白い歯。

 ショッキングピンクのフェイスタオルのような長い舌。


 そんなものがあるのを見たら、そんな顔になるのも、無理もない。




「そう思ったら動転してしまって、気が付いたら町中全速力で走り回っていて、でも体力の限界がきたのですぐ近くの知り合いのいる建物 ―つまりこの病院に駆け込んできたというわけですね非常口さん」


「…非口」


 待合室のソファーの上で膝を抱え、動転しつつも帽子はしっかり被っていた頭を俯かせながら自分の名前を訂正する非口。


「失礼しました。いつもお名前を間違えてしまって申し訳ありません非常食さん」

 ソファーの隣に腰を下ろした目井めいさんは、またも名前を間違えた。


「非口」


「先程長池さんからご連絡がありまして、心配してらっしゃいましたよ。一緒にToo Longに行って大丈夫だとお伝えしてきましょうよ非論理的さん?」


「非口。

 …はい、ミカさん、謝り、行く。

 …けど、デンスさん、びっくり、してた。嫌われた、かも…」




 非口は、小さい頃から周りと違うことが嫌だった。


 多くの人は、顔の下部に位置する1つの口で呼吸や発声、食事といった動作を行っている。

 しかし、非口には「呼吸、発声用の口」と「食事用の口」の2つがある。

 前者は顔に、後者は後頭部に存在している。

 「呼吸、発声用の口」は、どんな食べ物でも飲み物でも「不味い」と感じてすぐに吐き出してしまうのだ。

 (ちなみに、つなしも血液以外の飲食物を口にするとそんな感じになる)


 この後頭部の口が、非口は大嫌いだった。


 やたらと大きくて、色も派手で不気味。

 みんな顔にある口でご飯を食べているのに、自分だけはみんなと違う動作をしなければならない。

 食べる物や量は他の人達と同じようなものなのに、食べ物では無い物も食べてしまうだの大食いだの勝手なイメージを持たれる。


 小1の頃なんて、この口のせいでいじめられたこともあった。

 いじめ自体は先生達が気づいて止めてくれたが、一度植えつけられてしまった「やっぱりこの口は変なんだ」という思いはそう簡単には消せなかった。


 家とToo Longにいる時以外はずっと後頭部の口が隠れるように帽子を被って過ごした。

 周りの人がみんな気持ち悪がっているような気がして、怖くて申し訳なくて人を避けてしまい、友人と呼べる人もいなかった。


 中学校に入ってからも、同じだった。

 このまま一生1人で生きていくのかなとさえ思い始めていた。


 でもある日、休み時間に声をかけてくれた人がいた。

 それがデンスだった。

 最初のうちはロクに返事もできずに逃げてしまったりしたが、それでも嫌な顔一つせずに話しかけ続けてくれた。

 たわいのない、くだらない内容ばかりだったが、それでも、嬉しかった。普通に接してくれるのが、嬉しかった。


 だからこそ、特にデンスには隠さなければならなかった。

 デンスが一緒にお昼を食べようと誘ってくれたり、お菓子をくれようとしたら、全部断らなければならなかった。

 本当は嬉しかったのに。


 自分の正体を知ったら、きっとデンスさんは、大好きなデンスさんは気持ち悪がって離れていってしまう。

 それは嫌だ。初めての友達になってくれたのに、失うのは嫌だ。また1人だけ周りと違う存在になるのは、もう嫌だ…




 ところどころつっかえながら、非口はそう語り終えた。


「そうでしたか… ところで、言い忘れていたことがあるんですがね非言語的コミュニケーションさん」


「非口」


「今診察室にある人がいらっしゃってるんですよ。出てきてくださいますー?」


 目井さんの呼びかけに応じ、診察室のドアの開く音。


 そして。


食美はみちゃん」


 大好きな人が、自分の下の名前を呼ぶ声。


 ギョッと顔を上げた先で、大好きな人が微笑んでいた。


「ここに来てるんじゃないかと思っていらっしゃったそうで。診察室で2人で話してるところにあなたがいらっしゃったんですよ、ああ非情さん」


「非口。あと、『非情』、違う、『無情』…」


 名字と作品名を訂正する余裕は辛うじてあったが、そこから先は何を言えばいいか分からなかった。

 頭の中が端っこから徐々に白で覆われていく。

 どうしよう。全部聞かれてた。何て言われるんだろう。

 



 逃げ出したい気持ちでいっぱいになる脳内に、優しい声が響いた。

「ごめんね。ノックもしないでいきなり入って、見られたくないもの見ちゃって。失礼だったね。本当にごめん」


「…」


「でもさ、全然変じゃないよ」


「…?」


「むしろいいなあ、食べながらお話しできそうで! そうだよね、考えてみたら喋るのと食べるのを同じ部分でやらなきゃいけないのって不便だもんね! あたしもそうなりたいくらいだよ!」


「…!」


 気持ち悪がってない。


「食美ちゃん優しいし、あたし達のこと好きでいてくれてるのは分かってるから仲良くなれてよかったと思ってるよ。

 だけど正直ね、ご飯の時だけじゃなくて、いつも壁一枚でさえぎられてるみたいに何となく距離を感じてた。もうあと一歩のところで、何か大事な部分には触れさせてくれないような気がしてた。

 でも、今それが何だったのか、やっと分かって、良かったよ」


「デンスさん…」


「だからさ、食美ちゃんは気にしてるのかもしれないけど、あたしは全然そんなことないし、きっとみんなもそうだと思うから、だから、良かったらでいいんだけど、今度からはお昼みんなで一緒に食べてくれないかな?」


「え…」


「あたしのわがままだけどさ、食美ちゃんとご飯食べたいんだよ。15分休みの時とか放課後とかだけじゃ足りない、食美ちゃんとお昼休みも一緒にいたい、もっと知りたいんだよ。

 …ダメかな?」


 しばし沈黙し、やがて非口は首を横に振った。


「ごめん、やっぱり、怖い…」


「…そっか。うん、焦らなくていいよね。

 じゃあさ、今度一緒に帽子買いに行ってもいいかな?」


「?」


「いや、いつもおしゃれな帽子被ってるから、どこで買ってるのかなっていつも思っててさ… 買ってるところ、一緒に行ってもいい?」


 少し考えた非口は、今度は首を縦に振った。

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