素直な望み

「恋人がね、ほんっと使えないんですよ」


 ため息交じりに言うと、向かいに座る目井めいさんは「はあ」とうなずいて続きを促した。


「バカだし気が利かないし、そのくせいっつもヘラヘラしてて腹立つ。同棲始めるまであそこまでひどいとは思わなかったわ。詐欺だよあんなん」


「そうですか」


「あんまりにもひどいから、いつもやらかすたびに教育してやってんの」


「教育とは?」


「最初のうちは大声で叱ってたの。でもアイツ、バカすぎて言っても分かんないから、最近はもっぱら暴力ですね。バットでお腹やら背中やら殴ったり、この車椅子で背後から突撃して転ばせたり。

 でも全く効果なし。怪我が増えてくだけでいつまでたっても無能なまま。最悪な時は『痛い痛い』とか言って泣き出すんです。いい年こいて。ヤバいですよ、バカもあそこまでいくと。

あ、言っときますけどこれDVじゃないですからね。しつけの一環です。愛情を持ってやってますので」


「愛情、ですか」


「ええ、DVってのはなんかバカな奴が相手が憎くてやることなんじゃないですか? こっちは相手にいい子になってほしくてやってるだけなので誤解しないでくださいね。

 あ、それで、今日来た理由なんですがね」


「はい」


「あのバカ恋人をいい子にしてほしいんです。理想の恋人って言えるくらいの。具体的なことはここに書いてあるんで見てください」


 要望をまとめて書いてきたメモを目井さんに差し出した。

 頭を良くしてほしい、気が利く奴にしてほしい、頼んだことは何でもそつなくこなす奴にしてほしい、私の好みに合わない服を着るのをやめてほしい、一番重要なのが、絶対に私に逆らわずに何でも言うことを聞けるようになってほしい… 他にもいろいろあるけど、そんなところだった。


 黙り込んでメモを見つめる目井さんに確認した。

「噂は聞いてますよ。人の中に別人格を、しかもいくつも作ったりできるんでしょう? だったら、あいつの今の人格を閉じ込めて、新しい素敵な人格に主導権を持たせるくらいは余裕でやってくれますよね?」


「ええ、もちろん私の技術的には可能です。ですが…」


 どうしたんだろう? 歯切れが悪い。

 しばらく黙っていた目井さんは、しかしやがて顔を上げた。


「大変失礼ですが、私にはあなたが恋人さんの個性も人格もすべて否定しているように見えて、本当に恋人さんを愛してらっしゃるのか疑わしくて仕方がないんです」


「は?」


「何でも言うことを聞いてくれるとか逆らわないとか何でもできるとか、それなら今の恋人さんである必要はないですよね? 今の方にしがみつかなくても、別れてこういう方とお付き合いすればいいわけで」


「いや、こっちはあいつに直してほしいから言ってるのであって」


「あなたに反抗できたり、失敗ができたりするのがあなたの恋人さんの特徴なんでしょう? 直したら恋人さんではなくなってしまいますよ。それに、この条件を見るとあなたは恋人ではなく、別の存在を求めてらっしゃるように思えますよ。

 なぜ素直に『私が欲しいのは何でも言いなりになってくれるお人形です』と言わずに回りくどいことをおっしゃるのですか?」


 皮肉ではなく、純粋に心の底から疑問に思っている顔に三日月型の目を浮かべて私を見つめてきた。

 急に背中に氷を放り込まれたような心地になって、気付いたら車椅子をこいで逃げ出していた。

 



 自宅近くまで来て、ようやく怒りがわいてきた。

(何だよあれ! 頼まれた手術は何でもやってくれんじゃなかったのか!? もう二度と行かねーよあんなヤブ医者!)


「私が欲しいのは何でも言いなりになってくれるお人形です」


(ちげーよ! ちげーんだよ! あいつのことはちゃんと好きだよ! ただバカすぎだし、生意気すぎるから、親切に直してあげようとしてるだけじゃねーか! 私は何も間違ってない、いい恋人じゃねーか! 悪いのは私の言うとおりにできないあいつなんだよ!)


 イライラしながら、玄関ドアを開けた。

「…おかえり」

 恋人が部屋から出てきた。相変わらずのバカ面に笑みを浮かべている。この前転ばせた時にできたおでこの傷に、まだ絆創膏を貼っていた。

 なんだよそれ、あてつけか? こっちはな、今日お前のせいで恥かいたんだぞ!

 腹が立ったので、思いっきり睨みつけて素通りし、自室に入った。




(あのヤブ医者はもうダメだ。かと言って他に人格作れる医者なんていんのかな… 隣町にも何人かいい医者はいるらしいし、調べてみるか…)


 そう考えていると、背後から


 ガラッ


(? 窓が開いた? 鍵閉めといたはずだけど)

 振り返った。




 首斬りスパロウ。

 数年前からこの町と、周辺のいくつかの地域に時折出没し、巷を騒がせている殺人鬼。

 数か月前なんて、たった一晩にして隣町のとあるお屋敷に住む一族30名ほどを、一番小さい子ども一人を除いて皆殺しにするという今までで最悪の惨事を起こしたとニュースで聞いた。


 その人殺しに合致する容姿の人物が、そこに立っていた。


「…は?」

 わけが分からない。なんで。


 首斬りスパロウが動いた。無言のまま、刃渡りだけで1mはありそうな巨大なハサミを開き、刃を私の首筋に当てる。挟むように。

 なんで。なんで。なんで。


 首斬りスパロウはハサミを開いたことによって離れた両のこぶしを、すっと近づける。

 冷たい感触が、左右から私の首の皮を破り、肉に食い込む。中に入っていく。


 なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。


 視界が一回転し、どさっと堅い床に叩きつけられた。

 眼球を動かして上を見てみたら、私の身体が見えた。

 首のない、血まみれになった、私の身体。


 なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。


 わけの分からないまま、視界はゆっくりと、暗くなっていった。

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